第三帝国の誕生 第2夜~第一次世界大戦とドイツ革命~
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■第一次世界大戦----00:00:08
[TIME]----00:00:08 世界大戦の勃発
【N】そんな中でね、第1次世界大戦が起きますよ。
【D】はい、1914年!
【N】お。覚えていますね。日にちは?
【D】日にちは知らね(笑)
【N】まあ日にちって言っても、(確かに微妙な質問)──。
──1914年の6月28日に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント──バンド名になっていますな──そのフランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺されたことがきっかけで起きる、と習いますわな。
【D】はい。
【N】で、7月28日にオーストリアがセルビアに宣戦布告。そしてヨーロッパ諸国が「中央同盟国」と「連合国」という二大陣営に分かれて次々に動員令をかけ、8月には戦端が開かれて、あれよあれよという間に世界大戦に発展しちゃう。
「中央同盟国」というのはドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国で、対する「連合国」はイギリス、フランス、ロシア帝国、セルビア王国、──まあ、あとエトセトラ。ていうか、大体全部。最後ぐらいにアメリカが連合国側に参加します。
で、なんでこんなことになっちまったかというのは、これ、もう第1次世界大戦の話なので、ちょっと別にしておきます……(笑)
【D】(笑)──はい。
【N】で、ともかくドイツ帝国はこの中央同盟国の中心として、東西の戦線で、ロシア、フランス、イギリスら連合国と戦うんだけれども、──東ではロシア、西部戦線ではフランス、イギリスと戦う──。
[TIME]----00:01:37 城内平和
【N】こういう未曾有の大戦争なわけだけれど、開戦当初はドイツ国民の多くは戦争を歓迎し、団結による熱狂と高揚に満ちていたと言われておるんです。
【D】ほうほう。
【N】ただ、実際は階層によって温度差があったらしい。特に労働者なんかはあまり盛り上がっておらず、盛り上がっていたのは市民層の主に若者だったらしいんですな。なので、みんながみんな熱狂・高揚していた、というはずはないんだけれども、そのように肯定的に記憶している人が多かった。
【D】ふーん、なるほど。
【N】──という状態であった。割と、みんながまとまって「やるぞ!」という空気であったと思われていた。
そして、政治的にも国内は「ブルクフリーデン(Burgfrieden)」──「城内平和」という状態にあった。
これは、ようは戦争に一致団結して邁進するために、これまでの国内の様々な対立が一時的に解消──というか凍結──されている状態で、文字通り城の中だけ平和になったということね。
【D】うん。
【N】当時ドイツには、社会民主党、通称エスペーデー(SPD)という党がありまして、これが支持を増やしていた。いわゆるマルクス主義から起こった左翼政党です。これはマルクス主義政党としては当時、世界最大規模。
で、これらも帝国政府とその戦争方針に協力したんですね。普通、左翼政党というと反戦を主張するんですよ。
けれどね、このとき社会民主党の主流派は、日頃の矛を収めて戦争協力をする側に回ったの。
ちょっと今の我々からすると不思議な気もするし、──これ、当時のレーニンも「えっ!?」という反応しています。
【D】うんうんうん。
【N】彼らはまず愛国を優先した。あと、これは1つの見方なんだけれど、敵であるロシア帝政というのはいわゆる「ツァーリズム」なので、これは社会主義者にとっても一番の敵であった。なので、これと戦うのは左派のスタンスとしても矛盾しなかったんじゃねえか、と。
【D】ほうほう。
【N】もちろん、その中でも戦争協力に納得しない反戦派の左翼もいたので、そうしたさらに左の一派が社会民主党から離脱するという流れもあった。
もともとこの社会民主党(SPD)というのは、穏健的な改良主義と急進的左派とで分裂していた。
穏健的な改良主義というのは、あくまで議会制民主主義の中で改革・改良によって社会主義を目指そうという路線ね。
【D】穏健派が戦争に参加した感じかな?
【N】そうそう。帝国の味方をしたというか──。
【D】優しかったわけではないという……(笑)
【N】そうそう。で、急進左派というのが、これはもう「革命をやる!」「革命をやって一気に社会主義国にしよう!」という路線。
社会民主党はこの2つで路線が分かれていた。穏健左派と極左だね。だからメロコアとハードコアみたいなもんなんすよ。
【D】(笑)──はいはい、わかりやすいですな。
【N】で、その内の急進左派と呼ばれている人たちが、反戦を主張して離脱するわけ。この分裂が戦後にひどい混乱をもたらすんだけれど、それはちょっとあとで触れますわね。
【D】はい。
【N】そういう分断の兆しはありながら、表面的には国内はまとまろうとしていた。戦争のある意味での効能の1つ。
で、ここでユダヤ人たちも希望を見出すんですわ。戦争に行って国のために尽くせば、自分たちも愛国的なドイツ人として認めてもらえるんじゃないかと。
実際、ユダヤ系ドイツ人も戦争に出征し、勇敢に戦って勲章を受けた人がかなりいるそうなんです。芝健介さんによれば国内の約10万人、2割のユダヤ人が出征して、1万2千人が戦死している。これ、その他のドイツ人と比べても割合が高い。なので、ユダヤ人たちはすごく積極的に、国のために戦いに行っていた。
【D】うん。なるほど。
【N】こういう団結ムードというのは、他の参戦国の多くに見られた状態だったんだけれど、のちの世を考えるとドイツでは特に意味を持った期間だった。
ここにナチズムの掲げた理想の雛形があると言われています。つまり、外では戦争しているんだけれど、それがために国内では対立が解消され、階級間の軋轢もない──。これはいわゆる「民族共同体」の理念に近い状態であったと。だからあとで振り返ったとき、たとえ幻想であったとしても、「開戦初期のあの頃ってよかったよな」という思いが、ドイツの一定の人たちの中にはあった。そして、それを取り戻して「民族協同体(フォルクスゲマインシャフト)」を作ろうぜ、というのがナチのスローガンになった。
一時的な夢ではありながら、連帯らしきものがあった。まあ、言ってしまえば戦争に希望があった。
[TIME]----00:06:57 戦局悪化と「センサス」
【N】しかし現実の戦争はうまくいっていなかった。
そもそもドイツ軍は、西部戦線においては短期決戦でカタをつけるつもりだったんだけれど、マルヌ会戦という戦いにしくじって、早々に長期戦に突入してしまう。
で、イギリスが経済封鎖を行って、そのうえドイツ国内の農業生産量が落ち込んだものだから、食糧事情が悪化する。そうして1916年の冬には、深刻な飢餓が国民を襲うんですな。「カブラの冬」と言ったりするんだけれどね、この飢餓のことを。これ、家畜の飼料用だった※カブラを食って飢えをしのいだからという。
※いわゆる日本のカブとは別種の「ルタバガ」という根菜。
【N】──で、そうなると、さっき言った城内平和なんてものも消えていく。むしろ深い幻滅と困窮の中で、労働者たちの不満が蓄積し、それが急進左翼の運動とも結びついていく。そして戦っている兵士たちも疲弊して、「想像していた戦争と違うやんけ!」となる。
そしてもう一点、ユダヤ人。ユダヤ人も戦争協力に邁進すれば差別はなくなっていくと思ったのに、むしろ真逆の風評が立ってしまった。
【D】ほう……最悪ですね。
【N】そう。曰く、「ユダヤ人は戦場に行かず、隠れて自分たちだけで利益を貪っている」という。こういうのを戦時利得と言ったりするんだけれど──。
【D】風評なんですか?
