『体育教師を志す若者たちへ』後記編4 部活動の地域移行を考える③
前回は部活動の地域移行に関わって、「戦後の日本、および長野県の地域スポーツ振興の歩み」について、「(3)1998年長野冬季五輪」まで書きました。今回は以下の(4)以降です。
(4)2002年頃 総合型地域スポーツクラブ設立の動き
(学校五日制開始)
(5)2021年 東京オリンピック、パラリンピック
(6)2023年~ 今回の部活動地域移行開始の取り組み
(7)2028年 2巡目の長野国体
(4)2002年頃 総合型地域スポーツクラブ設立の動き
2002年、学校五日制が完全実施となってスタートしました。それに先だって文科省は、「学校五日制は子どもたちを家庭へ帰すことが目的なのだから学校教育としての部活動は土日の休日にはできなくなる」ということを言い始めました。部活動を楽しみに頑張ってきた子どもたち、そしてそれを支えてきた保護者や先生たちは、これは大変なことになると動揺し始めます。なんとかして休日の子どもたちに部活動をさせられないものか、県民の要望を受けて長野県教育委員会としても一生懸命考えたようです。そして県教委は動き出してくれました。
当時、文科省の主導で総合型地域スポーツクラブ設立の動きが全国的に進められていました。そのモデル事業は1995年~2003年にかけて進められたようです。総合型地域スポーツクラブは中学校区単位でその設立が進められようとしていたので、長野県教育委員会では各地区の指導主事が手分けをして各中学校を回り、校長や部活動係主任に次のように対策を紹介して回りました。私は当時I町の中学校にいて部活動係主任をしていたので、校長室で指導主事からその説明を受けました。
休日に中学生がこれまでの部活動と同等の活動をする方法として、部活動の保護者会で社会体育クラブを作り、社会教育として活動させることができる。その社会体育クラブの考え方と作り方についての説明があり、これからは学校教育としての部活動ではなく、日本も欧米のように地域スポーツクラブを発展させていく必要があるという話でした。そしてその保護者会による社会体育クラブは、これから各中学校区単位で設立されていく総合型地域スポーツクラブに所属していくようにするとよい。学校教育と社会教育の違いを大事に考えること、そして総合型地域スポーツクラブの「総合型」とは、成長期の子どもたちに一つのスポーツ種目だけさせるのではなく、このクラブに所属することによって様々なスポーツを体験していくことができるようになるということで薦められました。子どもたちの発達にとってはバラ色のような話でした。
私は当時中学校職員の代表としてI町で進められつつあった総合型地域スポーツクラブの準備会にも時々参加させていただいていました。ひとつ問題点は、総合型地域スポーツクラブは受益者負担=会費制が原則なので、如何に会費を安くして参加しやすくするかということを検討した覚えがあります。そしてこのクラブの運営資金として、2001年から始まったサッカーくじの収益金が回ってくることになっていました。確かI町には年間200万円くらいが割り当てられる話になっていたように記憶しています。
保護者会による社会体育クラブの設立
私はこの話を受けて、校内の各部活動顧問に伝え、私自身も陸上部の保護者を集めて希望があれば地域陸上クラブが設立できるという話を進めました。社会教育としてのクラブを設立する上で一番大事なことは、学校や顧問の指示でそれを作るのではないということ。それが社会教育の原点であり、私は社会教育法をコピーして陸上部の保護者の方たちに配り、社会教育とは何かということを一緒に学習しました。そしてクラブの指導者をだれにするかはクラブの責任者たちが決めることであり、私は委嘱されれば指導者として活動するが、指導が適切でないと判断したらいつでもクビにしてほしい、そしてスポーツ少年団のように保護者も遠慮なく指導者として活動できますという話をしました。
