『体育教師を志す若者たちへ』後記編8 5.25事件から考える教師の仕事
『体育教師を志す若者たちへ』を教員養成大学の授業でとりあげてくれた私の研究仲間から、学生の質問に答える内容を含めて特別講義をしてほしいと依頼があり、7月下旬に行ってきました。
90分の講義で何を話すべきか? 私がまず考えたことは、私の住む長野市の隣の中野市で今年起きた凄惨な事件について触れなければならないだろうということでした。事件が起きたのは5月25日。31歳の若者がウォーキングで家の前を通りかかった女性2人をナイフで殺害し、かけつけた警察官2人も猟銃で撃ち殺してしまった事件です。「『ぼっち』と自分をばかにしていた」と思い込んだ恨みからの行為でした。私の特別講義はその事件からちょうど2ヶ月後になります。
事件が起きたとき私がまず思ったことは、事件を起こした彼はどんな中学校時代を過ごして、どんな中学生だったのだろうかということでした。長野県北部に位置する地域で、この近辺での教職員の人事交流を考えると、彼も私の勤務してきた中学校と大差ない中学校教育を受けてきたはずです。確認はしていませんが、私の知っている教師で彼を知っている人はいるだろうと思います。私たちのやってきた学校教育で彼の成長にマイナスの影響を与えたことはなかったのだろうか、そのことを考えてみたいと思いました。彼は私の勤務していた中学校の学区内にある高校へ進学し、卒業しています。その高校へは私の教え子もたくさん進学しているので、彼を知っている私の教え子もいるだろうと思います。
事件から1ヶ月となる6月24日~26日、地元の信濃毎日新聞は3日間連載で、「『ぼっち』の棘」と題して特集を組みました。この1ヶ月、記者たちは彼がどんな生い立ち、そして小中高校生活を送ってきたのかを徹底的に調べたようです。しかし、高校を卒業するまでは原因となるような大きな問題はみつけられなかったようです。彼は物静かでまじめな子、中程度以上の高い学力がありました。自分から積極的に人と関わっていくことは苦手でしたが、そういう生徒はどこの中学校にもいます。高校では山岳部に入り、頼りになるしっかりした生徒だったとの記述もありました。彼と関わってきた知人や教職員たちからは、今回の事件のきっかけとなるような成長の大きな歪みはみつけることができなかったのです。
事件が起きて彼の中学校の卒業文集の内容が報道されました。その中で彼は、まず大事なのは命、そして次はお金と書いています。その第2のお金のことはかなり詳しく書いています。精神科医の分析で、これは親のエゴがそのまま彼に映っているとの報道もありました。しかしだからといってそういう子が事件を起こすとは限りません。文集の後半は野鳥観察のマニアックな内容で学力の高さが伺えます。そして中学校の思い出は最後の数行だけで、本人もこれでは中学の卒業文集にふさわしくないだろうと締めくくっています。確かにそういう面からは特殊な感じはしますが、長い教員生活をしてきた私から見れば、そういう生徒はいます。
私たち教育関係者が考えるべきこと
彼は高校を卒業してから一浪して関東の情報通信関係の大学へ行きます。そこで人との関わりをうまく構築できず、「『ぼっち』とばかにされた」、「アパートの部屋が盗聴されている」といった妄想をもつようになりました。そして大学を中退して長野の実家に帰り、家の農業の手伝いをするようになります。それから約10年の月日を経て事件を起こすことになるのです。
私たち学校教育関係者が考えるべきことは、人間関係作りが苦手だった彼が高校を卒業して地元を離れる際、あるいは地元へ帰ってきてから、そこで新たな人間関係を構築していく力が必要でしたが、彼はそれができなかったということではないでしょうか。この点から私たち学校教育関係者のやるべき仕事について考えてみたいと思います。私たちはだれでも気に入った仲間たちだけと過ごしている訳ではありません。学校にも、会社にも、地域にも、気の合わない、時には気に入らない人がいるものです。しかし私たちはそんな相手ともつきあっていく中でその人の良さをみつけたり、その人との間の取り方を学んだり、自分の要望をうまく伝える体験を通して関係を築いていっています。彼はそのことができず、相手をマイナス方向にしか見ることができずに、「ばかにされた」という思いを募らせてしまったのです。そこに猟銃を所持していたことやサバイバルゲームにのめり込んでいたことなどが負の連鎖となり、事件の引き金を引くことになってしまったように思われます。
最近の中学校教育で気になること
私は今回の特別講義で事件の概略を話した上で、学生たちに次のスライドを提示して問題を投げかけました。中学生から高校生にかけて自我の芽生えから自己を確立し、生きる力を醸成していくことが求められます。その際仲間との関わりや集団の中で、①「不満だが納得して我慢する力」や、②「不満・不合理なので、自分の考えを述べ、周りを変える力=自分も変わる」、といった成長をしていきます。しかし最近の子どもたちを見ていると、③「不満・不合理だが、めんどうなので我慢する」。あるいは、④「不満・不合理とも思わず、そういうものだと受け入れているが、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていく=生きづらさへと繫がっていく」、といった生徒たちがいます。
