見出し画像

『体育教師を志す若者たちへ』後記編16 水泳指導の本質とは何か?

 今年の夏も水の事故が相次ぎ、元体育教師として心を痛めています。そして前回までのブログでもお話ししたように、水泳授業の民間委託が進み、学校が命を守る授業実践・研究を放棄しようとしています。スイミングスクールのインストラクターに水泳指導を依頼することが話題になる際、インストラクターは水泳指導のプロ、教師は素人という言い方が簡単に受け入れられてしまっています。本当にそうでしょうか? 「教師は教育のプロ、授業のプロではないのですか?」、「そのプライドを投げ捨ててしまってよいのですか?」と問いかけたくなります。
 インストラクターの仕事は水泳連盟や企業の指導教程に従っています。それば上意下達で自分で新しい指導法を試みることは許されないでしょう。例えばスイミングスクールの指導法は能力別です。そこでは昨今いわれている異質協同の学び、様々な能力や個性をもった子どもたちが一緒に学習を進めていく指導を試みることはできないでしょう。一方で授業のプロである教師は常に新しいことを学び、子どもの反応を伺いながら新しい授業・指導法を開拓していきます。

 私たちの水泳指導法研究

 今年の夏に私の所属する学校体育研究同志会の全国研究大会が宮城県であり、私は水泳分科会に参加しました。水泳授業の民間委託に危機感をもち、何とかしなければという思いでこの分科会には初めて参加したのです。初日に数本の実践報告があり、翌日はプールで実技研修がありました。実技研修といっても誰か偉い人が教えるというのではなく、実践報告で行われた授業に添ってその指導の在り方をみんなで検証していく作業をしました。これまでこのブログでも紹介してきたドル平泳法についてその指導ポイントを確認していったのですが、新しい発見がありました。ドル平が開発されてもう50年も経ちますが、その指導法はまだ進化しているのです。今回はそのお話をしたいと思います。 

 浮いて息継ぎを繰り返す指導を最優先する

 今回のブログの表題を「水泳指導の本質とは何か?」としました。それは浮いて息継ぎを繰り返すことを最優先に指導すべきという当たり前のことなのですが、そのことが一般にはなかなか理解されていません。「蹴伸び」とか「バタ足」とか、「面かぶりクロール」などの動きの指導が優先され、人の体は浮くのか沈むのかさえ分からず、浮くためにはどうしたらよいか、そして息継ぎを繰り返すにはどうしたらよいかということが教えられていません。水中で進むためのフォームだけを教えて後で息継ぎをつけたせば泳げるようになると思っているのです。私たちは水泳の本質を最優先して指導します。しかしながらその指導内容はまだまだ進化しつつあり、教師仲間が知恵を出し合うことで新たな発見が生まれています。

 今回の水泳分科会での実技研修では実践レポートに従って息継ぎや浮き、そしてドル平、そこからの近代泳法までを一通り確認していきました。そこには教育系大学の学生も2人参加しており、2人の学生はすでに中学校での教育実習で水泳授業もやってきていました。彼らはドル平については知っていましたが、教育実習ではドル平を行っていません。それはなぜなのかということも話題になりました。中学校の水泳授業では泳ぎの得意な生徒もいます。そうした生徒たちがいるからドル平は必要ないと考えているようでした。ドル平は水泳の得意な生徒にも苦手な生徒にも学習が必要な基礎泳法であるという認識がないのです。水泳の得意な生徒も苦手な生徒も混在する異質集団での学習であるからこそ、ドル平という教材を使って水泳の基礎を確認し合い、そこからの発展について学んでいくことができます。今回の2人の学生は水泳が苦手ではなかったようです。しかし、伏し浮きから息継ぎを繰り返そうとすると筋肉質なためかなかなか浮いてくることができずに苦労していました。それをどう浮かせるかということが問題になりました。

 リラックスすれば浮くのか?