【N】さっき言った通り、数字的には明らかにユダヤ人はかなりの数、戦っていた。
──しかしそこで、軍が「ユダヤ人統計調査(センサス)」というものを実施してしまうんですよ。
これは軍隊の中でのユダヤ人の人口比率などを調べる調査だったんだけれど、結果を見たら、さっきも話した通り、ユダヤ人は積極的に戦争に参加していたし、功績も上げていた。
なのに軍はその結果を公表しなかった。
【D】しなかった……?
【N】なので、ユダヤ人は戦争に非協力的だった、というイメージの払拭がされなかった。これものちにすごく傷になる。
【D】なるほど、なるほど。
【N】──というね、かなり怪しい状況になってきているんですが…….。
【D】はいはい、風向きがだいぶ……。
[TIME]----00:09:06 ブレスト=リトフスク条約
【N】ただね、どうにか東部戦線のロシアには勝つ。
ロシアは国内で革命が起きてしまっていたんで、戦争どころじゃなかった。いわゆるロシア革命ですな。
【D】あー、はいはい、そうですかね。
【N】1917年の2月革命でロマノフ王朝──帝政が倒れる。で、10月革命でレーニンたちのボリシェビキが権力を掌握し、ソビエト政府ができる。
そしてこのソビエト政府が、これ以上の戦争続行は無理、ということでドイツと講和を結ぶことになるんですよ。
これが1918年3月3日の「ブレスト=リトフスク条約」
【D】ほう。
【N】このときソビエト政府は、情勢的にもドイツ側の要求を飲まざるを得なかった。一方的に。
で、これまでの旧ロシアの支配下にあったフィンランド、バルト三国、ポーランド、ウクライナなどの主権を放棄する──。で、一応これらの地域はそれぞれ独立したりするんだけれど、基本的にはドイツ軍が進駐していて、オーバーオスト(Ober Ost)と呼ばれる司令官と組織に管轄される、いわば属国みたいな状態になった。まあ、占領地域だった。
なので、これは実質ドイツへの領土の割譲でした。
【D】ほうほう。
【N】これは地図で見ても相当広大な地域で、ロシアは人口の3分の1を失う。
しかも重要な工業地域なんかを含んでたものだから、工業力も超弱体化させることになる。
なので、ロシアの脱落と領土の割譲ということで、これは勝利です。
【D】はい。やったー。
【N】やったのか? うーん……(笑)
【D】こっち(ドイツ)側からすると。(笑)
[TIME]----00:10:46 レーベンスラウム(生存圏)
【N】──ちなみに、このときに広大な東方地域をゲットしたことが、ナチ時代の東方政策に影響を与えた、という見方があるんです。
ドイツには人口が増加し続ける自民族を食べさせる──自給自足させるために、東に領土を拡張したい、東に植民地を獲得したい、という志向があった。
こうした自給自足のための土地を、ドイツ語で「レーベンスラウム」という。これ日本語だと「生存圏」とか「生空間」というふうに呼ばれている。生きるための場所という──。
これ、本来は地政学の概念なんだけれども、普通に政治的な拡張主義を正当化するために使われてしまったところがある。
【D】ふむふむ。
【N】で、ナチ党とヒトラーは、経済的には国際市場からの離脱──今でいうグローバル経済から離れ、ドイツだけで自給自足すること(アウタルキー)を主張していた。
そのためにはレーベンスラウムが必要だった。もともと持っている自分たちの土地だけじゃ足りねえ、と。
そのレーベンスラウムに近いものを、この時のドイツは手に入れた。少なくとも手に入れたと思ったドイツ人がいた。しかしこれは大戦末期だけの短い夢だった。
【D】残念。
【N】この野望がナチス時代に再度爆発するということで、伏線のひとつ──。
【D】はい。
【N】ともかく東部戦線はカタがついた。これで西部戦線に力を傾注できれば、もしかしたら勝てるんじゃねえか? そう思う人は多かった。が、実際はもう限界だった。
カイザーシュラハト(Kaiserschlacht 『皇帝の戦い』)──1918年の春季攻勢でカタを付けようと思ったけれど、息切れを起こし、第2次マルヌ会戦で守勢に転じてしまい、8月には完全に詰みます。
[TIME]----00:12:42 休戦に向かって
【N】──かくしてドイツは休戦を望むようになる。
【D】うーん。
【N】ちなみにこの時のドイツ皇帝はヴィルヘルム2世で、戦争を指導していたのは、第3次最高軍司令部の参謀総長パウル・フォン・ヒンデンブルクと、参謀次長──ナンバー2─のエーリヒ・ルーデンドルフ。
【N】ヒンデンブルクという人は大戦初期、東部戦線のタンネンベルクの戦いでロシア軍を撃破したので、国民的な英雄になっていた。
ただ実際は、ナンバー2のルーデンドルフや参謀のマックス・ホフマンらが作戦立案を行っていて、ヒンデンブルクはここぞという時以外は裁可を与えるだけ。まあ、上でデンと座っていた人。だから象徴的な英雄であったと。
ただ、完全な神輿であったかというのは、実は解釈の余地もあったりするんだけれど、それは置いときましょう……(笑)
──ともかくこの2人、というか実質ルーデンドルフが、戦争方針だけじゃなくて、国政にも干渉したんですよ。なので、大戦の中盤以降は軍部独裁、「ルーデンドルフ独裁」と呼ばれる状態になっていた。
ちなみにこの2人、ヒンデンブルクとルーデンドルフはナチ台頭に深い関わりがある。特にこの親分のヒンデンブルクは、ヒトラーに政権を与えた張本人です。なので極めて重要。今日いっぱい出てくるんじゃないかという。
【D】ふーん。
【N】ともかくこうして、勝利どころか継戦も不可能になった、という状況に、ルーデンドルフたち軍部は、帝国政府に「新体制を発足して、ここは休戦に向かおう」と進言する。こうして軍部独裁が終わる。
これ、別に自分たちが反省したとかじゃない。
1918年1月8日に、アメリカのウィルソン大統領が「14か条の平和原則」という──教科書にも載っているような有名な演説をするんですよ。それを受けてのことだと言われておりますな。ウィルソンはその平和原則の演説の中で、暗にドイツの軍部独裁とか、権威主義的な強権体制を批判していたんですよ。ドイツ、あるいはルーデンドルフたちは、ウィルソンの提言を受け入れることで、有利な形で講和しようと思っていた。なのでここは軍部独裁をやめて体制を改めようと。(木村靖二『第一次世界大戦』第四章)
ただ、この辺のルーデンドルフたちの真意というのは実は色々に解釈されていて、──勝ち目がないから、敗戦責任を自分たちじゃなくて、新しい体制の政府に押し付けようとしたんだろ。という見方もあります。これはよく言われる。戦争を止めなきゃいけなくなったから、それは誰か別のヤツにやらせて、そいつのせいにしちまおうと……。
【D】なるほど。うん。
【N】だとすれば、これは実際に一定程度成功しちゃうのね。それが大きな問題になる。それはあとで触れるとして──。
──結果、ルーデンドルフは失脚して、マクシミリアン・フォン・バーデンという人が帝国宰相──首相みたいなもの──に就任して、休戦に向かう新体制が発足する。
で、このマックス・フォン・バーデンの政権には、さっき出てきた社会民主党(SPD)らが加わって、政党内閣になる。
【D】ほう。
■ドイツ革命----00:16:11
[TIME]----00:16:11 水兵たちの反乱
