CACAノオトvol.4 「ARTの現住所②」
書アートとは? 岡本 光平
今日の書の停滞、低調の原因は歴代の書の古典に責任はありません。
今の書をやる人間の取り組み方がイージーなのではと思わざるを得ません。
書道団体は中国にも韓国にもありますが、あちらの作家が日本に来てみて、皆同じスタイルで書いているのを見てビックリ仰天していますね。
新しいことをやろうとしたら、古いことをウンとやらないと表層的な流行に流されます。
古典のなかに変わらぬモダンな不易があるから勉強するのです。
文字を書かない抽象が必ずしもアートになるわけではありません。
文字をモティーフにしてもアートになりますが、はじめから文字ありき、筆ありき、紙ありきという甘えの構造を一度封印してみるといろんなことがわかります。
書道は師匠のコピーをやっていると誉められます。
しかし、美術の世界で熊谷守一や中川一政のコピーをやっていて誉められるでしょうか。
書アートと言う限りは、美術畑の一般アートと互角に戦える中身が必要です。墨や白黒、線、文字といった書のエスプリを残さないと差別、区別がなくなって面白くありません。
漢字の書を外国で見せたら誰でも受けます。漢字が受けてるのであって作品が受けているのと勘違いしてますね。
ファッションにしろ、デザインにしろ、これだけ世につれて変化しているのに、書は戦後間もない巨匠スタイルを飽きもせず今もやっています。
大衆から見放されてきたのは当然としか言いようがありません。
誰でも簡単に字は書けますが、究極的にイチバン難しいのも字を書く"書”の世界でしょう。
技術だけではどうにもならない、生き方から品性から人間のすべてを映し出してウソがつけないからです。
具象として文字をモティーフにすることも、文字を書かない抽象も入口が少しちがうだけでメッセージは同じことです。