 ここで浮くためのいくつかの指導ポイントを確認しあいました。学生を除き、今回の分科会に参加してきていた先生方はみんなこれまでドル平指導を熱心にされてきたベテラン会員でした。しかしながら浮きにくい学生を前にしての指導について、私はどうも見解の違い、ズレを感じ始めていました。授業で出合う子どもたちの中には筋肉質でなくても痩せていてなかなか浮いてこない子どもたちが必ずいます。その指導のポイントがどこかズレている。それは何だろう。1日を終えて一晩じっくりそのことを考え続けた結果、ようやく先が見えてきました。そのことを3日目の最後の分科会で確認し合いました。  
 その認識のズレは呼吸、リラックス、浮力の相互関係にありました。それに関連した疑問が参加者から分科会の最初のうちに出ていました。その人はリラックスと浮くことの関係について疑問をもっていたので私が、「浮くかどうかはリラックスとは関係ない。それは体積と重量の関係で決まる」と言うと、彼は、「リラックスすると筋肉が弛緩して体積が増えるとか、力を入れて筋肉を収縮させると体積が減るとかあるのだろうか」と考えたようです。私も教員になりたての頃、ドル平講習会で自分が浮かないのに苦労していると先輩会員から、「リラックスしていないから浮かない」とアドバイスされました。そこから私の水泳研究が始まりました。もう40年も前のことです。
 リラックスの必要性は浮力とは関係なく、浮きやすくすめために重心と浮心の位置関係を近づける動作がしやすくなったり、お椀型の姿勢をとった方が浮き始めようとする動きに対して水の抵抗を受けにくなったりという利点だけだと思います。また、緊張している子どもは手を突っ張って手先や頭が水面上に出てしまうことがあり、そうなると水面上に出た体の部分の重さが体を沈める働きをします。

 肺の中の空気量の変化に注目する

 学生の伏し浮きから息継ぎの繰り返し練習を見ていると、最初に伏し浮きに入った時は綺麗に浮きました。しかし息継ぎをすると沈んでなかなか浮いてこない。これをどう考えるかがポイントです。こうした状況は水泳の苦手な小中学生にもよく見られます。この息継ぎ後に浮かない本質的な理由は肺の中に取り入れる空気量の変化なのです。リラックスの問題だと思ってリラックスだけ指導していてもなかなか改善しません。息継ぎが続けてできないこともあるので息継ぎの「パッ」を指導します。これは私も同じ指導をするのですが、この指導目的に認識のズレがあることに気づきました。水中で息を吐かず、口を出してからパッと正しく息継ぎをする目的は2つあります。ひとつは息が苦しくならないようにガス交換をしっかりすること。そしてもう一つは肺に空気をしっかり入れて浮きを確保することです。この後者の認識が薄いのではないかと気づきました。
 この問題はこれまで私が行ってきた水中呼吸の授業、そして以前紹介した「中性浮力」の実験で分かってきたことととも繫がってきて理解が深まりました。最初の伏し浮きではきれいに浮けるのに、息継ぎをすると浮いてこない。苦しくもないのに。それは息継ぎの時の吸気量が最初に伏し浮きに入った時とは違っていて少ないから浮力が不足して浮いてこないのです。伏し浮きに入る時には多くの人は胸のあたりが水面上に出ています。陸上の時の呼吸と同じです。そこでしっかり息を吸って伏し浮きに入っているから最初の浮きは確保できるのです。しかし、次に息継ぎをする時は胸のあたりは水面下です(図参照)。体が斜めになっていれば息継ぎで口を出したときに胸の辺りは水面下10~20cm位にはなっているでしょう。腹部はもっと下です。腹部は胸部よりも強い水圧を浮けています。吸気量を増やすには横隔膜を下げる腹式呼吸も重要ですが、腹部が圧迫されていればそれもかなりやりにくくなっているはずです。

息継ぎの時に胸郭は水面下で水圧を受けている。

 ベテランの先生方は子どもたちに伏し浮きをさせるとき、次のような経験があるのではないでしょうか。背の小さい子に首くらいまである深さのところで伏し浮きをさせようとすると最初からなかなか浮けない。しかしその子を浅いプールに連れて行って同じことをさせると最初からよく浮く。これは深いプールで立っている状態で息を吸おうとすると肺の位置は水深20~30cmほどにはなっているので水圧を受けて陸上の時ほど吸えていないのです。ところが腰の深さ程度の浅いプールでは胸郭が水面上に出ている状態で吸って伏し浮きに入るのでだれもが上手に浮けます。  