クラブの名前は「〇〇ジュニア陸上クラブ」となりました。原則としてI中学校区の小中学生ならだれでも加入できる規約を作りました。私はこのクラブの利点を大いに生かそうと考えました。陸上部員の弟さん、妹さん(小学生)が加入してきたこともあります。そしてシーズン中は1~2カ月に1回ほど、休日に中学校の校庭で「〇〇ジュニア陸上記録会」を開催していきました。私が開催要項を作り、参加希望者が種目を選んで申し込みをします。それを受けて私が当日までにプログラムを作ります。もちろん記録が公認される大会ではありません。中学生がルールを学んで審判をするのです。それが大事な経験です。陸上好きの保護者も審判をしたり、子どもたちの世話をしたりしてくれました。そしてわずかですが、この情報を聞きつけて小学生も参加してくれました。スターティングブロックなど使ったことのない小学生たちですが、中学生が付き添って使い方を教えてスタートラインに着かせます。また、中学校の陸上部員ではない、挑戦意欲のある生徒も陸上部員に誘われて記録会に参加して競い合うことがありました。これが地域クラブの良さなのだと実感しました。もちろん私の本業は体育教師なので、部活動の休日版程度のことしかできませんでしたが、有意義な活動になってきました。
学校五日制スタート
さて、いよいよ学校完全五日制が始まりましたが、文科省は休日に部活動ができなくなるのは問題だという全国からの批判を受けて方向を修正します。土日のうち、どちらは1日の半日程度なら活動して良いということになりました。また、長野県ではこの範囲で顧問に休日の部活動手当を出すようになりました。顧問が社会体育クラブの指導者として指導に当たる場合はボランティアですが、部活動として行う場合は手当が出ます。部活動なら保護者に負担をかけることもありません。そこで私を含めて多くの部活動顧問は、休日(土日のうちどちらか1日)はできるだけ部活動として行い、学校の都合で部活動のできない休日や平日の放課後、例えばまだ次年度の顧問が決まっていない春休みなどや下校の早い冬期間などに社会体育クラブとして活動するようになっていきました。私の陸上部では、先の「〇〇ジニア陸上記録会」の時や、冬期間の放課後に部活動がほとんどできない数ヶ月間は、週に1回程度活動するようにしました。長野県の場合は6時間授業をして帰りの学活が終わると4時半頃になってしまいます。この時刻は冬期はほぼ日没時刻に近いので、放課後は部活動なしとする期間が数ヶ月ほどあります。
こうして休日の活動もこれまでのようにできるようになりましたが、総合型地域スポーツクラブについては、あてにしていたサッカーくじの収益金がクラブへはほとんど回ってこなくて、多くは計画倒れになってしまいました。それが現在でも続いています。組織は一応できたものの、資金不足で当初計画していた地域スポーツクラブの中核にはなり得ていない状況が多くの市町村にあります。
保護者会による社会体育クラブの動き
一方、保護者会の責任で行う社会体育クラブは独自の動きを始めます。学校の部活動だけでは練習時間が足りないと考える一部の保護者や指導者(多くの場合部活動顧問)が部活動の延長として社会体育クラブを行うようになっていったのです。例えば夕方6時半までが部活動なら、その後社会体育クラブに切り替えて7時半まで行うといった感じです。休日は土曜は部活動として行うが、翌日の日曜も今度は社会体育クラブとして行う。その結果、そこまではやりたくないと感じる保護者、子どもたちからは悲鳴の声があがり始めました。その声が新聞で取り上げられたり、県教委へも届けられました。
しかし、この社会体育クラブは希望する保護者や子どもたちが社会教育として行っている活動であり、学校や教育委員会がとやかく言えるものではありません。ただし、部活動なのか社会体育クラブなのか曖昧で、部活動に入部すれば社会体育クラブにも入らなければならないといった雰囲気のクラブもあったため、その区別はきちんとするように県教委が通知を出しました。それが2012年に出された「社会体育として活動するための組織4原則」です。
①規約が制定されている(〇〇クラブ) ②学校職員以外の者が責任者
③スポーツ安全保険に加入する
④活動する生徒を募集する(部員=クラブ加入ではない)
この原則はスポーツ少年団なども同じでしょう。これによって私の知るかぎりでは県内のほとんどの学校では部活動と社会体育クラブの区別がされるようになっていったと思います。