【N】しかしね、そうこうしている内に現場の兵士たちの不満が爆発するんですな。10月末から11月初め、海軍で、敗戦必至にもかかわらず出動を命じられた水兵たちが、キレます。
というのも、どデカい戦果を上げないまま戦争が終わっちゃったら、海軍の信用が失われる──。そうなると戦後に海軍が再建できない、ということで、首脳部が焦ってメンツのためだけに出撃を命じたんです。これには水兵たちも「おいおい、ふざけんな」となる。
そうして、まずヴィルヘルムスハーフェン、それからキールといった軍港で水兵たちが反乱を起こす。その兵士のストに、国内の労働者であるとか、急進左派による反戦運動が合流するんですよ。兵士の反乱に、国内にいた普通の人たちの反戦運動が合体する。
[TIME]----00:17:10 レーテ(労兵評議会)の結成と諸邦国の倒壊
【N】そしてこのとき、「労兵評議会」が結成される。労兵評議会というのはいわゆる「レーテ(Räte)」──。レーテというのはドイツ版の「ソヴィエト」
【D】うーん、はい。ややこしいな(笑)
【N】「ソヴィエト」というのは国名じゃないんですよ。ソヴィエトというのは、プロレタリア独裁のための決定機関。だから社会主義における意思決定のための集まりのことを言う。それのドイツ語版だよね。
で、ドイツ各地にこの「レーテ」が結成され、暫定的に地域の自治権を掌握することになる。
そして11月7日、ドイツ帝国を構成する邦国の1つである、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン王国が倒れるんです。バイエルン王国が倒れて、バイエルン・レーテが新共和国の樹立を宣言する。
バイエルン王国を治めていたヴィッテルスバッハ家というのは、800年ぐらい続いたすごい古い家で──。一番伝統があるような王家がまず最初に倒れてしまった。
【D】はいはい。
【N】バイエルンに新共和国の樹立が宣言されると、暫定首相に独立社会民主党のクルト・アイスナーが就く。
この「独立社会民主党」というのは通称「USPD(ウーエスペーデー)」。このUSPD──さっき軽く触れたんだけれど、大戦中に社会民主党の戦争協力をよしとせず、分離した奴らがいるって言ったでしょ?
【D】あー、はいはい。
【N】その分離した奴らが作った党。
※「独立社会民主党」(USPD)……1917年結成。党首はフーゴー・ハーゼ。
【N】──ここからは帝国を構成する各邦国の体制がバタバタと倒れていく。これ、つまり革命です
【D】うん、なるほど。なるほど。
[TIME]----00:19:02 帝国の崩壊と共和国宣言
【N】ここからいわゆる「ドイツ革命」が始まるんですな。
そして11月9日、首都ベルリンで大規模なデモが起こると、とうとう帝国宰相のマックス・フォン・バーデンが、独断でドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の退位を宣言してしまう。
【D】ほう!
【N】本人はまだ認めていないですよ。けれど、もう限界だ! ということで。
そのうえ、バーデンは政権を社会民主党のフリードリヒ・エーベルトに渡してしまうんです。
ちなみに皇帝のヴィルヘルム自身は、ベルギーのスパにあるドイツ帝国軍の大本営にいたんだけれども、この直後オランダに亡命しちゃいます。
【D】ふーん。
【N】いま出てきたこのエーベルトという人が、帝国の終わりを看取ったあと、新国家を支えることになるわけ。
もともと、エーベルトという人は、職人さんの家に生まれ、自身も鞍作りの職人だった。でも開戦時には社会民主党党首として、党の戦争協力の方針──「城内平和」を現出させた人物ですな。
こうして敗戦政府を任されたエーベルトなんだけれど、彼自身は君主制の解体までは望んでいなかったと言われております。
なるべく大枠は変えず、そこに新たな国民議会を設置する、というところまで持っていって、軟着陸させる腹づもりだった。
【D】ふむふむ。
【N】ところが、同じ社会民主党のフィリップ・シャイデマンという人が、デモ隊に取り囲まれている議事堂の窓から、勝手にドイツ共和国樹立を宣言しちゃう。叫んで……(笑)。※この時の写真も残っているんだけれど──。
【D】あ、そう(笑)
【N】つまり、そこで君主制を否定しちゃったの。共和国だからね。共和国樹立を宣言しちゃったから。
なのでエーベルト、このとき非常に怒りました。「ナニ言ってんだ!」と。
【D】(笑)──うん。
※現在、残されている写真は事後に撮り直されたもののようです。
ドイツ連邦公文書館の当該画像リンク
【N】──で、それから2時間後には、今度は急進左派「スパルタクス団」というグループのカール・リープクネヒトたちが、ベルリンのホーエンツォレルン王宮──皇帝たちの家──のバルコニーから、別に社会主義共和国宣言をする(笑)
【D】おぉ……色んな人が色んなところから叫んで……(笑)
【N】ただこれ、ちょっと遅きに失した格好になっちゃったけれどね。まあ、そんな状態だったという……ね。
【D】なるほどね。うん。
【N】このリープクネヒトというのは、もともとは同じ社会民主党(SPD)だったんだけれど、戦時中に党の戦争協力方針に反対して離脱したメンバーの1人。というか、一番最初だね。
この人が、ローザ・ルクセンブルクという人と共に「スパルタクスブント」、いわゆる「スパルタクス団」を結成した。そして、この時点ではUSPDに合流していた。
まあ、つまりこの国は言ったもん勝ちという状態だった。
【D】そうだよね、うん(笑)
【N】ともかく、エーベルトの意図しない形で帝国は滅んでしまった……。
【D】うーん。
[TIME]----00:22:14 人民委員政府の発足と休戦条約
【N】──で、ここから社会民主党と、独立社会民主党らが組んで、「人民委員政府」という暫定政府が作られる。
エーベルトは国民議会による正式な政府を樹立するつもりだったんだけれど、それまでの繋ぎということで。
【D】うん。はいはい。
【N】そして、まだまだ後片付けがあって、1918年11月11日、中央党のマティアス・エルツベルガーが全権となって、パリ、コンピエーニュの森で、連合国との間の休戦条約に調印する。
ここに第1次世界大戦は終結するんです。
【D】はいはい。なるほどねえ。
【N】ドイツ軍将兵は200万人以上が戦死。国内でも42万人ほどの国民が亡くなったとされる戦争でした。全体では1千万人以上死んでいますけれどね……。
■急進左派----00:23:07
[TIME]----00:23:07 革命、多難の門出
【N】さて、じゃあこれで平和になったかといえば、そんなことはなくて、ドイツの混迷はここから始まる。
【D】はぁはぁ。
【N】基本的にドイツ帝国が瓦解したこの一連の出来事を「ドイツ革命」とか「ドイツ11月革命」と言ったりするんだけれど──しかし、世界史の「革命」の中では存在感がないというか、何か地味なイメージがあると思うんですよ。
【D】うん。
【N】実際、「挫折した革命」などと呼ばれることもあるからね。一般的にあまり高く評価されていない。
が、冷静に見れば全部が全部失敗したわけじゃないし、※革命として再評価する意見もあったりはするんだけれど──ただ、共和国の門出が最初から波乱含みであったこと、あるいは新体制による戦後の軟着陸を国民が客観的に評価できず、早い時期からこの新しい体制に対する失望が広がっていった──、というのは事実なんですよ。