 水中呼吸の実践から学んだこと

 ここで以前紹介した私の水中呼吸の授業が生きてきます。この授業では水遁の術はできないことを実験で学びます。「人間は30cmも潜ると水圧で外の空気は吸えない」とスポーツ事典に書かれています。30cmで吸えないのなら、10cm,20cmでも吸いにくい状況が出ているはずでしょう。たとえ息継ぎでその時点ではさほど息が苦しくならない吸気量が確保されたとしても、その吸気量では浮きにくくなっているのです。
 子どもたちにドル平指導をしていて繰り返し息継ぎをして泳ぐ様子を見ていると、水泳の苦手な子は、息継ぎ毎に綺麗に浮ける時と、うまく浮いてこなくて苦労している時が見られます。そしてその繰り返しでだんだん上手くなっていっています。そのうまく浮かない時は、肺に空気が十分入らなかったからで、浮力の足りない状況を示しているのです。浮力をを確保するということはこれくらい微妙なできごとなのです。その微妙なことに眼を向けて指導していくことでみんな泳げるようになっていきます。それが「水泳指導の本質」です。  

ホースで水遁の術をやっても水圧で外気が吸えない

 「中性浮力」の実験を是非やってみて下さい

 どのくらいの吸気量の差でうまく浮けたり浮けなかったりするのか? これはたぶん50~100cc程度ではないか。私はこれまでの指導経験から、ほっぺを膨らませて口にも多く空気をいれる程度で違いが出ると考えています。
 「中性浮力」の実験については第2章の水泳のところで紹介しましたが、その時は体育教師なら一度はやってみたほうがいい程度に書いておきました。しかし今回の「水泳指導の本質」を理解する上で、教師なら是非やってみてほしいと考えるようになりました。ここでそのやり方を再度紹介します。「中性浮力」とは、水中で浮きも沈みもしない状態です。息をいっぱいに吸い込んでから全身を水に浮かせ、そこから息を少しずつ吐いていけば、どこかで体は浮きも沈みもしなくなり、それ以上吐けば沈んでいくことになります。その「浮きも沈みもしない」状態が「中性浮力」の状態なのです。当然それは人によって違うだろうし、その日の体調によっても違うでしょう。実験は次の手順で行います。
 ペットボトルの口に入る程度の細い30cm位の長さのホース1本と1㍑程度のペットボトルを用意します。ペットボトルには底の方から口の方へ50ccずつ目盛りをふっておきます。そのペットボトルに水をいっぱいに入れ、プールの中に入れて逆さに持ち、水中置換法ができるようにします。
 息をいっぱいに吸い込んで止め、口にくわえたホースからペットボトルの中へ、まずは息を100cc吐き入れます。そこで息を止めたまま、道具は手放して静かに水平姿勢になってみます。たぶんこの程度なら浮いてしまうでしょう。そこでまた最初からやり直しです。今度は150cc、その次は200ccというように50ccずつペットボトルに移す呼気の量を増やしていき、その都度道具を手放し、水平姿勢をとって浮力の状態をみていくのです。こうしてその日の自分の「中性浮力」における肺の中の残気量を決め出します。
 めんどうな実験ですが、その「中性浮力」の状態がすごいです。通常息を止めて水中に入ると浮くか沈むかの力が加わるため体が不安定になりますが、「中性浮力」の状態になると水中で体がピタリと止まります。浮きも沈みもしません。それはまさに「無重力」の感覚なのです。魚は自分の空気袋を使ってそれを当たり前に調節して生活しています。その「中性浮力」の状態でちよっと水を手で押してみると、押した反対方向へ体が動きます。不思議な感覚です。今までの水泳とは違った感覚の「水中遊泳」ができるのです。もしかしたら、それは自分が生まれる前、母親の胎内の羊水の中にいた時の感覚なのかもしれません。
 なぜ中性浮力の実験を体験することが大事かというと、中性浮力になる前後の呼気の量はどのくらいなのかが分かるからです。中性浮力の状態に対して浮く時の肺の空気の量、沈む時の空気の量がほんのわずかであるということが実感できます。そうすれば、ドル平指導における息継ぎの際のわずかな吸気量変化が浮き方に影響を及ぼすということが理解できると思います。

