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#44 問題社員に問題なく辞めてもらう方法
僕は今、とある中小企業の人事労務部門で働いている。
中途採用でこの会社に入って15年、入社当時の配属は総務部だったが、社労士試験に合格したことをきっかけに人事部へ異動し、その後の会社の組織変更と何度かの役職昇格を経て、今は人事部と労務部を統合した部門の統括管理を任されている。
統合した部門の統括管理と言ってもそこはたかだか500人の中小企業、部下や業務の管理だけをやっていれば済むわけもなく、部員の1人として実務もやりながら、日々、仕事をこなしている。
部下は正社員が4人と週19.5時間の事務員が1人、そしてこの夏から時限的に受け入れることになった2級身体障がいを抱える男性社員を含めて6人だ。尤もこの障がいを抱える社員は休職中のため、僕を含め、実質フルタイム5人、パート1人で500人の会社に必要な人事・労務業務を回している。
部の業務内容は「人事労務に関する全ての事」と言って差し支えない(もちろん最終的な決裁は役員が行うが)。求人、面接、採用、入社手続き、退職手続き、社会保険、雇用保険、労働災害、就業規則、労使協定、異動、解雇、労務相談、労務トラブル、労基署・労働局対応、外国人雇用、障がい者雇用、高齢者雇用、社員教育、人事評価や人事制度の構築などなど。
こうやって書き出してみると、色々やってるなあと自分でも思う。ただ、僕はこの仕事をスキでやっているから、仕事自体を苦に感じたことは1度もない。勿論個別の仕事では腐ることもあるし、腹が立つこともあるし、叫びたくなることもあるし、泣きたくなることもあったりするが、辞めたいと思うほど苦に感じたことはない。
それだからなのか、ストレスチェックの検査では、長時間労働で抱えてる仕事はたくさんあるけど、トータル的には「定期的なセルフチェックを心掛けるように」と産業医の所見欄にはいつも書かれている。要は気の持ちようと言うことなのかも知れない。
おっと、色々書いていたら、もうこんな時間だ。今日は、やらなければならない大事な仕事が2つあるのだ。
壁の時計を見ると、針が9時45分を少し回っている。約束の10時まで15分弱だ。
机の上に準備してある書類をクリアファイルから取り出し、それに目を通しながら頭の中でもう一度シミュレーションする。相手がこう出てきたらこっちの書面を出してこう対応する。冷静に、動じず、事実を正確に、淡々と、目を見て話す。大丈夫、問題ないと自分に言い聞かせる。
そうこう考えてるうちに約束の時間まであと5分になったが、会社のインターフォンはまだ鳴らない。
3分・・・2分・・・1分・・・ん?
1分・・・2分・・・3分・・・んん?
代表電話にも、部門直通電話にも遅れるとの連絡は入っていない。交通機関の人身事故等の情報もネットには掲載されていない(関西の私鉄で信号機故障で一部不通となっているようだったが)。
(ぇええ?忘れてる?)
10分過ぎて来なかったら携帯に電話しようと思った矢先、インターフォンが鳴った。約束の時間を「8分」過ぎていた。
普通の人なら、と言うか「常識のある人」なら、遅刻しそうなのがわかった時点で電話を入れるか、電話できなかったなら遅刻してしまったことをまず謝ると思うが、その言葉はない。
ないどころか開口一番に言った言葉は「休みの日に来たんだから早く済ませてよ、俺行くところあるから」だったし、もっと有り得ないことに、吐く息から物凄い煙草の臭いがした。
「石原さん、煙草吸う時間あるなら時間通り来れたんじゃないの?」
頭に来たので思わず言ってやった。
そもそもこの日時を選んだのは石原さんだ。
「煙草くらい吸わせてよ~、俺今日休みなんだからさ」
(だから、この日時を選んだのはアンタだ。「良いの?休みの日だけど?今月中なら他の日でも良いんだけど?」と確認したら「この日で良い」と言ったのはアンタだ。)
まあ良い、揉めるのは面倒臭いし、時間の無駄だ。煙草の話には触れずに今日の舞台となる応接室に案内した。応接室では、奥に石原さん、手前右に石原さんの所属長である秋山君、その隣に僕という具合に着席した。
座って間もなく、頼んでいたペットボトル飲料を事務員の武内さんが持ってきてくれたのでそのまま受け取って2人と自分の前に置き、改めて着席、隣の秋山君に(じゃあ始めるか)と目で合図して始めることとした。
話が前後してしまったが、今日、僕がやらなければならない1つ目の仕事は、契約社員の石原さんに今の契約で労働契約を解除する、所謂「雇い止め」を通告することである。
こういう話のときは、だいたい僕が関与することにしている。労働法令を少しは齧ったことのある僕が対応したって問題になるときはなるのだが、学んだことがない人が対応すると、労務トラブルに発展する確率は、やはり高い。手順を踏まず、独断で「もう明日から来なくて良い、このまま荷物纏めて帰れ」と言ってしまったことで労働局のあっせんに持ち込まれたことも、過去にあった。
