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『体育教師を志す若者たちへ』後記編15 高知市小学生プール死亡事故を考える
今年の7月5日、あってはならない悲しい事故が起きてしまいました。高知市で小学校四年生の児童が水泳の授業中に亡くなりました。小学校のプールが故障していたため、近くの中学校のプールを借りて水泳授業をしていた際に起きた事故です。
安全管理、安全指導の問題はこれから様々な人たちによって検証され、裁判でも明らかされていくのでしょうが、私は水泳指導の在り方から問題を提起し、今回の問題が水泳指導の民間委託に拍車をかける事態にならないよう、その理由についても考察したいと思います。本当に「あってはならない事故」でした。亡くなった児童の保護者はインタビューで「全く安全意識がないし、危機管理もできていない」と学校側に不信感を示したとのことです。
立って息のできない深さでの事故
ニュースによると、児童の通う小学校のプールの深さは100cm~119cm,それに対して借りていた中学校のプールは114cm~132.5cmでした。亡くなった小学生の身長は低く110cmほどだったとのこと。今回は1クラス合計24人を3人の教師が見ているという恵まれた指導体制の中で起きました。泳ぎの苦手な14人に対しては2人の教師がつき、児童をプールサイドにつかまらせてバタ足の指導をしていました。亡くなった児童の周辺の深さは130cmあったとのこと。立っても息ができない深さのところでバタ足の練習をさせられていたのです。水泳の苦手な児童であり、プールサイドから手を離せばもう危険な状態になります。教師にそういう認識がなかったとすれば、まさに保護者の訴えるように、「全く安全意識がないし、危機管理もできていない」ということになります。
一般に教師1人で一学級の水泳指導をする時は教師は水に入らず、プールサイドから全体を見て指導すべきということが言われています。それでも個別指導の必要性を感じてプールに入ることも出てきてしまいがちですが、今回は2人教師がいたのですから、1人はプールサイドに上がって全体を監視すべきだったでしょう。
私はこれまでに中学生に水泳授業を行ってきましたが、中学1年生でも1m30cmの深さでは立って口を出すのに苦労する身長の低い生徒はいます。私はそうした際にはその生徒を浅いところへ移動させる対応をしてきました。立って息のできない水深のところで練習している児童がいるのに教師がプールに入ってしまっては目を離すことが起こるのは必然で、やってはいけないことでしょう。ここまでが安全管理上の問題です。
指導法の問題を指摘すべき
以上の安全管理上の問題は今後詳細に検証されて各学校でも対策がとられていくでしょうが、プールサイドにつかまってバタ足の指導をさせていたという指導内容の問題は今後果たして取り上げられていかれるのでしょうか。私はその問題を検討していかないと、また同じような事故が起こる危険性が出てくると思います。水泳の苦手な児童に対してプールサイドにつかまらせてバタ足の練習をさせるということは多くの学校で以前からずっとやってきていることだからです。
今回の問題は、水泳の苦手な児童に対して立って息のできない深さのところで授業を行っていたことに加え、その指導内容がバタ足の練習であったことによると考えます。泳げない児童に水泳指導で一番先に教えなければならないことはバタ足でも進むことでもありません。やるべきことは息継ぎ、呼吸の確保の仕方です。児童が「水泳が苦手だった」ということは、この児童は水の中で息継ぎを繰り返すことが苦手だったということです。そうした児童に対してプールサイドにつかまって2人の教師によってバタ足を指導がされていたので、子どもたちは一生懸命になってバタ足に力を入れていたことでしょう。当然脈拍も息も上がっていたはずです。その時にプールサイドから手が離れてしまえば息継ぎの苦手な児童が溺れるのは当然です。14人の児童に対して2人の教師がつくという手の入った指導であり、それに応じて児童も頑張っていた状況が予想できます。今回の事故は息継ぎのできない児童に先にバタ足を教えるという間違った指導法の犠牲者だとも言えるのではないでしょうか。教師2人ともプールに入っていたというのは指導に熱が入っていた証拠です。教師がもっと手を抜いていれば、子どもたちもバタ足を頑張らずに済んだはずです。
