令和6年度航空大学校1次試験受験体験記
このnoteでは私が1回目に受験したR6年度の1次試験の振り返りを書いていきます。受験時の学力や環境は人それぞれだと思いますが、大学生あるあるの共通した悩みなども回想しています。ぜひ航大を目指しはじめている方や高校生にも読んでいただきたいと思います。航大を目指したいけど、大学生活との両立ができるのかなという不安を抱えている方も多いかと思います。具体的に書き記しますので、想像しながら読み進めていってくれると嬉しいです🔥
航大受験専門の予備校に申し込んだ
R6年度入試の勉強を始めたのは大学2年生の夏休み。当時航大受験専門の予備校で勉強する前にレベル確認として解かせられたセンター試験の問題は数学物理共に0点。高校時代数学は履修していたものの、あの有名な解の公式や因数分解でさえもすっかり忘れてしまっているほどだった。予備校の方との面談を終えて、一通りの学習計画を知った。勉強しなければならないことの多さと自分の実力との解離が激しくて、圧倒されていた。でも1年で合格したいという思いや、やる気だけはあったからメラメラしながら勉強を始めた。
勉強を開始した8月
まず着手しなければならなかったのは数学と物理だった。数学と物理を並行してやろうと思ったものの、力学からsinやcosが出てきて、数学を始めなければ全然理解できないという壁にぶち当たった。やっぱり物理と数学は並行してやると勉強の進行が遅くなってしまうことに気づいたから数学をMax powerでやり始めた。「これでわかる数学1A」の問題を解き始めたが、見たことはあるけど全部忘れたという苦しい感情に苛まれた。でもありがたいことに夏休みで実家にいたおかげで、高校の時に使ってたノートや資料を見ながら勉強できた。しかも自分が高校生の頃定期テストで毎回満点を叩き出していた記録を見て、やればできるという再確認ができた。スタートダッシュでいろいろとモチベが下がる中で、できていたものができないはずないって思えたことはとても大きかったと思う。1ヶ月で数学1の範囲が完璧ではないものの終えられたのだった。
夏休みが終わった9月
9月になって勉強拠点は大学寮になった。9月は寮の新入生受け入れ、大学生の学修支援の団体(以下IBS)の秋オリエンテーション、日本舞踊部の部長としての活動、学祭に向けての準備や練習、フル単、バイト週6。なんで航大受験するのにそんなバイト入れるの?って感じだけど、学費以外の金銭的な援助はなくて。まぁそんな感じでもちろん勉強する時間はなかった。物理に関しては「これでわかる高校物理」の本で力学を勉強してみたけど、結局数式がなに書いてあるのか分からなくて挫折。じゃあ「宇宙一わかりやすい高校物理力学・波動編」で物理勉強しようと思ったけど日本語弱者にとってあの文章の多さに負けた。高校で日本語極めたはずなのに完全に大学で英語脳になってしまった。結局物理はむずいっていう状態が続いて、でもやらない訳にいかないから公式だけ覚えておいた。簡単そうな問題も解いて分かった風にしていた。9月からは予備校で配布される「進捗確認テスト」があり、初級編を進めるように頑張った。数学は8月に進められていた分、進捗確認テストはできた。だけど、物理はなんじゃこれ状態。1問目から手をつけられなかったのはだいぶショックだった。このままだとヤバイと思い、 YouTubeに落ちてる物理の動画で基本問題を解いていった。そしたら問題の解き方が分かってきて、な〜んだ教材が合わなかっただけなんだと思えた。9月からは予備校に入塾している人たちと受験生活や勉強内容についてディスカッションする時間が毎週土曜日にあって、いい刺激になった。だが、みんなは自分より何百歩も先にいるんだなと思って悲しくなった。
学祭に明け暮れた10月と11月