※ローベルト・ゲルヴァルト『史上最大の革命』
[TIME]----00:24:07 急進左派と新共和国の対立
【N】──そんな中、国内で早速大きな対立が生じてしまう。
さっき、帝国が倒れた際は「言ったもん勝ち」という話をしましたけれど、新国家は誰が担うか、この革命をどう着地させるか──、という中で対立が生まれるんですわ。ていうか、もともとあった対立が一層顕在化する。
帝国亡き後、新政府の中心になったのは、さっき言った社会民主党(SPD)──。
ここでちょっとおさらいなんだけれど、SPDはもともとマルクス主義──社会主義政党だった。けれど主流派は議会制民主主義を維持しながら、改良主義的に社会主義を目指しましょう、という政党になっていた。
これ、今でもあるんだけれどね、「社会民主主義」って。まあ、穏健左派という感じですな。
しかし党内には、そんな改良主義ではアカン、革命によって体制を打倒して社会主義を実現しよう、という者たちもいて、これがいわゆる急進左派。ようは極左。
大きな理想は同じだったんだけれど、手段がまったく相容れなかった。つまり改革か革命か──という。
こうした、穏健的な主流派と急進左派の対立というのは、すでに戦前からあったんだけれど、戦時中において戦争に協力するか否かを巡ってさらに深刻になるわけ。それが戦時国債の承認という問題になる。戦時国債というのは、戦費を調達するために政府が発行する国債のこと。借金ね。
これの承認に、さっき出てきたカール・リープクネヒトが反対するんですよ。
【D】あー、はいはい、クネヒトさんいましたね。
【N】国債の承認をするということは戦争に協力することであるからと──。で、クネヒトさん(笑)……ではなくてリープクネヒトさんが、SPDを離脱。その後、ローザ・ルクセンブルクたちとスパルタクス団を結成したというのは話しましたが──。
【D】うんうん。
【N】ちなみにしれっと出てきたローザ・ルクセンブルクという人──。女性なんだけれど、この人は社会主義の思想家、政治活動家で、革命を唱えていたが、ロシア革命におけるレーニンのやり方を批判して、違った方向での社会主義革命を目指していた人です。のちにこのドイツ革命、あるいはドイツの左翼運動にとって、象徴的な存在になっていくんですね。
何で象徴的になっていったかというと、まさにこのあとの出来事があったからだけれども……。
なぜかバンド名にもなっています。日本のバンド。
※1980年代の日本のロックバンド。
【D】あ、そう。いるんだ。
【N】あと、エーベルトと一緒に社会民主党の党首を務めたこともある、フーゴ・ハーゼという人がいましてね。この人も反戦派としてSPDを離脱して、さっき出てきた独立社会民主党(USPD)を作る。そして、それと別系統で離脱していたスパルタクス団も、思想的な対立はあったんだけれど、ここに合流する。
──という流れがあった。
【D】なるほど。
【N】ちなみにさっき、バイエルン王国が倒れた時、暫定首相になったクルト・アイスナーという人がいたんですが……この人もUSPD──独立社会民主党。
──あとはね、そのUSPDからさらに急進的な、もっと左の「革命的オプロイテ」というグループも出てきます。「革命的オプロイテ」って不思議な名前のチーム名だけれど。左翼ってよく「革命的」という言葉をつけますから。
※「革命的オプロイテ」……金属労働組合の指導部から成る。オプロイテ(Obleute)はリーダーや議長といった役職を指す言葉のようです。
【N】というわけで、もともと方針を巡って対立していた同志が、戦争を契機に分裂したわけですよ。
【D】うーん……。
【N】で、エーベルトはどうあってもこの混乱を収拾し、新体制を作らにゃならん、ということで、その対立を飲み込んで、独立社会民主党と人民委員政府を成立させる。もともとケンカ別れした相手だったんだけれど、いったんヨリを戻した──。
[TIME]----00:28:14 革命の分かれ道
【N】そうして議会主義による新国家の樹立へ向けて動き出す。──しかし一方、スパルタクス団たち急進左派は、「せっかく帝国が倒れたんだから、この革命を完全な社会主義革命にしようぜ」って言うんですよ。そのために、議会主義を念頭に置いている現状の人民委員政府じゃなくて、さっき出てきた労兵評議会(レーテ)、これが権力を握るべきだと主張する。ようは「ソヴィエト」を作るってこと。ソヴィエト政権。そうして労働者と兵士による政権、いわゆるプロレタリア独裁を実現しようと。つまりロシアで起きたことですよ。
この直前、大戦中の1917年にロシア革命があったという話をしたじゃないですか──。
【D】はいはい。そうだね。うん。
【N】レーニンたちボリシェヴィキによる社会主義政権の成立。──この革命がドイツの彼ら急進左派にも強い影響を与えたことは間違いない。
【D】なるほど、なるほど。
【N】実はね、ドイツの急進左派たちは、ボリシェヴィキとかレーニンを全面的に支持はしていなかったんだけれども、ただ同じ可能性を見出した。こっちでもマルクス主義革命ができるだろうと。
しかし社会民主党は、逆にロシアの例があるからこそ、急進的な暴力革命やプロレタリア独裁を恐れたと考えられる。
なんでかというと、レーニンが憲法制定議会を解散し、他の党を排除してボリシェヴィキによる独裁を始めたから。ドイツの社会民主党は議会主義で行きたいわけだから。あと、ロシアと同じように内戦になるしね。(ローベルト・ゲルヴァルト『史上最大の革命』pp.65-66)
なので、レーニンのロシア革命をドイツに再現することを、左翼の一方は望み、一方は恐れた。
【D】ふむふむ。
【N】ゆえに社会民主党(SPD)は、急進左派による暴力革命は断固これを阻止するという構えを見せる。こうなると、急進左派にとって社会民主党というのは、マルクス主義の原理・原則を守らない修正主義どころか、完全な裏切り者である──。帝政主義者や右翼と変わらぬ反革命勢力、反動権力であると。──という対立が起きてしまった。
※社会主義の路線を巡る対立では、(正統とみなされる)原理を曲げる者に対し「修正主義」という言葉がよく使われます。
【N】で、これは左翼同士による対立なんだけれども、左翼でない者たちは、もとより革命もプロレタリア独裁も勘弁してほしいわけですよ。
【D】そうですね。
【N】となると、そうした人々は、まだ彼らにとってマシなほうである社会民主党を選ばざるを得ない。
【D】(笑)──はい、そうね。
【N】なので、左翼は好きではないけれど、SPDを支持するという流れも起こる。そういう中で、軍と社会民主党が結びつくんですね。──ルーデンドルフが去ったあと、後釜の参謀次長を務めていたヴィルヘルム・グレーナーという軍人さんがいるんだけれども、この人が11月10日にエーベルトと協定を結ぶ。急進左翼革命を阻止することを条件に、軍は社会民主党に協力すると約束した。基本的に国軍は反共なんで、共産主義革命とか社会主義革命は勘弁してくれと思っている。