特におとなしい子、気の弱い子、仲間と関わることの苦手な子は、③④の方向へ行きがちです。そういう子たちには②の体験が是非必要なのですが、それが十分に保障されているとはいえません。教師も生徒が不満を言わず、おとなしくしていればよしとしてしまっていないでしょうか。
とかく教師は①を要求し、学級内の発言力のある生徒たちが②の力で学級を動かしていてよしとしてしまいがちです。今回の事件を起こした彼のような生徒たちに、私たち教師は②をどう保障してきたのかということを考えてみたいと思います。
体育授業における学習集団
そこで体育教師を目指す今回の学生たちに特別講義で次のことを聞いてみました(スライド参照)。体育の授業を進める際に班やチームはどうやって決めるかという問いかけです。
しばらく学生どうしで相談し合う時間をとった後、返ってきた回答に私は少々驚きました。15名の学生全員が、教師が決めるというのです。具体的には授業の中で生徒たちを並ばせて順番に班を割り振っていく、あるいは班対抗の試合のあるチーム編成などではチーム間のレベルが均等になるように教師が割り振っていくと答えました。なぜそうなのかと聞くと、自分たちが中学や高校の時はそうやってきたからだというのです。今回の学生たちの受けてきた体育授業がたまたまそうなのであって、世の中の多くの体育授業ではそうではないのかもしれません。しかし、今回の私の特別講義がなければこの学生たちが体育教師になった時に自分の経験してきたやり方で班(チーム)編成をしていくのではないかと思いました。
学校は民主主義を学ぶ場です。特に班内で協力し合ったり班競争を楽しむ場面では、その集団がそれでいいのか、生徒たちに聞く必要があります。彼らに班編成を任せたり、意見を聞くことを通して、「今は不満だけと納得して我慢する力」や「不満なので意見を言って変えていく力」をつけていくことができるのです。これは学級内の日々の生活班も同じです。
今回私が学生たちに体育の授業の班編成について問うた理由のひとつに、実は学級の生活班で日々そうした体験をさせていなかったり、生活班そのものがないという学級が最近出てきていて、私はそのことを知って問題を感じてきていたことがあります。この学級経営の問題については後で触れます。
体育の授業では特に仲間との関わりも大事な学習になります。球技やリレーなどのチーム競争のある授業では自分がどのチームに所属するかは生徒たちに大きな心理的影響をもたらします。それにも関わらず生徒たちに学習の班をどうするか意見を聞かず、教師が一方的に決めているとしたら、それは先に述べた、③「不満・不合理だが、めんどうなので我慢する」状態となり、あるいは、④「不満・不合理とも思わず、そういうものだと受け入れているが、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていく=生きづらさへと繫がっていく」ことになります。今回の学生たちが班を教師が決める体育授業しか体験してきておらず、そして自分も体育教師になったらそうするというのは、まさに彼ら自身「不満・不合理とも思わず、そういうものだ」と受け入れてきてしまっているのでしょう。彼らはそれでよかったとしても、そうとは感じず、こうしたことの積み重ねで知らず知らずのうちにストレスをためていく生徒もいるはずです。そして教師はそれを変えていく体験をさせていないのです。そこで私が体育の授業で行っている班編成の手順をスライドで示しました。めんどうな作業になりますが、これが民主的な手続きだと思います。
学級における生活班
私が退職する数年前から気になっていたことがあります。それは学級経営において生活班を決めていない、あるいはあっても班長や班の中の役割分担が決まっておらず、学級生活の中での班活動が行われていない学級が目につくようになってきていたのです。これが全国的な傾向なのか、あるいは私が経験した周辺だけのことなのかは分かりません。
私が体育の授業を進める時に、この単元は生活班で進めてもいいかなと生徒たちに聞くことがありますが、「生活班はありません」とか、「班長は決まっていません」という学級があるのです。それでいいと考えている学級担任がいるということです。私が教師になった頃は『学級集団作り』の本を読んだり、生活指導サークルで班活動による学級作りを学んだものですが、最近は個別化教育の風潮の中であまり重要視されなくなってきているのかもしれません。大学の教職教養でも、そのことの重要性を認識して講義で扱っている教員は少ないという話も聞きました。