「今日は朝からご来社いただき、ありがとうございます。早速ですが・・・」
石原さんの遅刻で時間も押しているので、早速本題に入る。
今日の日時を決めるときの電話で「労働契約について話をしたい」と伝えていたので、本人は「契約更新」の話をされると思っていたのだろう。話の途中から段々と顔色が変わり、「今の契約を最後に更新しない」と言うところで僕の言葉を遮ってきた。
「後から聞くので、取り敢えず最後まで聞いてくれますか?」と言ったらぶ然としながらも黙ってくれたので、そのまま続ける。
そして、雇い止めにせざるを得ない理由を説明してから「何か質問や意見があれば聞きますよ?」と話を振ったのだが、今度は顎を右手の親指で押しながら(これは恐らく彼の癖なんだと思う)、先程とは一転、難しい顔をして何か考えている。
雇い止めにせざるを得ない理由として挙げたものは全部で3つだ。どれも事実確認が済んでおり、その内1つは2ヶ月前にも改善指導をしていて、その時石原さんは改善することに同意した内容である。
そう、実は石原さんには2ヶ月前にも業務の改善指導を行なっている。この時僕は改善指導の通知書を作成したが、本人への通知は今隣に座っている所属長の秋山くんが行った。
この時通知した改善指導の内容を簡単に言うと「マニュアルを守って仕事を行うこと」「上司の指示に従うこと」「協調性をもって勤務すること」だったが、指導を受け入れて改善しようとする感じには到底見られない様子で、結局、他の社員から苦情が出始め、業務に支障を来たしている、と言うのが所属長の評価である。
そして今回は他にも2つの点で就業規則に違反し、「社員としての適格性に欠ける」ということで、今回の通告になったのである。
暫く沈黙が続いたため、雇い止めの理由をもう少し詳しく説明しようとしたのと同時に石原さんが話し始めたので、僕は自分の言葉を呑み込み、石原さんの言葉に耳を傾けた。
「要するにこれ解雇だよね?」
想定していた質問の1つだ。
「いや、解雇ではないです。先程もお話しした通り、雇い止めと言って今の労働契約の満了日で契約を終了すると言うものです。今の労働契約の満了日前に会社側から辞めてもらう場合には解雇になる場合がありますが、今回は違います。」
「いやいや、だから解雇でしょ?更新しないってことは(怒)それに何でこんなことで辞めさせられなきゃいけないの?○○だって、△△だって同じようなことしてるじゃん?俺だけっておかしくない?」
「いや、だからもう一度言いますけど、解雇ではないです。契約期間満了での退職です。」
「それと、「こんなことで」っていうのは結局自分に良くないところがあるってことを理解されていないということですから、会社のルールを守る意思のない人に仕事を続けてもらうことはできないです。」
「それに、今は石原さんのお話しです。石原さんが就業規則の第〇条と労働契約のこの部分に違反しているのと、改善を求めたけど改善してくれていないので、お話ししているんです。」
「もし他の方が同じような事をしているのならそれはそれで個別に対応します。でもだからと言って、石原さんの雇い止めがなくなることは、ないです。」
その後も、雇い止めの理由を始め、同僚である〇〇や△△に対する愚痴、会社や給料に対する不満など様々な不満を言ってきたが、応えられる問いについては可能な限り誠意を持って応えたつもりである。
脇に置いていた自分のスマホの認証を解除すると、11時40分を過ぎていた。もうすぐ昼休みだからと言って時間を切るようなことはしたくなかったのと、午後すぐに予定が入っている訳ではなかったので、一旦休憩して午後から再開するか、別の日に改めて続きをするか石原さんに確認したところ、少し考えて返ってきた言葉は次のようなものだった。
「こんなの到底納得できません。監督署に行って話してきます。あと知り合いに弁護士いるし、出るとこ出るかもしれんよ。」
これも想定済みの文句だ。
労働者側の弁護士が出てきたら面倒臭いことになる可能性もあるけど、重ねてきた指導の記録や、就業規則に違反していることの事実確認はとれている。無茶な雇い止めでもない(と思ってる)。
それに長時間労働や未払い賃金もないし、消化しきれない年休があれば、退職時に買い取ることも説明済みだ。
もしこれでうちの会社がペナルティや是正指導を受けるのであれば、世の中「訴えた者勝ち」になってしまうのではないかと思うのだ。
「ええ、わかりました。大丈夫ですよ。第三者に確認されたいのであれば、そうしてください。ただ、どうするか1週間以内に返事いただけますか?」
石原さんは暫く沈黙の後こう言った。
「・・・わかった、1週間以内ね。返事しなかったら?」
「その時はその時に考えますが、必ずお願いします。それと1つお願いがあります。」
「契約期間の満了退職に同意していただいた場合でも、退職日までの出勤日は誠意をもってしっかり勤務することを約束して下さい。どうせ辞めるから、腹が立つから会社に迷惑掛けてやろう、誰かに迷惑掛けてやろうとかは考えないで下さいね。そういう対応をしたことが明らかになった場合は、就業規則に基づく処分の対象となる場合がありますから。」
