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どこに行こうか
どこかに行きたい、
どこかに行きたい、
という衝動に駆られています。
もともと落ち着きがないたちなので、じっと一ヵ所にとどまっているのが苦痛なのです。
昔から(メタファーとして)遊牧民のように暮らしたいと思っていました。根無し草になりたかったのです。定住はイヤでした。
子どもの頃に思いめぐらせていた「夢」も、
飛びたい
雲にのってどこか行きたい
鉄腕アトムの赤いブーツで飛びまわりたい
サーカスの団員になりたい
遊牧民になりたい
どこか行きたい、
というものでした。
その「夢」から外国の文化や言葉に強い関心を持ち、英語学習に夢中になりました。
いや、もしかしたら同時だったかもしれません。買い与えられていた世界名作物語のような本に強く影響を受けていたので、「飛びたい」という願望と本の中の外国が結びつき、「外国に飛んでいきたい」となって、「外国なら英語」となったのかもしれません。ちょっと忘れました。昭和50年代の話です。
私は恵まれていて、当時、ありとあらゆる習い事や体験をさせられていました。「させられていた」という表現がよくないのは重々承知ですが、私自身は外で「探検ごっこ」と称して迷うように遊ぶのが大好きだったので、習い事は、行きたくない学校のようにつまらない、「なんでかわからないけど行かないと怒られるもの」でしかなかったのです。
単発のものも含めると、アウトドアからフィギュアスケートまで、本当にいろいろ体験しました。どれが私に合うかを母は見極めていたそうです。しかし、そのわりには、じっと座っているのが苦手な私には苦行でしかない習字やピアノや、私がまったく興味を持てない「母の十八番のスポーツ」だったテニスを10年近く習わせたり、私が習いたかったバレエや器械体操は「あなたには合わないから」と習わせてくれなかったりしました。いつやめさせてくれるんだろう、、と解放される日をとぼとぼ夢見ていたのを今でも鮮明に覚えています。
あらゆる習い事を体験させるのは悪いことではありませんが、あきらかに本人の苦痛となっているものは速やかにやめさせないと、心身豊かにするはずの拡充体験が、ただのトラウマ体験になってしまいます。
苦痛でしかなかった習い事でしたが、そのなかに唯一「英会話」という素晴らしく楽しくておもしろい習い事があったのは幸運でした。当時の地方都市ではまだめずらしかったアメリカ人の高校生が先生で、英語学習というよりは、英語で遊んだりゲームをしたりする、純粋に楽しいだけの時間でした。ふり返ると、簡単な挨拶文や英単語しか学んでいませんでしたが、「英語って楽しい!」「話せるようになりたい!もっと学びたい!」「海外に行きたい!」と次につながる体験で、まさに本物の学びでした。
「英会話」との出会いがきっかけとなり、私は自発的に英語だけどんどんどんどん勉強していきました。中学で初めて「勉強」となった英語も楽しくておもしろくて仕方ありませんでした。学校での勉強だけでは物足りず、高校英語を先取りもしていました。個人塾に通わせてもらったのですが、こういうお願いは親は大喜びしますよね。
加えて、英語の教科書が音読されたカセットテープを学校の英語の先生に頼んだか何かで手に入れて、毎晩「ネイティブ英語を聴く ⇒ 発音をまねたモノを録音する ⇒ 聴き比べてさらに練習を重ねる」というマニアックな遊びに夢中になっていました。
英語に夢中になっていたあの時間と、「中学卒業したら外国に行って何ヶ国語もマスターするんだ~」という未来を想像する時間が唯一の至福の時間で、ほかのイヤなことはすべて帳消しになっていた気がします。
恵まれていた私は、夢を叶えるためにと、高校から海外に出してもらえました。しかしそこで初めて、自分がどれだけ頑張っても努力してもどうにもならないことがあることを思い知らされます。正確には、高校以前からずっとどうにもならなかったのですが、少なくとも 正しく努力さえしていれば 応援してもらえる環境にいたことを思い知らされたのです。努力という免罪符がまったく使えない世界というのに大きなショックを受けましたが、それは海外に出たからとかいうカルチャーショック的なことではありません。
そうしていろいろあって、何十年も経ち、気がつけば50歳を過ぎた今もまだ「ここ」にいて、いろいろ思ったりしているのですが、仮に「ここ」以外のどこかにうまく移り住めていたとしても、私はきっと満足できなかったのではないかな、、と最近ふと思うのです。なぜなら、どうやら私は「動いている状態」に心地良さや生きがいのようなものを感じるようだからです。
高校や大学時代にいた海外でも、流れていく雲を見ながら「あぁどこかに行きたい、、」と思っていました。私はきっと、もともと「停滞しているように感じる状態」に耐えられない人なのだと思います。飽きてしまうのかもしれません。確かに「停滞状態」は窮屈に感じます。そして「どこかに行きたい」という強い衝動に駆られるのです。
じゃあ「英語」はなんだったのかな、、、(笑)
まあそこは置いといて、(英語は純粋に好きだっただけだと思いますが)、この「動いていたい」という衝動、どうにかならないだろうかな、、と真剣に考えている今日この頃です。
なんだか無駄に長い脳内整理になってしまいましたが、その目的は、やはり自分自身を納得させることでありましょう。100% 納得して、健康寿命が尽きる前に、自分が満足できる生きかたを始めたいのです。父が亡くなったからか、母の老いを目にしているからか、焦りを感じているのだと思います。「こんな生き方をしたい」と思ったら、ぱっと行動に移せるほどの体力も無鉄砲さももうありません。しがらみだってあります。
衝動的に「どこか行きたい」とすぐ思ってしまいますが、じつは深い意味はなく、ただ単に「ちょっと中距離ドライブしたい」とかいう類のものだったら笑いますよね。逆にその程度のものだったらありがたいんだけど(笑)😅