本当に苦しい日々だった。まず、学祭の準備で失敗する訳にはいかないプレッシャー、IBSの企画で相当心理的にやられていた。寮の仕事も結構辛かった。mtgが結構多めで勉強時間を確保したい中、他人に仕事を任せっきりするわけにもいかず、こっち精神的にも身体的にもボロボロになった記憶しかない。中間も期末もやることが指数関数的に増えていってやってもやっても終わらない日々が続いていた。特に私は教育学メジャーで鬼授業が多かった。そのせいで毎日リーディング課題を4時間くらいやり、バイトもあったので、まぁ航大の勉強なんか手につかない日々が続いていた。振り返ってみてもスケジュールに書いてある予定の数々を見ると鬼のように忙しかったのがわかる。授業を数個とっていたので、合計すると毎週プレゼンあったし。さらにバイトでも指定校推薦の生徒を数人抱えてるというプレッシャーもあったし、結構辛かった。でも秋学期が終わって11月末になるとありがたいことに秋休みがあった。ここで猛勉強した。数学2と力学と電磁気の始めまで10日間で終わらせるという鬼計画を立てて実行した。短期間で全てに触れられたという安心感は作れたと思う。あの時は直前期と同じくらい勉強していた。秋休みで取り戻そう作戦大成功。
いよいよ年末。来年受験の年になるという12月
うわ。模試があるじゃん。一週目はIBSの履修相談混雑期。二週目は寮のキャロリング準備。逃げたかったけど寮の役職的もあったし無理だった。三週目は大学の物理の自由研究*が始まって実験のことしか考えられなくなった。授業が始まってからはやっぱり勉強できない。秋学期の経験で勉強できなくなるのは分かってたけど秋休みに勉強したものがなかなか定着せず焦りが出てきた。そんな中迎えた模試だけど、もちろん未習範囲があるから全力を出せる訳もない。結果も下から数えた方が早いくらいの順位で、8月メラメラしながら勉強していたことが嘘みたいにうらやましく感じられた。もちろん当初予備校の方と決めたスケジュール通りに勉強が進まなかったことへのストレスフルな感情とともに、このままだと来年合格できない想像がチラついてきた。だけど、待ちに待った冬休み。ここからまた追い上げようって頑張った。具体的には問題を解くアウトプットが正しいと思ってたけど、それだけだと簡単に忘れてしまうことに気づくことができた。物理はとにかく声に出してアウトプット。これが文系にとっては楽だし、暗記ゲーしてるみたいで楽だった。しかも解くより頭使うし、正しい語句を使わないといけないから一石二鳥。数学はある程度「これでわかる」の例題が定着してきたなという感じになってきたから、難しめな定期テスト予想問題とかにも手をつけられるようになってきた。一気に勉強、一気に復習したことで無駄のない勉強ができたし、覚えてる覚えてないが明確に線引きできた。多分だらだら細かく分けて勉強してたら復習の頻度だけが増えて、忘れてるという感覚だけが残ってしまい、負のループになってたかもしれないと思うと、逆に時間がなくてよかったと思う。
※弊学は一般教養の一環として理系に関する授業の履修をする必要がある。
あけましておめでとう!1月〜3月
成人式だなんだでイベントづくし。新年から歯医者のバイトでは治療アシストも難しいことをやらないといけなくて、いろいろ受験のために覚えないといけないことだらけなのにキツかった。この頃から身体の状態がおかしくなってきて、中間試験くらいのときには低血圧でぶっ倒れた。でもこれがいいきっかけになって、やってることを削る、誰かに仕事を任せる決断が出来た。寮の仕事を一旦お休みしただけでも違った。家庭教師のバイトもお休みした。その2つだけでも精神的な面で負担が軽くなった。体調がよくなってきた頃には3月になっていた。新年が始まってから約3ヶ月は勉強をしない日もあった。ようやく期末試験が終わり、ある決断をした。このままでは受験に全力を尽くすことが出来ないと思い、3年の春学期の単位を3単位にすることにした。そしてIBSのリーダーを友達に任せ、サークルの部長を交代し、サークルも春公演をもって休むことにした。そんな重大な決断をした春休み。春休みは黄色チャートをとにかく総ざらいしようと数学を中心に勉強した。コンパス3までの問題を英単語帳のごとく暗記した。この勉強のやり方はよかったと思うが、今振り返ってみて物理もちゃんと手をつけておけばよかったと思う。特に電磁気の分野は後から勉強しようと思うと諦めやすくなるから、苦手なものはすぐにやっつけようという心構えを持つべきだったと思う。おそらくこのときから「細川JP」に出会っていれば心の余裕を作れたのではないかと断言できる。もし戻れるなら細川JPを真似できるほどあの動画を理解しアウトプットできるならば最近の航大物理は怖くない。こういう後悔はあるけど、その時はやることはやっていたし、成長できたんだからまずOKとしておくことにしよう。もし、半年前に戻れるならそういうアドバイスを自分に対してするんだろうなって感じ。
