就活支援をする先輩は、ただただ自慢して、気持ちよくなりたいたいだけなのか。
ぼくは、後輩の就活支援活動をしている。
大学の名前を冠し、大学のキャリアセンターとつながっている、ある組織に属して活動している。またそれ以外にも個人的に、知り合いの後輩の相談に乗ったり、アプリを通してお願いされる知らない人からの「相談」に応じたりしている。
ほとんどの人は、その話をした時、「偉いね」とか「優しいね」とか「親切だね」とか、いわゆるプラスの言葉をかけてくれる。
しかし、ときにはいわゆるマイナスな意見を耳にすることもある。
「何様のつもりだよ」
「たかが学生のアドバイスに意味ってあんの?」
「自分が就活うまくいったこと自慢したいだけ」
「自分が終わった途端偉そうになるのウケる」
こういった言葉を直接言われたことはない。SNSの投稿で、見かけた言葉たちだ。
この言葉たちに対して、ぼくは複雑な感情を抱いている。当然だが、自分がやっている活動をこんな風に言われて、その言葉たちを肯定する気にはさらさらなれない。が、それと同時に、こういう言葉が出てくるのも一理どころか七理ぐらいあるなあと思う自分もいて、真っ向から否定する気にもなれないのだ。
この複雑な感情について書くこと。この複雑な感情にまかせて書くこと。それが本記事の意味である。
そう言いたい気持ちもすげえわかる
現にぼくは、相談をしてくれた方と話しているとき、「自分何様なんだよ」と思うことがよくある。というより、「自分何様なんだよ」と思いながら話している時間の方が多い。社会のことをよくわかっているわけでもなければ、自分のキャリアでさえよくわかっていない。
アドバイスが的確である自信なんてどこにもないし、カウンセラーの資格を持っているわけでもない。
そんな自分ごときに何ができるのか。まじで自分何様なんだよ。たかが学生の俺のアドバイスってなんの意味があんの?
という風に自信をなくすことなんて常である。
だからぼくは、偉そうに就活支援活動をやるやつが嫌いだ。そういうやつは、聞かれてもない自慢話を長々としたり、ちょっと就活経験があるだけですげえ上からものを言ったりする。そういった方たちとは理解しあえないと思う。そのあたりに関しては、SNSに書き込みをしていた人たちと意見が合っている。ぼくは、絶対にそうはならないようにしようと常に気をつけながら相談に乗っている。
(まあ、気をつけていると言っても、本当に気持ちよくなっちゃってる時は自分でもそのことに気づいていないのかもしれない。だから、自分が〈後輩相手に自分の自慢話を気持ちよく語っちゃってるイタい先輩〉ではないという保証はどこにもないけど。)
一旦まとめると、このように、学生の行う就活支援に対する否定的な声に対して、「わかるわかる」と思う部分は多々あるのだ。
でも反論したい
だからと言って、
「その通りです。ぼくたちは何の資格も経験も能力も無いのに、偉そうなことをやっている大馬鹿者たちです。」
と言う気もさらさら無い。というか、何なら
「こっちの思いも知らずによくそんなこと言えるな。このタコ!!」
ぐらいは言いたくもなる。
まあだって、、、自慢話で気持ちよくなりたいんなら、身近な後輩何人か連れて飲み行けばいいだけですからね。わざわざ就活支援活動とかせんでも。
それはそれで問題か。
話が逸れました。戻します。
別にぼくは、自慢がしたくて就活相談に乗ってるわけではありません。意味がないことをやっているとも思っていません。
明確な想いや自信があってやっているのです。
就活支援活動に対する想い
ぼくは、就活支援活動を、
「相談してくれた人の自己理解の手助けをしたい」
という明確な想いを持ってやっている。
ぼくは、就活で一番難しくて大切なのは、「自分を理解すること」だと思っている。自身の就活のときに、その難しさと大切さを痛いほど感じたのだ。現にぼくは、誤った自己理解のせいで、かなり苦しい就活を強いられた。そんな自分だからこそ、相談してくれる人には、少しでも正しく自己理解をして欲しいと強く思うのだ。
ぼくにできる「自己理解の手助け」とは、「その人の新しい側面を引き出して、形を整えて渡してあげる」ことだ。そのため、ぼくは相談の際、「こうしろ」とか「こうだ」とか言わないようにしている。なぜなら、相手のなかにあるものを引き出すためにそういった言葉は必要ないし、そういった言葉が「その人らしさ」を曇らせてしまうのではないかという不安を持っているからだ。
相手が喋りやすいように相槌を打ち、素朴な疑問から細かい揚げ足を取るようなものに至るまであらゆる質問をする。そうすることで、その人がまだ気づいていないその人の側面を引っ張り出すことを目標にしている。この過程に〈偉そうさ〉や〈自己顕示欲〉はあるだろうか。ぼくは、ないと思っている。
ぼくは、自慢をするどころか、相談において自分は一つも話さなくたっていいと思っている。言うなればよきインタビュアーになろうという意識で毎回の相談に臨んでいるのだ。