──エーベルトも、戦争に行っていた兵士たちを平和裏に復員──帰国させ、今の混乱を乗り切って新政府を安定的に軌道に乗せるには、軍の協力が不可欠だろうと判断した。ということで、2人の間に協定が結ばれる──。【N】しかしこの密約で、のちにエーベルトは軍と結んで革命を裏切ったと非難されることになるんですよ。社会民主党が反動化したとみなされる端緒になる。エーベルト自身は、この協定の時点でそこまで振り切っていたわけじゃないんだけれど、その後の対応で政府が右に傾いていっちゃったんで、ここから「アイツは裏切ったんだ!」と思われちゃった。
【D】なるほど。
【N】──で、実際12月、クリスマスに衝突が起きちゃった。
「人民海兵団」という──もともとは水兵さんたちだった──治安維持部隊があったんだけれども、これが急進左派の勢力になっていた。そして彼らは、社会民主党員でベルリン司令官であったオットー・ヴェルスという人と対立しちゃうんです。
挙句ヴェルスが、この人たちに対する給料差し止め、という強硬措置に出てしまい、それに反発した人民海兵団は彼を拘束してしまった。
そこでエーベルトは武力でこれを鎮圧しようとするんだわ。しかしこのことで、連合を組みながらも次第にSPDとの対立が深まっていた独立社会民主党(USPD)が、人民委員政府から離れちゃう。しかも人民海兵団の鎮圧自体にも失敗しちゃう。
※オットー・ヴェルスはものすごく後半、或る意味ハイライトで再登場します。
【N】なので、エーベルトたち政府は、武力の必要性をますます痛感するんですな。やっぱ、ちゃんと武力を持ってねえと混乱を収拾できねえや、ってなっちゃう。
【D】なるほど。
[TIME]----00:33:19 スパルタクス団蜂起
【N】そしてさらにさらに、急進左派のスパルタクス団が、新たに党を結成するんです。これがドイツ共産党(KPD)。
ここから社会民主党(SPD)と急進左派は決定的に対立することになる。もともと左翼同志よ、これ。
【D】うん。
【N】──そうして、急進左派による直接行動が本格的に始まるわけ。まず翌1919年の1月4日、独立社会民主党(USPD)の党員で、ベルリンの警視総監だったエミール・アイヒホルンという人が罷免されるんですな。これに急進左派は怒る。
そして1月5日、スパルタクス団の呼びかけに応じて、労働者たちがベルリンで一斉蜂起する。これがいわゆる「一月闘争」とか「スパルタクス団蜂起」と呼ばれている事件。
何やら勇ましい感じがするんだけれど、これはかなりグダグダな蜂起だったんですよ。計画が全然しっかりしていなかった。
【D】あ、そうなの。うん。
【N】で、エーベルトは国防大臣のグスタフ・ノスケという、ちょっと和風な名前の人に鎮圧を命じまして──。ノスケはドイツ義勇軍、いわゆる「フライコーア(Freikorps)」あるいは「フライコール」と呼ばれる部隊を投入するんです。フライコーアというのは民兵の集団。準軍事組織と呼ばれたりするんだけれど、ようは正式な軍人さんたちじゃない人たちで集まった部隊。【D】はいはい。
【N】これは主に実戦経験のある復員兵──戦争から帰ってきた人たちと、逆に戦争に間に合わなかった若者たちが集まっていた部隊。しかも右翼的な。
【D】うん。
【N】──余談だけれども、このフライコーアというのは、鉄兜にドクロとか鉤十字が入った、のちのナチも採用するスタイルの先行者だったりします。
【D】おおっ、なるほど、なるほど。
【N】これ、写真検索すると出てくるんでね。興味があれば……(笑)
【D】(笑)──うん。
【N】──とにかく、このフライコーアと軍によって蜂起は粉砕され、1月15日にはスパルタクス団の指導者であるカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクも拘束されます。
でもって、リープクネヒトはティーアガルテンに連行され、射殺。ローザ・ルクセンブルクも小銃の銃床で顔面を殴られ、血まみれの状態で頭を撃ち抜かれて殺されます。
【D】おぉ……。
【N】その後、ローザの遺体はラントヴェーア運河に捨てられた。そして5月に識別ができない腐乱した状態で発見されます。
【D】ふーん……。
【N】これ、記事によっては、殴り殺されたという記述もあったりするんだけれど──、殴られて、車で運ばれる途中で射殺、というのが実際のようですな。
いずれにせよ、これは政府の命令を受けた治安維持部隊のやることじゃない。
【D】そうですね。
【N】裁判にもかけず、射殺したんだから。
【D】うん。
■背後からの一突き----00:36:30
[TIME]----00:36:30 フライコーアの戦い
【N】──ここで登場したフライコーアはこののち、国軍の代わりとして、左翼革命勢力の鎮圧や、ポーランド国境の警備、ラトビアなどバルト三国での対ボリシェヴィキ戦争に投入されているんですね。バルトでの戦いというのは、今回あんまり詳しく話せないんだけれど、ドイツが敗北したあとも継続した戦い。
【D】ふむ。
【N】バルト三国というのは、ブレスト=リトフスク条約のあと、ロシアがいなくなって独立に向かうんだけれど、大戦でドイツが負けると、今度はボリシェヴィキが武力介入してくる。ロシアのソヴィエト政権がね。
これに対してドイツ軍は、西側連合国の合意のもとに撤退を中止し、ボリシェヴィキ勢力を食い止めるために踏みとどまる、という流れになるんすよ。そこにフライコーアたちが投入された。
【D】ふむふむ。
【N】このバルトの戦いというのは、敵味方がハッキリと分かれた、いわばわかりやすい戦争じゃなかったので、フライコーアたちの軍事行動は苛烈になってしまい、市民を大量に殺戮するという、完全にタガが外れたような戦いぶりだった。(ローベルト・ゲルヴァルト『史上最大の革命』p.211)
【D】ええ……。
【N】血みどろだった。基本的にフライコーアの活動はどこでも血みどろだった。
【D】うん。
【N】──国内に視点を戻すと、彼らフライコーアが左翼を残虐にオーバーキルする理由というのは、構成員の多くが民族主義者や極右だったということがある。「アカなど滅ぼせ」という気持ちで集結した人々なわけ。
政府は左派なんだけれど、暴力装置としてこういう極右を使った。
【D】なるほど、はぁはぁ……(笑)
【N】……どんどん捻じれてくるから、ここから──(笑)。
【D】そうですね、うん。
[TIME]----00:38:20 「我々こそが戦争」
【N】──で、あとね、軍国主義的な空気の中で育ちながら、戦争に間に合わなかった世代というのがいる。こういう若者たちの過激化というのも多分あった。
【D】ふむふむ。
【N】これ、彼らにとってみれば、「新たにもらった戦争」だった。戦争に間に合わなかった若者と、戦場に赴いたけれど、後方からいつの間にか敗北を知らされた兵士──。彼らは極端に違う環境にありながら、求めるところは同じだった。
これはちょっと個人的な主観なので、あまり参考にしないでほしいんだけれど、……つまり彼らが求めたのは、本当の勝利のための戦争の継続──。
【D】うーん……。
【N】──フライコーアに実際に参加していた人で、のちに「コンスル」という有名なテロ組織に入り、ナチとも関係することになる人物、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ハインツ──。この人がのちに回想録『Sprengstoff.(爆薬)』という本を書いていて、その中でこういうことを言っている。