それでも社会体育クラブはやりすぎだと考える保護者たちの声は止まりませんでした。地元新聞でも大々的に取り上げ、県教委も新たな動きを始めました。ここからが大事なところです。2014年、長野県教育委員会は「長野県中学生期スポーツ活動指針」を出します。この指針は発育期の中学生に合った部活動にすべきという点では大方は好ましいものであり、活動時間や休養日のとりかたについては後に出るスポーツ庁の「運動部活動に関する総合的なガイドライン」とほぼ同じです。しかしひとつ大きな間違いを犯してしまいました。それは、2012年に出した「社会体育として活動するための組織4原則」を撤回し、「部活動の延長としての社会体育クラブを廃止する」としてしまったのです。
部活動を延長して長時間の活動にしたり、あるいは休日の土日2日間とも活動させたりするなどということはもちろん問題です。しかし、社会教育として活動している団体に、そのやり方は間違っているから組織を解散しなさいということは、体罰事件など犯罪的なことが起こらない限り、絶対に言ってはならないことでしょう。これは、教育基本法第十二条(社会教育)「個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」に明らかに違反しています。教育委員会や学校が気に入らない社会教育団体を解散させるなどということはあってはならないことで、それは戦前の教育と同じです。学校の部活動とは別の組織、別の活動になっている団体なのだから、その組織の行方はそこに参加している人たちが考えて決めていくことです。そのクラブの主旨に賛同できなければ加入しなければいいのです。私はこれまで勤務校の部活動係主任として、入学してくる1年生の部活動説明会で部活動と社会体育クラブの区別と関連についてはかなり意識して話してきました。
しかしながら長野県内の多くの中学校、市町村教育委員会はそのことを理解せず、多くの社会体育クラブを解散させ、県教委の指示通りに「部活動に一本化」してしまいました。私の勤務していたS市でも、市の部活動連絡会議でこのことが話題になりました。しかし私がこれは法的に間違っていると指摘したところ市の教育委員会の方たちは納得し、部活動と社会体育クラブのそれぞれの良さを生かして、どうしたら過熱した活動にならないようにできるだろうかといろいろ考えてくれました。
また、地元新聞が盛んに過熱問題を報道していた頃、ある記者の方が私の職場に話を聞きにきたことがあります。その時も教育委員会や学校が社会教育のクラブを潰すことなどやってはいけないことだということを話すと納得して帰って行かれました。しかし、新聞社として社会体育クラブ反対のキャンペーンを大きく張ってしまっていたので方向修正はできなかったようで、私の意見は記事にはなりませんでした。
小平奈緒さんの中学時代
昨年から今年にかけて、スピードスケートで活躍して昨年引退した小平奈緒さんが幼少の頃からの成長の過程を振り返った手記をその地元新聞が連載しました。彼女が中学校時代にどんな部活動をしてきたのか、私は興味深く読ませていただきました。彼女の中学時代はちょうどこの部活動に関わっての社会体育クラブができたり、その過熱問題が指摘され始めていた時期だったはずです。手記によると、彼女は学校の部活動を終えてから地域のスケートクラブへ通って夜遅くまで練習し、そしてまた休日には遠方の長野市のMウェーブ(長野冬季五輪が行われたスケート場)まで通うなど、膨大な時間を練習に費やしていました。平日学校のある朝も練習していて、始業ぎりぎりに登校してくる日もよくあったようです。
大事なことはこうした練習がすべて本人の意思で行われていて、家族を含め、周りの人たちがそれを支えきたということです。けっして大人が強制してやらせたのではない。そこが素晴らしいとともに、私は自分の意思でここまでやりきれる人が世の中にいるんだ、さすがに世界一の五輪選手だけのことはあると驚きました。しかしながら、もし彼女の練習がすべて部活動だったら、たとえ本人が希望したとしても学校教育としてさせてはいけないことでしょう。その道は選択可能な社会教育だからこそできるのです。今回問題にしている保護者会による社会体育クラブも、県教委自らが提起した「社会体育として活動するための組織4原則」を遵守し、純粋な社会体育クラブへと成長していけるチャンスだったはずです。