水泳指導の本質

 「人の体は浮くのか、沈むのか」と聞かれれば、「浮きも沈みもする。そのくらい微妙なのだ」と言えます。水難事故のニュースが時々報道されますが、遺体が浮いた状態で発見される場合と、水底に沈んだ状態で発見される場合があります。塩分のある浮きやすい海でも海底に沈んだ状態で発見される方がいます。それはごくわずかな肺の中の残気量、体脂肪や筋肉量、骨密度の実態、そして身に付けている衣服等に影響されるからだと思います。そのくらい微妙なレベルの浮力調節についてスイミングスクールでは教えられているでしょうか。私はこれまでスイミングスクールに通う水泳の得意な中学生をたくさん見てきましたが、自然な状態で自分の体が浮くか沈むかについて彼らはほとんど分かっていません。それは彼らが筋肉を使って身体を動かすことで浮き沈みを調節しているからです。スイミングスクールの指導法は競泳の指導法を基本としているからそうなるのだと思います。私たちは競泳選手を育てるために水泳授業をしているのではありません。

 手足を動かすことで浮きをとる指導と手足をほとんど動かさずに呼吸調節と姿勢調節で浮きをとる指導では指導法が本質的に違います。私たちは水泳指導の本質は後者にあると考えているのです。その学習は浮力に対する感覚を研ぎ澄ませて微妙な調節をしていく学習になりますが、誰でも習得可能です。それはちょうど箸をもつ微妙な指使いを誰もが習得できるようになるのと同じです。しかしその微妙な調節については教えない限り習得はできません。
 第2章で述べたように、私は中学校3年間の水泳授業の中で毎時間アップとして、「伏し浮きで息継ぎ10回」と「ドル平100m」をさせてきました。それは毎時間その日の体調や給食前後などで自分の浮き具合、沈み具合が異なるからです。うまく浮ける時と、ちょっと沈みやすいなと思うときがあります。中学校3年間では体も大きく発育し、体脂肪や筋肉、骨の発育変化も大きいので毎年浮きやすさが変化していきます。そのことを感じてほしいからで、ドル平における浮きやすさ、沈みやすさも変化しています。 

毎時間アップとして行うドル平

水難事故を想定しての着衣泳?

 最近では水難事故を想定して着衣泳の授業も行われるようになってきています。しかしふだんの授業で手足を動かすことで浮きをとる競泳型の水泳指導をしておいて、着衣泳の時だけこうすれば浮くという方法を示してもそれではいざというときに通用しません。その例がよく行われているペットボトルを使用して浮きをとる体験です。いざという時にペットボトルがあるとは限らないでしょう。何もつかまるものがない状態で水中に投げ出された時にどうすべきかを教える必要があります。また、もしペットボトルがあったとしても2㍑のペットボトル1本では浮きがとれません。その微妙な状態を指導者は分かっているのでしょうか。2㍑のペットボトルは2kgの浮力しか生み出しません。第2章で述べたように人間の頭は3~5kgあります。頭を全部出した状態でつかまって生き延びようとしても2㍑のペットボトルでは浮けないのです。ペットボトル1本で浮きをとるためには、背浮きの状態にして頭を水面下に半分近く入れること。目安は耳まで水に入れることです。そうすればペットボトル1本で何もせずに浮きをとることができます。そういう微妙な、本質的な部分の学習を曖昧にしてはいけません。私も授業でペットボトルを使わせることはありますが、ペットボトルの浮力と水面上に出す頭の重さとの関係でどうすれば浮けるかを考えさせています。

 こうした内容で授業を進めていきますが、授業展開は水泳の得意な子も苦手な子も一緒になってお互いの様子を観察しあいながら学んでいく学習過程が構想されなければなりません。それが教師の授業作りの仕事なのです。そんな授業をスイミングスクールのインストラクターに要求できるでしょうか? 
 今の情勢のままではそのうち学校にプールがなくなり、水泳指導の経験のない先生方が増えていきます。そうなってしまってから「そんな授業展開ををインストラクターに要求されても無理だ」と彼らに言われても手遅れです。


いいなと思ったら応援しよう!