3年生になりました4月
神様はそんなに私に試練を与えるのが好きなのか?ってくらい4月からも試練続きだった。まず生活リズムが崩れます。大きな要因としては新入生が入寮してきたから。私の寮は一人部屋ではなく、二人部屋。やはり、自分が新入生だったときもそうだったように、新入生のサポートをしなければならない立場だ。彼女の話もいろいろと聞いて支えないといけない立場じゃん?自分のことで精一杯だったから余裕がなかったな。彼女と1ヶ月一緒に生活してやっとリズムを作れたけど、いくら人と一緒にいるのが好きな自分でもまとまった勉強ができなくて不安を覚えた。でもね神様は乗り越えられる試練しか与えないっていうのは本当だった。なんとなんと模試で満足のいく成績が取れた!!黄色チャートさすがだなって思ったのと同時に模試前から始めた物理の漆原がめっちゃわかりやすい!文字は多い参考書だけど、ある程度知識があるとスラスラと読みこなせるし、解法も書いてあるから物理への理解が深まった気がする。でも調子のいいのはここまで。私は周りに流されて、インターンの応募に手を出してしまったのだ。とりあえず意識高い系の友達はインターンをこの時期がら始めていた。私はテレビが好きだったので、テレビ局で開催されていたアナウンサー職のインターンに応募してみた。とりあえず書類出すかと思って数社くらい出したかな?その書類、写真とか撮らないといけなかったり、手書きだし準備にめちゃめちゃ時間かかってしまった記憶。そしたら意外にも通っちゃって。原稿読みとか発生とか練習して、一瞬アナウンサーなれるんじゃないっていう邪念が入った数週間を過ごしました。みんながインターンやってるから自分もやらないとっていう焦りがもたらした結果だった。いい経験だったけどね。だけど、自分の場合はもっと1次試験の勉強に専念するべきだった。もしかしたら逃げたくなってたから、インターンに応募したのも確かに今思えばあるかも。この時期は要注意だったな。大学3年生の皆さんも要注意ですよ。上級インターン(ほぼ本選考)には行けなかったから高難度のことはせずに済んだけど、寄り道した感が半端ないな。そんな生活を送ってるうちに予備校で懇親会というものがあって、同じく航大を目指す人と話す機会があった。一緒に勉強しようっていう女の子とも知り合えたし(航大受験において女子は少なめです)、みんないろんな状況の中で頑張ってるんだなって思えた1日だったのは覚えてる。ここから邪念を入れずに頑張れた気がする。無になって受験勉強をしようって思えたのはここから。勉強とバイトと学校の授業1個、あとたまにIBSの活動。多いな笑。これだけに集中しようって切り替えられた。やらないといけないことをまとめてとにかくこなしていった。物理は漆原の力学と電磁気を読み込んだ。数学は黄色チャートの苦手なところを中心に。この頃になると進捗確認テストの初級レベルは全て出来上がっている状態にした。
仲間たちに出会えた5月
5月中旬を境に状況は一変した。まず何よりも勉強する仲間ができたことだった。疲れてても勉強しよう、しなければならない環境をおかげで作ることができた。基本的に週に2回夜遅く集まって時事の勉強を始めた。それ以外でも21時からZoomを繋げて、一緒に勉強して、見られながら勉強する意識を持ちながら取り組んだ。時事はやっぱり文系からすると本当にありがたいし、興味のそそる話題ばかりだったというのもあって深堀りしていけたと思う。航空時事は仲間たちと分担して記事を集めて勉強した。そこでもただ資料を作成するだけでなく、プレゼン方式で担当の時事を説明するプロセスがあった。加えて仲間たちの中にはPart1対策の神様がいたおかげでPart1対策をする大事さが身にしみて分かった。予備校で与えられていたPart1の教材だけやればいいと思っていた自分にとって、彼からの情報はとてもショッキングな知らせにしか聞こえなかったが、やっぱり人と繋がって情報を得ることは大事だなって感じた。仲間たちは受験経験者ということもあり、やはり何十歩も先に行ってた。やらなければならないことが見えてきたというのもあってあとはやれるだけやるという振り切った感情になれた。
まさかのまさかの図書館でのお勉強?6月