県教委が社会体育クラブ廃止に動いた理由として、「責任の所在が曖昧」、「万が一の事故や怪我の時に保障できない」などと言っていましたが、先に述べたように社会体育クラブの活動時には当番の保護者と指導者の大人2人が 必ずついて活動しています。スポーツ少年団なども同じでしょう。それに対して「一本化」された部活動では、顧問が忙しくて大人が誰もついていない危険な時間が一層増えることになるのです。「組織4原則」を満たしているにも関わらずそれがいけないというのなら、スポーツ少年団などもだめなはずだし、小平奈緒さんの活躍を讃える資格はないでしょう。
この問題は、せっかく立ち上げた社会体育クラブを廃止させた県・市町村教育委員会や当該中学校の問題とともに、その指示を受けて簡単に解散してしまった社会体育クラブの責任者たちにもあり、ともに社会教育に対する認識や自覚、責任が未熟だったことによる残念なできごとだったと言えるのではないでしょうか。しかしながら、その教訓が今回の部活動の地域移行に生かされていくことになります。それは後ほどお話しします。
(5)2021年 「2020東京五輪」
コロナ禍、五輪運動なき商業五輪の結末
1964年東京五輪の機会にスポーツ少年団が誕生したように、2巡目の2020大会では五輪運動として新たな国民スポーツの振興がはかられるべきでした。2012年に大阪桜宮高校のバスケットボール部で自殺事件があり、指導者の体罰が全国的に問題になりました。IOC総会で東京大会招致が決定したのはその翌年の2013年です。NHK解説委員の刈屋富士雄さんは2014年の正月3日、ラジオで次のように話していました。
「今度の東京五輪では、メダルをいくつ獲得するかということは問題ではない。2回目の東京大会だからこそ、五輪運動が東京でどう実現されたかが問われ、国際的に注目される。それは特に青少年の日々のスポーツ活動の問題だ。今の日本では学校の部活動を通してしかスポーツができず、卒業すればスポーツと縁のない生活に入っていく。社会に出るとごく一部のスポーツエリートにしかスポーツの機会が保障されていない。その状態が64年の東京大会以来50年も放置されてきた。学校の部活動では顧問を選ぶこともできず、閉塞感の中で体罰も起きている。もっと広く地域のスポーツクラブを充実させ、国民がスポーツに親しんでいく制度を作っていかなければ東京で五輪運動が広まったことにならない。それができなければ、『オモテナシ』どころか『オハズカシイ』となってしまう」。
予想通り「オハズカシイ」大会になってしまいました。『体育教師を志す若者たちへ』の本文第3章「体育理論」でも書いたように、コロナ禍で大会開催自体が危ぶまれる状況であれば、大会は中止、あるいは親善大会程度に留めて、他の五輪運動を新たに構想して展開すべきでした。五輪憲章の中で、競技大会は五輪運動のひとつとして位置づけられているにすぎません。今回の2020東京大会では、日本国内の五輪運動として中高生のための新たな地域スポーツの枠組み作ること、そして国際的な五輪運動・平和運動としては、手をさしのべなければならない地域がたくさんあります。そうした五輪運動をネットを通しても発信できたはずです。
しかしながら強引に競技会だけやって終わりにしてしまいました。問題なのは、かつて大島鎌吉が1964年に「宴の後」と嘆いたことと同じことが今再び起きていることです。実は2020東京五輪はまだ終わっていないのです。五輪憲章には、開催都市の五輪運動は次の開催都市が開催年を迎える日の前日まで進められると書かれています。つまり、2020東京大会の五輪運動を進める期間は2023年12月31日までです。翌日の2024年1月1日からはパリがそれを引き継ぐことになるのです。とすれば、現在進められつつある部活動の地域移行は今からでも2020東京大会の五輪運動の一環として位置づけることができるはずで、その視点から予算化もすべきでしょう。そうすれば大きく前進することができます。しかしながら、スポーツ庁やJOCのHPを見てもそうした関連でとらえようとしている記述は全くみられません。2020東京大会は青少年の地域スポーツ振興の大きなチャンスであったのに、それが生かされていないのです。
とはいえ、スポーツ庁は部活動の地域移行に乗り出しました。昨年12月に出された「学校部活動及び新たな地域クラブ活動のあり方に関する総合的なガイドライン」(スポーツ庁)をどう読み解き、どう進めるべきか、その具体的なことを次回お話しします。
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