「戦争はもう終わっただなんてもっともらしく言われ、我々は吹き出してしまった。なぜなら我々こそが戦争だったからだ。戦争の炎は我らの中で燃え続け、我らの行いすべてに尋常ならざる破壊の力を授けてくれたのである。」(ゲルヴァルト『史上最大の革命』pp.251-252)
──という。何かのために戦争するんじゃねえ。戦争をするために戦争するんだと。
【D】それだけ聞くとヤバい感じしますね。ヤバい奴ら。
【N】ヤバイ感じですね。これはローベルト・ゲルヴァルトの『史上最大の革命』という本の中で、この引用文が抜かれとる。
──まあともかく、以後、エーベルトは極左の反政府運動を、フライコーアといった極右的な武装勢力の力で鎮圧するようになってしまう。ということで政権そのものも右傾化していくんですよ。
でもって、これまでは左翼の話ばっかりしていたんだけれど、右翼とか、帝国の復活を目指す保守というのも出てくるんですよ。
【D】なるほど。うん。
[TIME]----00:40:29 背後からの一突き
【N】──そして、フライコーアの過激さ、という話になったけれど、国内における左派への憎悪というのは、戦後、右派を中心に広められたある観念によるところが大きいんですわ。
それは「戦争に負けたのは左翼のせいだ」という思い込み。いわゆる「背後からの一突き」と呼ばれる神話──というか、デマ。これは味方だと思っていた奴らが後ろからナイフで刺してきた、という意味ね。
【D】はいはい、なるほどね。
【N】「匕首伝説」と言ったりもする。
──ドイツは結果的に戦争に負けたのだけれど、国民や一部前線の兵士たちは自分たちが負けているとは思っていなかった。ドイツも本土そのものは侵されていなかったし、東部戦線ではロシアを下している。西部戦線で踏ん張れば勝利できると思った。というのも、ルーデンドルフたち軍部が、ギリギリまで実際の戦況を隠していたから。だから突然、敗北を知らされた。
【D】なるほど。
【N】戦場では勝っていたが、戦争では負けていた──、という状況で……。だから、わかりにくい負け方をしたというところが問題だった。そして決定的だったのは、国内で実際に革命が起こっていたこと。この革命というのは戦局が悪化しているから起きたんだけれど、彼らはその因果関係を入れ替えちゃう。「そうか、こいつら左翼が国内で国家転覆を図ったから負けたんだ」と。
【D】なるほど。
【N】そして、帝国を滅ぼしたアカたちがのさばり、ドイツのために戦った自分たちから誇りを奪った──。そうした思いが彼らを、たとえばフライコーアなんかに向かわせた。
【D】うーん……。
【N】また、これね、末端だけじゃなくて、敗戦責任をよそに転嫁したい軍の上層部も、積極的にこの神話を広めていくんですわ。
実際、トップだったヒンデンブルクも、戦後1年ほどして開かれた敗戦調査委員会で、まさに「背後からの一突きで負けた」というようなことを発言するんですよ。この神話が急速に国民の間に広まってしまう。
【D】うん。
【N】──でもってね、これまで登場してきた左派政治家たちの中に、実際にユダヤ人が多くいた。なのでこれが反ユダヤ感情と結びついてしまって、ユダヤの左翼の企みによって戦争に負け、帝国は崩壊させられた──、という陰謀論になっていっちゃう。
※著名なところではローザ・ルクセンブルク、フーゴ・ハーゼ(USPD)、クルト・アイスナー(USPD)などがユダヤ系。
【D】あァー、なるほどねえ……。
【N】この陰謀論はアドルフ氏もバッチリ染まっていました。ちょうどそのとき染まっているところでした。
【D】はいはい。うん。
[TIME]----00:43:07 「1918年11月の犯罪者」と「1914年の精神」
【N】そうなると、この新しい共和国というのは「裏切り者たちが作った体制」ということになる。
だから戦後の右翼に共通して見られた心性というのは、裏切り者たちに対する復讐心。その一端が、スパルタクス団蜂起などに対する苛烈な攻撃に表れていた。
【D】うん。
【N】──で、同じ観念に染まったアドルフ氏も、のちに新政府を「11月の犯罪者」と呼んで攻撃することになる。この「11月の犯罪者」というのは、彼らを貫くひとつのキーワードね。
【D】ふーん。
【N】ようは、この国は犯罪者たちが作った国だ、ということなのね。国を裏切った犯罪者。
実際、こうした心性のフライコーアの構成員からは、のちにナチ党に流れる者も多かった。
【D】整ってくる感じですね、だんだん。
【N】だんだん、そうそう。──で、この1918年11月の「背後からの一突き」が、もう1つの神話である「1914年の8月の熱狂」──戦争が始まったときの熱狂という幻想──と対をなす。
「1918年11月の犯罪者」と「1914年の精神」あるいは「1914年の理念」という言葉がよく使われるんだけれども、これがセット。対になる。
【D】うん。なるほど。
【N】そうして右翼の運動やナチ運動の精神的な素地になっていく。
1914年の8月、自分たちは高揚感と連帯感とでまとまっていた。しかし18年の11月、自分たちは裏切りによってバラバラになってしまった──。という神話ね。
【D】ふむふむ。
【N】だから、18年の11月にバラバラになった祖国を、14年の8月に戻すぞ、と。
【D】なるほど、なるほど。
【N】ただ、実態がその通りであったかどうかじゃないんですよ。彼らがそのように感じていたということ。
【D】うん……。
[TIME]----00:45:14 パリ講和会議
【N】──えーと、1919年1月の状況でしたが、この時期は外交──外側に目を向けると、もうひとつ大きな出来事が起こっていた。
【D】はー、何かあったっけ(笑)
【N】(笑)──いわゆる仕上げですね。──1919年の1月18日、連合国との間で、世界大戦の講和条件についての話し合いが始まるんですよ。いわゆるパリ講和会議というやつ。第1次世界大戦の総括というか、ケジメ。
【D】どう落とし前をつけるかみたいな──。
【N】そうそう。そしてこの会議を経て、少しあとにいわゆる「ヴェルサイユ条約」が調印されることになるんだけれども、この講和条約というのは、その実態以上にドイツ国民の共和国に対する憎悪をブーストするんですよ。
【D】ほうほう。
【N】これで右も左も政府を許さなくなるという。
【D】ふーむ。
【N】政治だけではなくて、市民生活もまた、この戦争の余波で未だ困窮が続いていた。まだ戦後も経済封鎖が続いていたからね。立ち直るどころじゃなかった。
【D】なるほど。
【N】その苦しみと怨嗟が、この敗北の理由をさえ書き換えさせる。いわゆる「背後からの一突き」によって。
【D】はい。
【N】負けた理由を、多くの国民たちがちゃんと理解できなかった。そしてその恨みが共和国に向いていく。その恨みをさらにヴェルサイユ条約がブーストさせるということになってしまう……。
【D】なるほどね。うん。
■ヴァイマール共和政----00:47:09
[TIME]----00:47:09 共和政の始まり
【N】──こうしてね、平和どころかすっかり血生臭くなっちゃっている戦後なんだけれど、1月19日に約束されていた、新政府初の国民議会選挙が行われる。最初の共和国選挙です。
その結果、第1党の社会民主党(SPD)と中央党(DZP)、ドイツ民主党(DDP)による連立政権ができる。
これを「ヴァイマール(ワイマール)連合」と呼んだりするんですね。
【D】これは本当に民主的な選挙だったんですか?