なんともびっくりしたのは彼らの本気度だった。もちろん自分も受かるつもりで勉強しているけど、彼らの目から溢れ出てくる「やってやるぞ」というパワーには驚いた。口から出てくる言葉に説得力がとにかくある。そして彼らは何をやるべきかの取捨選択ができていて迷いはない様子だった。それはオンラインだけで勉強していては感じとられない彼らからの感覚が初めて一緒に対面で図書館で勉強した時に分かったのだった。5月はとにかく数学物理のレベルの底上げを優先していたこともあって、Part1の勉強がなかなか手についていなかったが 図書館で問題を持ち寄って合宿的なことをしたのが結果的には功を奏したのかなと思う。まだまだひよこレベルな自分に彼らは口で解き方を説明してくれた。本当にありがたかったのと同時に、自分の未熟さがいかに危機的なものであるのかがそこで初めて分かった。特にPart1はコツを知り、量をこなす必要があって1ヶ月弱しかないのに本当に大丈夫かなと思うようになった。やればいいだけじゃんでは済まされないほど数学物理に悪戦苦闘していたから。だけど毎週図書館合宿をゴールとして今週は何を完璧にしようという指標が立てられたことはよかったことだと今になって思う。ここまでは来週までに完璧にするって仲間たちに宣言できたおかげで成長できた。しかししかし、残念ながら期末試験というものが襲ってきた。3単位授業しか履修していないものの、先生がめちゃめちゃICUしてる先生でテストがまぁむずい。しかも中間でやらかしたというのもあって良い点をとるしかなかった。友達と協力したというのもあって乗り切れたから良かったけどやっぱりメンタルはだだ崩れ。しかも模試も受けないといけない状況、閉寮準備、生理酷い月間でもう無理って思って今回の受験は諦めようと思ってた。これで模試の出来も良い感じだったら何ごともないように辛いことを見過ごそうと思ったけど、模試でまさかの頭がスノードーム状態に。あっさりPart1でやられ、数学物理なんかに集中出来なかった。でも期末試験後、早速実家に帰って元気が出た。料理も洗濯もしてくれるし、バイトもお休みしてるし、元気MAX。予備校の方との面談で今回は諦めますって言おうとしてたけど元気が出て、さらにみんなからのお誕生日メッセージで「航大受験がんばれ」という文字を目にした瞬間やっぱりどんな結果であれ、やり遂げようと思った。高校時代にお世話になってた先生にも会ってちょっと勉強も教わったし、結構苦手な電磁気分野も仕上げられそうと思えてきた。元気MAXだけど、模試の結果でやっぱり落ち込みました。やっぱり仲間たちは合格ラインに届く状態だし。でも、友人が「模試なんてその時その瞬間の実力なんだから」と言ってくれたおかげで吹っ切れた。だってあと1ヶ月で追いつくようになるかもしれない可能性だって秘めてるって実感出来たから。
ついに7月突入!ラストスパートだ!
ここで始まったのは20時からの問題解き解きの会。名前がかわいい笑。これは30分間だけだけど試験前日までやって、おかげで結構成長するきっかけになったものだと思う。6月模試でスノードームになった私に何が足りなかったかと言うと、緊張する場面での力の発揮。この会では1日に3題各自苦手な問題を出し合って制限時間内で問題を解くことをしていた。これはすぐに効果を発揮する。緊張感を持ってというか、問題が解けることを優先していたこともあってなかなか時間制限内に解くのは試練だった。日々の勉強においても時間を意識していくうちにみるみる勉強効率も向上していった。7/10までしか実家で勉強することは出来なかったけど、全集中出来た。ご飯、風呂、睡眠、散歩以外の時間は勉強していた。勉強時間が取れなかったからこそ、得られた勉強時間を最大限有効活用しようという意識になることができた。でもの第2の実家元では地獄のような環境だった。第2の実家に戻ったのは、予定があったから。色々と複雑でして😭ご飯も洗濯も全て自分でやる生活になった。そもそも勉強机を壊されたし。でも外で勉強出来たおかげでちゃんと日の光を浴びて元気な精神状態を保てたと思う。生活リズムもこの頃からは11時就寝6時起きをして試験本番に向けての体のリズム作りをしていってた。そして勉強の詰めも終盤。20時からのみんなが出す問題も大分解けるようになってきて、いつも勉強している仲間たちが投げる問題も解けるようになってきていた。黄色チャートの最終確認、物理は細川JPの動画、Part1はYouTubeの「ハシビロコウの数的処理」「セイウチ塾」をはじめ、使えるものは最大限に使った。