就活支援活動に対する自信
しかし、こんな言葉が飛んできそうだ。
「『相談相手の新たな側面を引き出すことが自分にはできる』という考えが偉そうで傲慢じゃないですか?」と。
これに関しては傲慢でも何でもなく、「ぼくじゃないと引き出せないその人のある側面」は間違いなく存在すると自信を持っている。この考えの礎になるのが、以前記事にもした「分人主義」という考え方だ。もし読める人は下の記事を読んでくれれば何となく理解できると思うし、そんな時間がない人は「分人主義」とググれば、簡潔に説明してくれている人がいるはずだ。
ぼくは、その「ぼくじゃないと引き出せないその人のある側面」を引き出そうと強く意識して相談を行っている。話の聞き方について勉強してみたり、毎回相談を行うたびに反省と改善を繰り返したり、事前の資料から質問を考えたりと、いくつかの工夫や努力をしている。これがぼくの自信につながる。
ぼくとの相談を通して自分の新しい一面に気づけたと言われたり、モヤモヤ考えていたことがぼくと話すことで形になったと言われたりすると、それはさらに大きな自信になるし、本当に心からやっていてよかったと思うのだ。この人たちのために、この瞬間のために、ぼくは就活支援活動をやっているのだと思う。
複雑な感情
ぼくは、「相談してくれる人の自己理解の手助けをしたい」という強い想いに基づいて、そのために確固な意識を持ち、工夫や努力をし、悩みや怖さとも向き合いながら、出来る限りのことを尽くしているという自負がある。そしてそれを、求めてくれる人もいる。
ただただ自慢して気持ちよくなりたいとか、そんなしょうもない思いのためだけにやれるほど楽なものではない。これ言って大丈夫かなとか、これは正しいアドバイスなのかなとか、そもそもどこまで言っていいんだ?とか一人で悩む。相談がうまくいくようにって準備にかなりの時間を費やす。そういった事情を知らないのに、小馬鹿にするような言葉で一蹴されるとそりゃ腹も立つ。
ただ、この自負は大きくなりすぎると危険だ。ぼくはただの学生である。何様でもない。偉そうにやってるやつのことは嫌いだ。もしかしたら自分はその偉そうな学生になっているのかもしれない。そもそも自分のやってることが正しいのかどうかなんてわからない。自分の意見は実は全部的外れで、相談してくれた人たちを悪い方へ悪い方へ導いてしまっているかもしれない。
だから、「たかが学生のくせに偉そう言うな」というような意見があることも仕方ないし、こんなことはやらない方がいいのかもしれない。
この真逆な感情が、同時に押し寄せてくる。コインの表と裏が同時に見えているみたいな気持ち。それが、ぼくの就活支援活動に対する感情であり、本記事でテーマにした複雑な感情の正体だ。
追記
文章中で、
ぼくはこう言った。
しかし、最近、責任を引き受けることを覚悟のうえで、『こうしろ』『こうだ』と言った方がいいのではないかと思う場面に遭遇することが多い。
どんな場面か。
それは、後輩がぼくに相談することで、「安心したい」と思っているのではないかと感じた場面だ。
こうした方がいいですか?とか、先輩はどっちがいいと思いますか?とか、どうすればいいですか?とか、そういう類の質問がされる時だ。今までは、「○○さんのやりたいようにやるのが一番だよ」とか、「最後は○○さんの判断に委ねるよ」とか言っていた。
ただ、自分の過去を振り返ると、そういう質問をしたときは、自分では答えが出せなくて外に助けを求めている時か、純粋にその人はどう考えるのかはっきり知りたい時だった。そんな時には、「引き出す」姿勢ではなく、その人の判断に影響を与えることの責任を引き受けた(自分の言葉がそんなに影響力を持っていると考えること自体、ある種傲慢なのかもしれない)うえで、はっきり「こうだ」と言ってあげることが求められているのではないかなと思った。
それに、シンプルに、言い切らない人の話は説得力がないし、その人を信頼しようと思えなくなるのではないだろうか。そして、そういった説得力の無さ・信頼感の欠如というものは、自分が本筋でやりたいと思っている「引き出す」ための会話に悪影響を与える。結果として、その相談自体が意味のないものになってしまうのではないかと考えた。
もちろん、これも諸刃の剣だ。それが行き過ぎれば、自分の忌み嫌っているような、偉そうに就活生にあれこれ言うやつになってしまう。また、もしかしたらその人の自己理解を妨げてしまうかもしれない。つまり、ぼくが言い切った内容を過信したり、素直に受け入れすぎたりすることで、その人の「らしさ」が失われるかもしれない。
(これは、相談相手の性格とかによっても、ある程度言い切った方がいいとか、逆にあまり言い切らない方がいいとか、変わってきそうだな。難しい。)
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