DJを始めた話 - 担任と行ったストーンズのライブなどTeenage Kicks時代
Twitterやインスタグラムでご覧の方や、友人の皆様はたまたクライアントの皆様にはお馴染みなんですが、音楽が好きです。
毎月給料から10万円近く新譜を買い、部屋がレコード倉庫のようになっているくらいの人生を過ごしています。(飲み歩かないのでその分レコード)
もちろん、僕は、自分で聴くことも大好きでコレクター気質というわけではないので、物への投資というよりも自分の世界のためとDJで使用するために購入しています。
さて、本題。DJってどんなイメージがありますか?
「クラブで音楽を流している。」
「レコードをスクラッチしている(こすっている)」
「なんかチャラそう」
などなど、お酒が入り音楽が流れ、人が集まり、楽しく踊る場所でレコード(今はCDやデータが主流ですが)を流している人。というイメージがありますよね。
「モテたい!」という動機で始める方もいらっしゃるかと思います。
よく、「DJされているんですね!」とお声がけをいただけると手を擦るような仕草をされることも多々あります。
実際はそれだけではないんですが。
ここまで色々とありました。
今回は、よくいただくご質問、「なんでそんなに音楽が好きなんですか?」というお話をさせていただきますね。その自分史と、きっかけも含めてお話してみたいなと思います。
1.音楽に目覚めた中学生時代
レコードを買い始めたのは、高校1年生からでした。しかし、それ以前から幸運にも音楽に触れることが多かった気がします。
小学校、中学生時代の担任の先生が、とにかくレコードマニアだった。進学祝いにとローリングストーンズのコンサートに連れて行ってくれたり、伝説のロックバンドの素敵さをいけない某西新宿に売っている海賊版で教えてくれたりしたことがきっかけでした。思えば、ものすごい環境だったと思います。今でも「お前、カシオペアも知らないの?」と中3の担任が言ってきた言葉は忘れません。回答。「知るわけないじゃん!」です。
僕が生まれ育ったのは、茨城県の電車もない地域です。地理的には、車では1時間もあれば、東京にこれるんですが、如何せん公共交通機関がありません。
東京に遊びに行くなんて一大事。コンサートに行こうものなら、無理を言って親に迎えに来てもらうか、タクシー代をお小遣いから貯めて、最寄駅(とは言え車で1時間)から乗って帰るしかなかったんですね。(現在はつくばエクスプレスという優秀な鉄道が開通しているのでその悩みはほぼ皆無です)
もちろん、街には参考書と週刊誌程度しか売っていない書店しかなく、1996年というoasisが歴史的な名盤、モーニンググローリーを発売したタイミングで、まずリアルタイムではないんです。なぜなら、当時の情報媒体だった洋楽雑誌なんて置いてある書店がないのです。
だから、学校の軽音楽部で、中学時代の担任から聞いたジェフベックをひたすら練習していたらアメリカから交換留学生でやってきたジャックブラックのような風貌の留学生に「おい!Nirvanaやろうぜ!」なんて言われても、カートコバーンの存在さえ、知らなかったんです。
電車で少し足を運び、千葉県の柏市に行けば、ディスクユニオンが存在していたので、後日手に入ることを知るのですが、もう音楽なんてうっすら受信できるBay Fmの伊藤政則先生のパワーロックトゥディと、中学の例のストーンズ先生の世界でしかない。だから、3大ギタリスト(ジミー・ペイジ、エリッククラプトン、ジェフベック)が神様だと思っていたのです。
唯一、BOONという洋服雑誌を読んでいたので、コーネリアスの存在は認識していました。後は、深夜番組のタワーレコードのカウントダウン番組。そこでサニーディサービスを知りました。
oasisとblurがしのぎを削り、彩り鮮やかなブリットポップ全盛期に!!!ですよ。
この時代にリアルタイムで生きていながら、リアルタイムで触れていないという。もちろん、アメリカのオルタナティブなんて知らないのです。
正直、やばかった。でも、それが普通の環境でもあったんです。
だって、ギターを始めていた同級生は日々、クラプトンの世界を追求したりしていたから・・・。
かくいう私も、学園祭にはCreamのコピーバンドで出演していました。
これ、弾けたんですよね・・・。いや、超かっこいいよ。 CreamのCrossroads。
県外の都市部からも投稿している私立高校だったので、ディスクユニオンがある柏から来ている先輩はかっこ良くクーラシェイカーをコピーしていたり、ヒップホップのDJをして、学園祭にクラブを作っていたりしていました。でも、僕はエリッククラプトンとジミヘンドリクス。今覚えば、Creamやってくれる同級生がいたのはむしろレアだったのではないかと。
そんな中、転機が訪れました。ついに!リアルタイムのブリットポップにフレス機会があったんです。
理由は「クラスで好きな子が、oasisファンだった。」から。
共通の話題があれば、話せるじゃないですか!だから、買いました。oasis。
田舎なので、自転車で2時間かけてWAVEに行き、買いました。
そこで、帰り道に聴いたら、もう人生の景色が180°変わったんですよ。
あまりにもかっこいいし、今の暮らしのフラストレーションを歌にしている世界が存在していた。そして、その子と毎晩電話ができた!!!