【N】ちゃんとした選挙ですよ。ただ、共産党がボイコットしているけれどね。
ちなみに、この選挙は比例代表制です。基本的にこの共和国の選挙制度は比例代表制なんですよ。
──で、この2月11日に併せて大統領選挙も行われ、エーベルトが臨時大統領に選ばれます。
【D】はいはい、エーベルトさん、出てきましたね。
【N】うん。──で、エーベルトはさらにあのシャイデマンを首相に任命するんですよ。
【D】シャイデマンって誰だっけ。出てきた?
【N】あれですよ、窓から勝手に共和国樹立を宣言したオッサンですよ。
【D】窓から言い合っていたときのか(笑)
【N】そうそう。──そしてこの少しあと、8月には憲法も公布されるんだけれど、この政府は一般に「ヴァイマール共和国」、あるいは「ワイマール共和国」と呼ばれる。
【D】うん。教科書で見たことがありますね。
【N】そうそう。このヴァイマールって、ドイツの真ん中くらいにある都市の名前なんすよ。憲法制定のために国会が初めて召集されたのがこの町だったんで、そう呼ばれるようになった。
ただ、これはいわゆる歴史用語で、正式な国名じゃないんだよ。だから当時そう呼ばれていたわけじゃない。
【D】あ、そうなんだ。へー。
【N】そうそう。正式な国号というのは帝政時代から一貫して、「ドイチェス・ライヒ(Deutsches Reich)」──「ドイツ国」
【D】おぉ、かっこいいね。
【N】うん。「ライヒ」は「国」というような意味で考えてください。ちょっと正確な訳が難しい言葉なんだけれど。
なので、当時はヴァイマールとかワイマール共和国とは呼ばれていない。
【D】うん、なるほど。そうなんだね。
【N】──こうしてね、旧帝国は名実共に再編されます。
これまでの帝国は、シュタート(staat)──邦国という複数の王国とか公国からなる連邦だったじゃない? この邦国が「ラント」──州になる。
【D】うん。ネーデルラントとかのラントですか?
【N】かな? あれはオランダだけれどね。──で、国から州なので格下げになったってことね。
※一般的に「州」と訳されますが、我々のイメージする州より国に近い感じ?
【D】あ、そうなんだ。なるほど。そうかそうか。シュタートは邦国なんだね。ラントとそういう違いがあったことすら初めて知ったけれど。
【N】うん。馴染みがないからね(笑)
シュタート(staat)というのはアレかね、英語だとステート(state)なのかね?
【D】そういうことだね。なるほど。シュタートってステートだな。
【N】恐らくね(笑)。──ちなみにこの共和国の議会なんだけれど、「ライヒスターク(Reichstag)」いわゆる国会と、「ライヒスラート(Reichsrat)」──「ライヒ参議院」の2つから成る。
国会の「ライヒスターク」は、選挙で国民から選ばれた政党の議員がいる立法機関。「ライヒ参議院」というのは、帝政時代にあった連邦参議院の後継機関で、各州の州政府から任命された議員で構成されていた議会。我々にはちょっと馴染みがない仕組みなので、わかりにくいんだけれど。
これつまり、国会が下院、ライヒ参議院が上院。──下院・上院ってあるでしょう? それに対応していると考えて大丈夫。
【D】アメリカにありますね。
【N】そうそう。──で、ちなみに選挙はさっき言った通り比例代表制。立候補する人の名前を書くんじゃなくて、党。
【D】はい。党名を書いて、入れて──。
【N】そう。議席を割り当てられる。
ただね、このヴァイマール共和国の比例代表制は、議員定数が決まっていなかった。議員の総数が変わったりする。
【D】あ、そうなんだ。
【N】しかも阻止条項──足切りがなかったんだよね。基準の票以上取らないと議席にならないよ、というやつが。
【D】ふーん。
【N】そういう問題があったんで、コミュニティの利益代表者による小党分立という状態に陥ってしまう。
つまりどういうことかというと、色々な団体や階層の利益を代弁する人たちが党を作って選挙に出てくるので、細かく色んな党が出てきちゃいやすいの。
【D】ふむふむ。
【N】となると、特定の大きな政党が過半数をとれなくて、連立が基本、みたいな体質を生んじゃうんだよね。だから政党の利害が対立すると、すぐに議会が停滞しちゃう。というのが恒常的な問題になってくる。
【D】ふーん。
【N】それでも、いわゆるヴァイマール憲法というのは、教科書で習う如く、社会権とか、男女平等の普通選挙を定めたりと、当時としては最も民主的と評された憲法であった。非常に画期的ではあった。
【D】教わりましたね。
【N】ですね。
[TIME]----00:53:04 大統領の権限
【N】──が、ある問題を抱えていて、それが今回とても重要になる。
【D】はァ。
【N】今、エーベルトが大統領、シャイデマンが首相という話になっているんで、ついでにそこらへんの話をしようかなと思うんだけれども──。
まず大統領の下に首相がいて、この首相が実務者として政府を率いるんだけれども、上の大統領の権限というのが、ことのほか強い。
大統領は国会の解散権と首相の任免権を持つ。首相は大統領が任命するという仕組み。
【D】うーん。罷免もできると。
【N】そうそう。任免だからね。
【D】なるほどね。
【N】現在の日本だと、首班指名でほぼ自動的に第1党──一番議席の多い党──の代表が首相になるじゃないですか。
【D】そうですね。うん。
【N】でも、この当時のこの国の首相は大統領が任命する。これね、とても大事な点で──。
【D】あ、はいはい。
【N】というのも、ヒトラーが民意で政権を獲ったという誤解がよくされる。これはこの仕組みを理解していなくて、現代の日本式で考えちゃうから。
【D】ああ、そうかそうか。なるほど。
【N】──あ、ただ、その時のナチ党はもちろん第1党だから、完全な間違いとも言えないんだけれども。少なくとも制度上は、ヒトラーが首相になったのは、国民から選ばれたからということではない。
【D】うん。
【N】──そのように、首相は大統領が決めるものなんだけれども、ただ首相は一応、国会の信任を得ていなくてはならなくて、不信任案を可決されれば、そのときは辞職しないといけないんですよ。
なので本来は多数派じゃないと政権は維持できず、そこでバランスは取れる仕組みだった。大統領が任命したとしてもね。──まあ、「ただし……」て感じですが……。
【D】おー。
【N】あと、大統領は議会を解散することができる。そうすると総選挙でしょ?
