2019年のサマープリーズ
夏が終わる。そう感じるのは、ここ最近はいつも外に出た時に「あっ、半袖で失敗したな。」と感じる時だ。
自宅はなんかいつも同じ温度に保っていたい症候群なので、常に一定の温度にしているので、あまり部屋の中では季節の変化に気がつかない。
(それが節約になるって信じ込んでいる人間です)
じゃあ、季節の変わり目って何を持ってそう感じていたんだろう。
ここ数年、暑い。尋常ではなく、夏の気温が高い。今年は人生初の熱中症にもなった。
そうなってくると、もはや春の終わりに夏の始まりを感じて、秋の始まりを感じてくることも稀になった。
スーパーに行っても同じような野菜が通年並んでいることもあるから。
それでも、僕たちは四季が存在することに抵抗していると思う。
食材売り場では、「旬のレシピ」のチラシが置かれているし、大手お菓子メーカーでは、秋の始まりとともにお芋を使用したお菓子が姿を現す。
(夏を感じるそぶりをオープンカフェで見せる)
じゃあ、僕たちは何で季節を感じているのか?
1つは、目に入る広告だと思った。毎年のように、「もう年末なんだね」だとか、「クリスマス前に恋人作ろうよ!」だとか、「年末商戦」だとか、
カレンダーに合わせた広告で季節の変わり目を知る。
誰かが決めたカレンダーや行事で、本来体で感じるべきだった四季を感じていく。
なんだか、切ない。
もう1つは、「行事」。音楽フェスが大好きな僕は、フジロックフェスティバルのラインナップはプライベー発表で、春を感じ、前夜祭当日に「夏」が始まる。そして、サマーソニックの週末に夏のピークを迎える。
(とりあえず冷しゃぶ食べた)
もっと言えば、毎年同じ週末に(大隊はね)行われている、家の前の通りの盆踊り大会で、今年も7月の終わりですか。と感じる時もある。
カレンダーで知る季節は、少し切ない。ましてや、誰かの力で動かせそうな広告で知るのももっと寂しい。
だから、肌感で感じられなくなった分を、近所の人や、友人、同じ趣味を持つ仲間と共有できる出来事で、せめて感じて入られたらなって思う。
ちなみに日本人は、世界でも特に「四季」を大事にする特徴があるらしい。
季節は実際には、大体の国に存在していたりする。
では、どこで違いが出てくるのか
宗教的な理由・政治的な理由・歴史的な理由で、これらの行事があるのです。
西洋でも、ハロウィンやクリスマスといったイベントが行われているけれどそれは宗教上、歴史的、政治的な観点で行われている場合が多いらしい。
その一方で、日本の年中行事は、四季と深い関係がある。春はお花見、秋は紅葉に出かけて、冬には雪のお祭り。
こういうイベントが行われているということは少なからず、意識的に四季を大事にして、感じているからなんじゃないかなーなんて思っていたりする。
そしてそれぞれが自分たちのアイデンティティとなる故郷や住んでいる場所に関わっていることが多いような。
その理由の1つとして、俳句には「季語」があるからなのかな。ともうっすら思ったりしているのです。
とはいうものの、東京は暑かった!「夏だね!」と感じる前に「外回り辛い!」でしかなかったので、「冷やし中華始めました」の看板を探してしまったけど、
なんか、通年あってびっくりしてもいる。
そしたら、知人が「コンビニで7月始めに食べたから、私、夏始めてます」だって。
ああ、先を越された。追いつく前に夏が終わってしまう。
今日、外に出る時に久しぶりにロンTを着た。そろそろ秋の入り口なのかな。と思いたかった。
せっかく買ったロンT、着たかった。
と、いうわけで服装から秋、始めます。
なんだこれw
(まぁ、夏らしい飲み物ですこと)