それで、運よく千葉県柏市に予備校で通い始めて、ディスクユニオンに行き始め、音楽雑誌を知り、Radioheadや、Portishead、Supercar、Primal Scream、Fatboy Slim、Chemical Brothers、Pavementなどと出会うことができました。
でも、他にはやることがなく、いつでも新譜を買いに行くことができなかったので、中古レコードを買い、どこか東京の古書店で購入した、「ロック名盤ベスト500」という本を読みながら、たまったま近所にできたレンタルCD店が昔のロック名盤を揃えていたこともあり、レンタルしつつ、それ以外はディスクユニオンでなぜか名盤が100円でアナログ盤は買うことができたので、暇つぶしに「端っこから聴いて、ペンで丸をつけていく」という暮らしが始まりました。今、その本を見直してみると、400くらいはクリアしているのではないか・・・と思います。
そこからはもう、リアルタイムと過去の混在、そして、今の音楽が影響を受けた歴史的名盤に触れていくという日々でした。
なので、アナログレコードを集め始めたのは、理由は単純で、レンタルCDよりも安かったから。でしかありません。
そんな下地が万全の中、高校卒業と同時に上京するわけです。
もう天国。西新宿も、ディスクユニオンも渋谷のZESTもある。なんでも買える。
2.レコード少年がDJを始めるまで
それでアナログレコードが溜まっていきました。
高校時代の癖で、レコードで新譜も購入していました。
高校の修学旅行で、1997年という大豊作の年にロンドンに行くこともできたし、何よりフジロックフェスティバルが始まりました。1998年の豊洲から参加しています。
で、また転機が訪れるんです。クラブに行ったんです。それまでは、ダンスミュージックやヒップホップ好きが行く場所だと思っていたら、僕の好きなロックやインディミュージック、ニューウェーブが流れる場所があるとチラシで知ったから。
それで初体験のクラブで扉を開けた瞬間にThe Whoが流れてきたんです。
この曲。The KId's Are Arlightのイントロの「ジャーン!」という音が扉を開いた瞬間に流れた。もう、光がバーンって全身を襲ってきて、その瞬間に思ったんですよね・・・「俺、やりたいことこれや!」と。
そこで、終演後、DJでこの曲を流していた方に、「僕もDJを始めたいです。どうしたらできますか?」と質問をしにいきました。
丁寧に教えてくださり、やることにしました。とはいえ友達もいないし、できそうな人、どうしようと思って、まずはHPを作り、ディスクレビューをひたすら書いて、クラブで気になる人に声をかけたり、幸い100万PV近くあるめることができたので、そこの掲示板で出会ったりした人たちで手弁当で何もわからずにクラブイベントを始めました。
そうこうしているうちに、クラブの先輩や、お客さん、レコードショップの方々と顔見知りになり、その後の展開に繋がるわけです。(それは後日な)
3.DJを始めてみて学んだこと
いくら自分がイベントを主催すると言っても、お客様からしたら、お金を払い、時間を作ってわざわざ来てくれるわけです。だから、学ぶことがたくさんありました。
1.プロ意識
自分が趣味であれ、お金と時間を消費して来場していただく。だから、限りなくニーズに応えなければいけない。1円でもいただけば、それはプロと思っている。(ボランティアではやりきれませんが・・・)
2.会場の空気を読んで、その日のセットをその場で考える。
実際、イベントの趣旨(選曲や雰囲気)を決めていたとしても、蓋を開けているまでどんなお客様が来場されるかわからない。
なので、キーポイントとなる軸の楽曲(流行や、「今、これだろう」という曲」)を軸に、いくつかの方向性を考えていかなければいけない。
また、フロアの反応を見ながら少しずつお客様の内容に沿った選曲に変えていく。
3.それでも自分らしさが大切
今、PCのDJやUSBメモリで何万曲でも持っていけてしまえます。
それは、どのような状況にでも対応可能となる。
