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エルサ、もう一度歌って


ありのままに生きるということは、世間に背を向けることだと心のどこかで思ってた。でもいくらなんでもそれはない。礼節さえ大切にしていれば今はそんなに冷たい世間でもないはずだ。

「アナと雪の女王2」を観たあとからずっと考えてる。前作「アナと雪の女王」は、姉妹の絆を取り戻したという点ではたしかにハッピーエンドだったんだろうけど、私がエルサだったらあの物語の中で起こった出来事はかなり大きなトラウマになるだろうなって。

たったひとりの家族にすらひた隠しにしていた秘密を大勢の前で暴露する形になって、自分が守るべき国民からは恐れられ、ひとりきりで宮殿に閉じこもり、連れ戻しに来てくれた大切な人の命をも奪ってしまいそうになる。ただでさえ幼少期のトラウマから「人を傷つけてしまうような自分ならひとりでいたほうがいい」と思い込んで生きてきたのに、そんなエルサの心の傷を余計に抉ることになってしまったんじゃないかなあ。

だから「アナと雪の女王2」の序盤で、エルサがどこか浮かない顔で城から外の景色を見やっているシーンを見ると、そうだよねと思う。前よりずっと自分らしくいられて、みんなの愛情を受け取れるようになって、孤独も癒されつつあるけど、そうだよね、まだ終わってないよねって。

「アナと雪の女王2」を観たあとで改めて前作を見ると、あの「レット・イット・ゴー」を歌っている姿にも、それまでとは違う意味で胸が熱くなる。

「レット・イット・ゴー」は自分を全肯定して解き放とうというような、言葉通り解放感のある曲で私もとても好きなのだけれど、2も含めた物語の流れで言うなら、あのときのエルサは「自分がありのままでいるためにはひとりで生きていかなくてはいけない」と、孤独に覚悟を決めて周囲の人に背を向けようとしているシーンだったように思う。

あくまでも私の所見ではという話だけど、そう考えると、少しも寒くない、なにも怖くない、二度と涙は流さないと歌っているエルサの姿が、やせ我慢をしているように見えてつらい。

宮殿の中に閉じこもるエルサに向かって伸びていく氷の針も、エルサにとって魔法の力は自分や他人を守ってくれるものであれば、傷つけるものでもある諸刃の剣なんだろうなということを思わせる。

私たちにも、ようやく自分らしさが見つかってそれを受容できるようになってきたあと、その自分を世間が受け入れてくれるのかどうかがわからずに、こんな姿はきっと理解されないだろうという不安や猜疑心に駆られて、今までとは違う壁を新たにつくってしまうということは、もしかしたらよくあることなのかもしれない。

でも人が「私は私でありたい」という長年閉じ込めてきた自分の本当の想いに気づいて、その気持ちを無視していられなくなるときや、新しく心に欲動が芽生えはじめる時、そこで一歩を踏み出すとどうしても一度は大混乱したり、孤独になったりするものなんだろう。

エルサの力が暴発したのも、まだ自分の力をコントロールする術を知らなかったということのほかに理由があるとすれば、あれは積もりに積もった自己否定や孤独や悲しみを出し切るためのデトックスみたいなものだったのかも。

「家族の思い出」「エルサのサプライズ」も観てみたけど、やっぱりエルサは悪いことが起こるとすぐにそれを自分のせいだと思い込んだり、何でも完璧にしなきゃと意気込みすぎて無茶をしたりと、ひとりで色々なことを背負い込みすぎてしまう性格みたい。そしてそんなエルサを母親のように見守りながら優しく包み込むアナの存在には、物語の外にいる私も思わずありがとう!と言いたくなる。エルサを支えてくれてありがとうって。

エルサが自分の痛みと向き合いそれを克服することで愛を学んだのだとしたら、アナは自分や他人を臆することなく愛していくこと、惜しみなく愛情を与えたり受け取ったりすることで、どんどん優しさをふくらませて成熟していける女性なのかもしれない。
特に2のアナには自己肯定感に支えられた自信や優しさがあるような気がして、私もアナみたいに安定した人格になりたいなあって、憧憬の眼差しで見てしまうくらいだった。(本当はアナについても語りたいことはまだまだたくさんあるんだけど、とんでもなく長くなりそうだから今回は割愛する。)

人一倍繊細な心で自分が持って生まれた力と向き合い続けるエルサの人生を思うと、私はなんだか涙が出てくるんだよね。2の最後で胸いっぱいに外の空気を吸い込んで走っていくエルサの姿が本当に愛しいし、生きてるなあ…と思う。

自分の力の秘密を知って、ホームを見つけたエルサがもう一度レット・イット・ゴーを歌ってくれるとしたら、私はたぶんつらくならずに安心して見ていられると思う。これでいいの、ありのままの姿見せるのよってもう一度歌ってほしいなあ。

自分らしく生きていくために周囲に背を向ける必要はないし、ひとりで生きてみせると覚悟する必要もないということを、エルサには教えてもらったかな。

ありのままに生きるって本当はとてもシンプルなことで、ただ等身大の自分で日々を精いっぱい生きていく、それだけでいいのかもしれないね。そしてふとその日々に幸せを感じられるようになっている自分に気づいたとき、過去をふり返ってすべてに意味があったんだと気づく。自分に生まれてきてよかった、この人生を選んでよかったって心から思えたら、きっとそこにあるのが当たり前だった空気の匂いや空の色が、どれだけ美しくかけがえのないものであるのかがわかるんだろうな。そしたら毎日感動していられるし、たぶん何を見ても感激しちゃうだろうね。

私はたまにテレビの角を見てるだけで悲しくなってぶわっと泣いてしまったりするけど、それが今の私の等身大の姿だから、今はこれでいいのって思うことにしようかな。



あと、エルサもそうだけど、やっぱりみんなどこかに帰りたいんだなって思った。この望郷の思いは何なのか…。フロイトの言葉で語ればあてはまる言葉はあるんだろうけど、難しいことはよくわからないし、本当のことは誰も知らない。

それでも時々、帰るべき場所に辿り着いたときの自分の姿を思い描いてみることがある。

途方もなく遠い未来のように感じるけど、きっとそのときの自分はすでに私のなかに存在していて、たまに未来のことを思い出すみたいに懐かしい記憶がふっと頭をよぎる。ほんの一瞬、すでにそこに辿り着いた自分と心が重なる。

いつも一緒にいるんだ。すぐに忘れてしまうけど。その自分と出会う日まで、等身大の自分で精いっぱい生きよう。大丈夫。もうそこに行けることはわかっているから、もう少し肩の力を抜いて、今はこの人生を生きていよう。

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