私がこのブログの第2章、水泳指導の項で述べてきたように、肺に空気が入っていれば浮くこと、その浮きに合わせて息継ぎをすること、そしてリラックスすることを最重要事項として最初に教え、まずはそれができるようにすべきです。この児童がそれができるようになっていたとしたら、たとえ今回のようなずさんな安全管理のもとであっても溺れることはなかったかもしれません。多くの小学校は浅く立てるプールですが、そこでも水泳の苦手な児童に対してこうしたプールサイドにつかまってのバタ足指導をしています。しかしそのプールでは安全であっても、海や川での水遊びでは今回と同じように足のつかない深さに遭遇することは出てくる可能性があります。安全管理さえしていれば今の指導法でよいということではありません。
水泳授業の民間委託に拍車をかけないために
この指導法の問題を放置しておくと「学校に水泳指導は任せておけない」「スイミングスクールに指導委託すべき」という方向に拍車がかかってくる可能性があります。しかしながら、スイミングスクールにおける息継ぎ指導は、私がこれまで実践してきたような「肺に空気をたくさん入れておいて息を止め、浮くのに合わせて息継ぎをする」というものではありません。スイミングスクールでは息継ぎの際に水の中で息を吐くこと、そして進むことを最初に指導しています。水の中で息を吐いてしまえば手足を動かさない限り浮きません。スイミングスクールでも、学習指導要領でも、水泳連盟の水泳指導教本でさえ、肺に空気を入れたまま自然な浮き沈みに合わせた息継ぎをさせていくという指導法をとっていません。泳げない子どもには浮きを使わせるなどして、まずは進むことを指導しているのです。
初心者が浮いて息継ぎをするためには水の中で息を止めておき、自然に浮くのを待ってそれに合わせて息継ぎをしていくことを最初に教えていくべきです。水の中で息を吐いてしまえば浮かないので、子どもたちは浮くために手足を動かして浮こうとします。そこで酸素をたくさん使ってしまい、息継ぎの不十分さも手伝って酸欠になり、苦しくなるのです。
近年学校の水泳授業にスイミングスクールのインストラクターを外部指導者として招く学校が増えてきています。その講習で学んだ小学校の先生方が児童に対して水の中で鼻や口から息を吐かせ、顔を上げて息を吸わせる息継ぎ練習を意識的に指導しています。私の務めていた中学校にはそうした子どもたちが大量に入学してきていたのですが、私が受け持ってきた生徒たちで小学校時代に25mも泳げなかった、あるいは25m必至で何とか泳げたという水泳の苦手な生徒がたくさんいました。中学一年生の水泳授業のオリエンテーションの際に、「水泳の苦手な人は?」と聞くとたくさんの生徒が手を挙げていたのです。その生徒たちに上記の呼吸法を教え、そしてまずはドル平で泳げるようにしてからその原理をクロールや平泳ぎにいかしていくとみんな泳げるようになりました。そのデータはこのブログの第2章に示した通りです。
そうした流れで考えるならば、「事故が起きたから指導はスイミングスクールへ」では解決になりません。学校でこそスイミングスクールなどとは違う安全第一の指導法があるということを教師は真剣に学び直す必要があります。その指導法は私も所属する学校体育研究同志会の「ドル平」泳法です。しかしながら私たちの研究成果や実践はなかなか広まってきていないという現実があります。その理由は先に述べたように、スイミングスクール、学習指導要領、水泳連盟の水泳指導教本とも異なるからです。残念ながら今回の事故を受けてこれらの団体が指導過程を再検討するとは思えません。現実は厳しいです。だからこそ、命を守る最前線にいる先生方が様々な考え方を広く学び、学校水泳はどうあるべきかということを自分たちの責任として考え直していく必要があると思います。
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