でも、限りなく周囲に合わせていくと、どんどん選曲は似ていきます。
それは、最大公約数になっていくから。
結局それは、アルゴリズムで支配されたSpotifyとかを流していくことと変わらないため、
大切なポイントとしては
・「この曲にこの曲をつないでいくのか!」という新鮮さが時に必要
・自分のカラーとなる基軸の楽曲からあくまで「この趣向が好き」という色味を維持しつつ、お客様が求めている時間を出していく。
4.大アンセムだけでは成立しない
いくからか、夏フェス等で「誰もが聞きたい楽曲だけを流している」というフェスDJが主流になりつつあります。
しかし、結局は「それでは誰でも盛り上がって当たりまえ」ということになると自分は信じています。
心がけていることは、「ただヒットチャートやアンセムを並べること」ではなく、「持ち時間であくまで一晩を1つのイベントとして広く考えて、
自分の色を出しつつニーズに解答して行く。「与えられた役割(選曲のカラー)」をその中でできるだけ入れて行く。ということが大切だと信じています。
ここで大切なのは、「なぜ、自分を呼んでいただいたのか」深く考えること。自分は「イベント自体の大きな括りの中で自身のカラーを軸とした時間を出すこと」が役割だと考えています。
この場合、PCでの何万曲からのセレクトからよりも、持ち込める限界の量から2と3を踏まえて、可能な限りできることをやる。
ということになります。これって何かに似ているんですよ。
お仕事のディレクション。なんです。
「いくら使ってもいいし、納期なんていないし、好きなことやっていいよ。」なんてありえません。
奇跡的に、オファーを頂いたとしても不思議と上手くいかない。
1.予算、納期の制約
2.クライアントさんの事情、要望
から、時代やエンドユーザーの求めるものに対して最大化を図って行く。かつ、1つのストーリーを作る。
完全にディレクターと同じ考え方になって行くんですね。
自分が今、ディレクションをさせていただいているのは、このDJでの経験がものすごく役立っています。
逆を考えると、ディレクターの皆さん、DJ、してみませんか!
ここで、DJについてのいい映像を見つけました。
国内のDJの考え方や苦悩を見ることができます。
ぜひ、ご覧になっていただき、その世界を覗き込んでいただいたら面白いのかなと思います。
クラブ、今でも最高です。大きな音で音楽を浴びて、自分とDJだけの世界に浸るもいいし、楽しそうな人を眺めるでもいいと思います。
まとめ:じゃあ何でやってんの?
一言で言えば、「共有したい」思いが強いです。
みんな自分だけのプレイリストは作れるのですが、あくまで、それってアルゴリズムの中の出来事なんですよね。
僕が大学生の頃は、現場に行かないとお目当の曲を聴くことさえできなかった。だから、レコードを持っている人は価値があり、ノーザンソウルという映画で世界中に2枚とないレコードをかけるDJを見に行くことに価値があり、DJは自分の価値を守るために、誰のレコードなのかわからないようにラベルを剥がしたり、命を守るためにピストルを持ち歩いていたりしていた。
僕は、提案してみたかった。1つの好きな曲がきっかけで、クラブに行き、「似たような雰囲気でもっとこんな音楽があって、そこから新しい文化的な発見があってくれたら嬉しいな!」って気持ちのままやっている。
こんな世界ですが、よかったら覗き込んでみてください。
最後に僕のこの世で一番好きな曲と、最近のイチオシを貼り付けますかね。
次回、年内最後になってしまうんですけど、下北沢のメンフィス兄弟というお店で、DJをする予定です。
サブスクリプションで何でも聴けてしまう時代だけど、きっとその場でしか味わえないバイブスってあるんですよ。
19:30からフジロックのスタッフなどの方でやられているんですが、僕は遅め21時以降です。
よかったら軽く音楽の話でもしましょう。
人生の先輩方にグラストンベリーフェスティバルのお話とか、ありえないくらいの色々なミュージシャンの逸話、聴けると思います〜。