概念系問題を解けるように理解と確認を大切にした勉強をした。Part1も時間を意識した解き方の習得をしていった。とにかく速解きの方法をマスターするのは最重要だと感じていた。仲間たちとZoomを使って勉強耐久大会をしたのも精神面での安定に繋がった。そして試験前日。朝は作成したチーティングシートを見直して午後からはR5の過去問をやった。過去最高を叩き出した。もういける。大丈夫。って思って夕方ごろ勉強を切り上げた。最後に時事対策会に出席してもう満足。なんかハイになっていたけど、意外と眠れた。
試験当日
朝は自作したチーティングシートを眺めながら電車に乗った。1h30minの電車移動は疲れたけど、疲れすぎて緊張もなくなった。会場ではいつもの仲間たちと会場近くの神社に行って朝ごはんを食べて準備万端。試験会場に到着すると、顔見知りがいるなと思ったら、いつも勉強している仲間の顔が。目の前にはVaundyらしき人がいて緊張しなかった。むしろ面白かった。笑
英語は難しかったけど、耐えた。お昼は散歩してご飯食べて血液を回した。そして運命の総合。Part1は相変わらず嫌な問題ばかり。作戦通りに資料解釈以外の問題を終わらせて、時事気象に取り組み少し箸休め。その後数学物理の解ける問題に丸をつけ、解けそうな問題が半分以上あることを確認した。その後資料問題を解いて残り1hくらいで数物をやっつけた。ここで罠にハマった。解けなさそうという問題も解けそうな匂いがしてきた。ええっ、解けるに越したことはないと思ったから手をつけ始めた。解けそう解けそう解けた!で、残り時間は5分。ヤバイPart1見直ししてない。あせあせ。なんとかギリギリで気になってた問題を解き終えることが出来て試験終了。やることはやった。
最後に
ここまで読んでいただいた皆さん、この話の流れはおそらくこの人は合格したんだ!と思うでしょう。だが、残念ながら不合格でした。なぜなら、マークミスをおかしていたのです。自己採点した結果、ワンチャンいけるんじゃない?みたいな感触がありました。一緒に勉強してきた友人とは2次対策の計画を考えていたりもしました。しかし合格発表当日、自分の受験番号はありませんでした。身体に力が入らず、しばらく正気ではいられませんでした。何をしてもショックが大きく、その夏、熱中症になって怪我をするという大惨事も起こしてしまいました。本当に信じられなくて、何かの間違いなのではと思い、航大に開示請求してみましたが、ありえないくらい低い点数でした。一瞬にして頑張った1年間が消え去ってしまったような感覚に陥りました。もう無でした。問題用紙に丸をつけた番号があっていても一瞬にして合格が消え去っていきます。これまでのnoteを見てくださっている方ならご存知かもしれませんが、私はなんせ一般受験の経験がないためマークシート経験もほとんどありません。こんなことを言い訳にはできないのですが、英検などで経験したマークシートでの順番通りにマークをしてしまったのです。(航大のマークシートは割と特殊です。R7でも変わっていました。)完全な思い込みで。こんな言い訳しても、もうどうしょうもないのですが、念には念を入れて確認するべきでした。マークシートごときでミスなんかしていたらパイロットの適正あるのか疑いますよね?受験生の皆さん、私みたいな失敗しないでくださいね。ちなみに、私の仲の良い友人もラスト受験でマークミスをやらかして不合格になってしまいました。誰にでも起こりうるミスだし、本番の独特な緊張感だと自分がどんなミスをしでかしているか分かりませんので本当に気をつけてください。今までの頑張りが瞬時に水の泡になります。
いかがでしたでしょうか。以上、メンタルブレブレな私の受験体験記でした。ここまで約9000字でございます。お疲れ様でしたとともにありがとうございます😹何か1つでも読者の皆様の航大受験に役立つと嬉しいです。そしてR8年受験する皆様、共に頑張りましょう!!感想などなどお気軽にコメントしてくださると嬉しいです🛫
今後R7の受験体験記を書いていきます。なんとなく察していただけたかと思いますが、私は環境に左右されてメンタルがブレブレしやすいタイプの人間です。R7ではさらに環境的な要因が精神的、身体的なものに影響してきます。つまり、こちらははもっと壮絶です。