【D】うん。
【N】この解散権ともうひとつ、のちに問題になるというか──、歴史上において問題とされる規定が、ヴァイマール憲法には存在したんですよ。。
【D】はー。なるほど。
【N】これがヴァイマール憲法・第48条第2項。
いわゆる「大統領緊急令」を発することができる、という規定。
【D】大統領緊急令。
【N】これはちょっと大事なので条文を紹介します。
「ドイツ国内において公共の安寧と秩序に障害が生じたとき、又は生じる恐れがあるとき、大統領は安全と秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、場合によっては武力を使用できる。
この目的のために大統領は一時的に、人身の自由、住居の不可侵、通信の秘密保持、意見表明の自由、集会と結社の自由、所有権の保障、といった基本権を停止することができる。」
──という。
【D】おぉ。
【N】これ、ちょっと分かりやすくするために書きかえているけれど、概ねこんな感じ。
【D】ものすごい権限だねえ(笑)
【N】いわゆる国家緊急権というやつね。ようは、非常時に国会を超えて鶴の一声的に法令を繰り出し、必要であれば基本的人権にも制限をかけることができるという法律。
【D】うーん、なるほど。ここは大事だからみんな、線引っ張っとけよ(笑)
【N】そうよ(笑)──もちろん、これ、国会の方で過半数の反対があれば廃止できるんですよ。一応、歯止めをかけるルールとして。
しかも、国会の信任を得ている首相や大臣の副署を必要とするんで、適切に運用できるだろうと思われた。少なくとも、起草者である法学者フーゴ・プロイスはそういうふうに考えていたと言われておるんです。
まあ、「ところが……」といったところですな。
【D】はいはい、はいはい(笑)
【N】ホント、さっきも言った通り、この「大統領緊急令」、多分今回の話で一番重要な法律の1つですわ。
これだけでも覚えて、帰ってもらえればと思います(笑)
【D】(笑)──間違いなくテストにはでますね。
【N】出ますね、これ。
※実際出るか知りません。
【D】おぉー。
【N】まあ、ことほどさように、画期的な憲法ではあるんだが、このような不安要素があったわけ。
こういう規定があったので、皇帝権力がそのまま大統領権力にスライドしたという評価もされていて、「代理皇帝」なんて呼ぶ人もいるね。
【D】ふーむ。
【N】で、ネタバレするなら、これら一連の構造の連鎖によって、この共和国の議会制民主主義は少しずつぶっ壊れていきます。
もちろんどれが一番の原因かというのは、ちょっと簡単には言えないんだけれども……。
【D】うん。
[TIME]----00:58:11 ミュンヒェン、ドイツ労働者党
【N】──ともかく政府はこんな感じにスタートを切るわけだけれど、シティに目を向ければ、こうした流れの中で左翼と共に、無数の右翼・民族主義団体が誕生するんですよ。
【D】はい。
【N】「裏切り者の政府」を認めない人々です。
【D】うん。
【N】そして奇しくもスパルタクス団が蜂起した1919年1月5日。
同じ日にバイエルン・ミュンヒェンのフュルステンフェルダーホーフというホテルで、そうした小さな政治団体の1つが結成されておるんですな。
その名は「ドイツ労働者党」
【D】ドイツ労働者党──。
【N】「ドイチェ・アルバイターパルタイ(Deutsche Arbeiterpartei)」通称はDAP。
【D】DA-PUMPみたいな感じだね(笑)
【N】え……?(笑)
──これこそが、ナチ党──NSDAPの前身となる党です。やっと登場しました。アレです。ビール飲んでもらっていた人達ですよ(笑)
【D】あー、はいはい(笑)。ついにビール飲んでた連中が──。
【N】ついに紹介されるというね。
【D】ここでダ・パンプを結成しました。
【N】ダ・パンプを……(笑)
【D】(笑)──はい。
【N】──で、このドイツ労働者党(DAP)を創設したのはアントン・ドレクスラーという鉄道工場の職工さん。それにカール・ハラーというスポーツ・ジャーナリスト。
当初の党員の多くは、このドレクスラーの同僚で、つまりナチスの原型を作ったのは鉄道工場の工員さんたちだったってことになりますね。しかも、最初に言ったとおり、党員は4~50名ぐらい。
【D】それだけ聞くと、なんか普通の感じですね。
【N】そうそう。この時期、こういう団体がすごいいっぱいできていたの。特にバイエルン、ミュンヒェンでは。
【D】ふーん。
【N】ちなみに、このアントン・ドレクスラーさんね、鉄道工場で錠前とかを作っていた職人さんなんだけれども、戦時中から政治団体に参加し、あるいは設立に関わってきた人物。
【D】ふむ。
【N】で、労働者党なんていう名前の団体で、しかも党の思想的には反資本主義的なところがあったんで、こう聞くと普通に左翼団体かと思ってしまうんだけれど──。
【D】そうだね。
【N】でもスタンスは、民族主義的右派団体です。だから戦時中も、ドレクスラーは労働者の間で戦争協力を呼びかける愛国的な活動をしていた。
あくまで対象が労働者であるから、党名も労働者党であると。
【D】うん。
【N】ともかく、このドイツ労働者党結党に際して、ドレクスラーは民族主義的な秘密結社である「トゥーレ協会」という団体の後押しを受けていた。
【D】うん。
【N】「トゥーレ協会」というのは「ゲルマン騎士団」という、ちょっと厨二な名前の団体が母体で、──なんて言うのかな。民族至上主義に神智学とかオカルトが結合した、ちょっと怪しげな秘密結社だった。活動としては、ドイツ・アーリア民族の優越を謳い、古代ゲルマン文化を研究しながら政治運動をしていた。
【D】ほうほう。なんか、「っぽい感じ」になってきますね。これらの単語を並べると。
【N】なってきますよね。まあ、こういうのはドイツ語で「フェルキッシュ」と言ったりするんだけれど、この手の民族至上主義というのは、行き過ぎるとオカルトとかエセ科学に悪魔合体しやすい。
【D】あー(笑)。神智学とか聞くとね。
【N】そうそう。実際、このナチスとオカルティズムの繋がりって割と人気のある題材でね。色々なネタに使われたりして、だからトゥーレもその流れで有名なんですよ。
【D】ふーん。
【N】ともかくこのトゥーレ協会というのが、ナチ党の人脈的な母体の1つになって、初期の党員もここから流れてきている。
【D】ほうほう。
【N】で、さっき出てきた結成者であるハラーたちは、トゥーレ協会への労働者階級の支持を集めるために、その下部組織としてドイツ労働者党設立を進めたんすよ。
【D】あー、なるほど、なるほど。じゃあ、どちらかというとトゥーレのために労働者党を作ったって感じか。
【N】ハラーたちはね。
【D】ああ、ハラーたちがね。
【N】これがね、ちょっとあとになると意見が割れちゃうんだよ。
【D】ああ、そうなんだ。
【N】トゥーレとかじゃなくて普通に政党活動したいという派と、あくまで協会が大事だよという派と。
【D】ああ、はいはい。へえ。
【N】──ちなみに、初期の党員というと、ヒトラーにも強い影響を与えた、ジャーナリストで文筆家のディートリッヒ・エッカートや、経済評論家ゴットフリート・フェーダーといった人たちが有名。……有名? ……有名だね(笑)
【D】(笑)
【N】特にディートリッヒ・エッカートは重要な人で、初期のヒトラーの思想にかなり強い影響を与えている。思想と、あと色々な援助もした人で。
【D】うん。
【N】──ともかくね。これらの人脈、団体は皆、ドイツ民族の発展を謳い、ヴァイマール政府に反対し、多くは反ユダヤ主義思想を持っていた。
まあ、ここでようやっと主役の1つが出てきた──は、いいが、もう1人の主役がまだこの党にはおらんのです。
【D】もう1人の主役が……?
【N】のちのリーダーが……。
【D】はいはい!
第3夜に続く──
ここから先は
『カエサルの休日』~第三帝国の誕生
ポッドキャスト『カエサルの休日』のテキスト版。 超長尺の第116回『第三帝国の誕生』を全編文字起こし。 ■内容 ・ナチズムとは ・19世…
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