自己都合ではなく、不本意で退職していく場合、会社や同僚に迷惑をかけて退職していく従業員が少なからず、いる。更に質が悪いと、他の同僚がミスするように仕向けるなど、誰かの株が下がるような行動をとることもある。
残念なことではあるが、会社としては、そういった言動は慎む様、警告して置かなければならない。
そうしてその日の話は12時直前に終了した。
それなりに疲れたが、自分としては言い忘れたことや余分な発言もなかった(と思う)ので、及第点ではなかったかと思う。後は1週間以内に返事をくれることを願うのみだが、返事がない場合にどうするか、一応考えておかなければならない。
その翌日、石原さんから1週間の有給休暇取得申請があった。本来は前日までの申請が社内ルールだが、今回は仕方がない。総務部には僕から話、所属長の秋山君には同じ部署の上席部長に許可して貰えるよう依頼した。
一週間の有給休暇が明けると、石原さんは仕事に復帰した。
同時に、会社の通告に従い、労働契約満了日での退職に合意することを所属長の秋山君に話をしてきたとのことだった。
退職に合意した理由は、わからない。秋山君も、蒸し返すといけないため、敢えて理由はきかなかったそうだ。
こうして石原さんは、残りの有給休暇をポツポツ消化しながら(残った数日間分の有給休暇は、約束通り、買取した)退職日を迎えた。
結果的に、石原さんの代理人だという弁護士は現れず、労基署からの問い合わせも一度もなかった。相談には行ったのだろうが、相手にしてもらえなかったか、あなたの方が良くないと説得されたかのどちらかではなかったかと想像する。
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🍀このお話しの一部はフィクションです。
おわりに
今回は僕の身の上に起こった出来事を一部フィクションを交え、小説風に書いてみたのですが、従業員に辞めてもらうことが「問題なく終わる」か、「労務トラブルに発展してしまうか」の分かれ目は、まさしく『準備』にあると言っても過言ではありません。
なぜなら、守るべき法律があるということと、相手があることなので、こちらが思った通りに進むとは限らないからです。
では、そんな中でやっておくべき『準備』とは何でしょうか。
僕は次のように思います。
対象者の勤怠や仕事の状況について事実をできるだけ積み重ね、記録化しておくこと。
1.の事実が就業規則に抵触する場合には、その都度、指導書や改善要望書を発行し、双方で確認すること。大事なのは、同時に今後の改善を求めること。
2.で確認した内容が履行できているか、守れているか、その後も追いかけて確認すること。
3.で改善が認められない場合は、就業規則による処分も検討すること。
対象者が退職した場合の処遇(退職金、年休等)と、対象者が退職した後の業務の対応方法を考えておくこと。
逆に、会社側に法令違反の存在が認められる場合は、早急に改善すること。
弁護士や労基署に相談されたり、訴訟に発展する可能性があることを理解しておくこと。
ここまで考えておくと、雇い止めを問題なく進められる可能性はグッと高くなるのではないかと思います。
しかし、最も大切は『準備』は実はこれです。
それは、
『自社に最適な就業規則を制定し、就業員に周知する』ことです。
よく、インターネットに掲載されている一般的な就業規則や、厚生労働省が公表しているモデル規則をそのまま自社の就業規則としている企業や、10人未満だから就業規則はいらないと考えている経営者もいるようですが、その考えは今すぐ改めた方が良いです。
なぜなら、そうやって掲載されている一般的な就業規則は、
①労働者がより有利に扱われる条文が入っている可能性があること
②自社で発生する事案に対処できない可能性があること
また、10人未満であろうが労務トラブルは発生するわけで、その時に頼れる規則がなければ、根拠を持ってその問題に対処することができないのです。仮に、問題社員に注意したり、改善を求めたとしても、守る基準・ルールがそもそもないのですから、微妙な勝ち負けを争う裁判になった場合には、勝てる確率が減るかもしれません。
会社や他の従業員を守るために、問題がある従業員を何とかしなければいけないときに、当てはめられる規則がない、なんてことがあってはならないのです。自社で発生するような事案にしっかり対処できる「自社に最適」な就業規則こそ大切で、有効な『準備』はありません。
僕は社労士未登録なので、他社の就業規則の改定を業としてお手伝いすることはできませんが、就業規則の改定を得意とする社労士の先生はたくさんいると思いますので、不安な場合は是非、地元の社労士会に相談されたら良いかと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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