もしこうしたことが全国的な傾向であるのなら、民主教育の後退として危機感をもつべきだろうと思います。今、学級の生徒たちの座席はどのように決められているでしょうか? 入学・進級当初は教師が仮の席として決めますが、その後はどうでしょうか? くじ引きで決めるのが当たり前と考えている教師が多いことを反映して、今は職員室の教師用パソコンには座席のくじ引きソフトが入っているのです。くじ引きが当たり前と思っている教師や生徒たちは修学旅行の班編成といった重大事案となった時に慌てます。生徒も合意した上でうっかりくじ引きで決めてしまってから、大波乱となってしまった学級をわたしはいくつか見てきました。
学級の班や座席をどうするか、いつ変えのるか、班内の係や班長はどうするか、給食当番や清掃分担はどうするかなど、学級で民主的に決めていくべきことはたくさんあります。それには時間がかかりますが、その時間がない、あるいはその時間をとろうとさえしない教師が増えているように思います。
道徳の教科化、教科書使用がそれに拍車をかけています。以前は学級の問題が起これば道徳の時間を使っても解決を図ろうとしてきました。しかし道徳が教科化し、教科書をこなさなければならないので、学級の時間として自由に使えない、あるいは使おうとさえしなくなってきている傾向があります。そして学級活動の時間や総合の時間はキャリア教育や学年行事の準備で忙しく、学級で問題が起きても話し合っている時間がなかったり、その時間をとろうとせず、個別指導だけで済ませている教師が増えているように思います。毎日ある朝夕の短学活も連絡だけという学級が多くあります。
数年前、私が退職する年に1年生のある学級で生徒指導上の問題が起こりました。そしてその学級では、二学期になると授業中に席を立って歩き回ったり、私語が止まらない状態が目立つようになり、大変な状態に陥っていきました。私は体育の授業を持っていたので、この学級では生活班はあっても形だけで機能としていないことを知っていました。そして学年会で対応を検討する中で、こういう状態になるまで学級で学級の問題を話し合ったことがないということが分かってきたのです。これには驚きました。
多数決が民主主義だと思っていないか?
私が学級担任として新しく学級を持った時や生徒会体育委員会の顧問をしていて生徒の司会で何かを決めようとする時に気になることがよくあります。それは、生徒たちはろくに話し合いもしないで、あるいは反対意見があるにもかかわらず、すぐに多数決で決めようとするのです。たぶん小学校の時からそう教えられてきているのでしょう。一方で日本の国会運営を見ていると、「多数の横暴」とか「強行採決」といった見出しのニュースをよく目にします。簡単に多数決で決めてはいけないというのが民主主義であり、そのことを子どもたちに教えていかなければならないはずなのに、そうした教育がされていないのです。少なくとも多数決をしなければならない時には、「この議案は多数決できめてよいか?」ということを全員に聞く手順が必要ですが、そのことさえ教えられていません。
体育の班編成に戻って考えてみましょう。スライドに示した手順で編成作業を進めている時、だれかが「この班ではいやだ」(理由をつけた上で)と言ったら、その子が納得するまで話し合ったり調整したりしなければなりません。あるいは、「とりあえずこの班で進めて、様子みてまた考えていくということでよいか?」と提案して納得してもらうこともあるでしょう。こうした話し合いを通して、自分は我慢すべきか、主張すべきか、どんな意見を言えば変えていくことができるのだろうかということを学んでいきます。それが、先に述べた③「不満・不合理だが、めんどうなので我慢する」あるいは、④「不満・不合理とも思わず、そういうものだと受け入れているが、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていく(=生きづらさへと繫がっていく)」ということを極力なくしていく手立てになります。
そうした手順を踏んで決めた班であっても、技能差や興味関心の差のある集団で授業を進めていくと、様々な問題が起きてきます。そこでひとりひとりの思いを聞き出し、集団で考え、支え合っていく学習が展開されていきます。日々の授業におけるひとり1人の思いを知るためにも、「書かせる」という作業が必要になってきます。おとなしい子や仲間と関わりをもつことが苦手な子は黙って我慢してしまいがちです。だからこそ、日々の身近な生活班での活動や授業における小集団での活動の中で自分の意見を集団に反映させたり、時としては班長として仲間をまとめていく経験が大事になってくるのです。
5.25事件の原因を本人の特殊性だけで見てしまっていいのでしょうか。身近なところで起きた事件であるからなおのこと、学校教育関係者として日々の学校教育のあり方を総点検してみる機会ととらえる必要性を感じています。
最後に、彼は中学時代に野球部に所属していました。キャッチャーをしていたとのことですが、それが3年生の大事な大会を控えて外されます。これまで述べてきたように、学校は民主主義を学ぶところです。部活動の場で民主主義をどう学んできたのかということも問われなければならないでしょう。