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世界の始まりとそれはある意味での別れと出会の繰り返し

突然のことだったけれど、東京から大分に引っ越した。

縁もゆかりもない九州に引っ越すと言ってみると、周りの人たちは「ええ!?」と驚いたり、
「なんか移動していく人らしいね」って言ってくれたりして、驚きの中でたくさんの応援をしてもらった。

新しい暮らし。それは、期待が40%で、不安が20%で、それを感じるまでもないまでに、これまでみたことのなかった世界が視界で慣れていくまでの
通り過ぎていく時間が一瞬にすぎていく余裕のなさが20%くらいで、ルーティンの作成時間が20%くらい。

結果、いつの間にか落ち着いている自分がいた。東京や福岡や大阪に遊びに行っても、人の多さや、視界に入るモーション、動的な物体の移動の速さに
大分という場所のじっくりと熟成していくかのような世界観、時間軸に落ち着きを感じている自分にとっては、全てが早すぎる。

時間の速さは大切なのか?それは大学時代に卒論で自分がたどり着いた1つのテーマだ。時計文化の発達が人々の生活時間にどのように影響して、
人間の生きる速さがどれくらいなのか、そういう体感速度について論文を書いた。

2000年代当時は、スローライフが話題になり、どこにでもあるものがそこにしかないものを侵食していくことに危機感を覚えている世界が、
もう一度足元を見直そうと必死の時代だった。

速さは罪なのか?それは結局のところ、結論は出ていない。
仕事で、レスポンス、返事が早いことが正しいとされる世の中で、それは個人的には当たり前なのではないかと思っている節がある。

こちらがわかっていることや、納得したものを返事しないことには、相手がもやもやするし、きっとそこで早めに未来が決まっていれば、
付き合う相手が他のことや、その人が大切にしているものに咲く時間が増えていくような気がした。

体感速度と、相手の時間を失わないようにしていくことは少し違うと感じていて、自分の時間を有意義に消費していくことはポジティブなことで、
相手の時間泥棒になることはネガティブなこと。

とにかくスピーディに物事のサイクルを回していき、回転する出来事の中で、結果の精度を上げていくことを求められる時間が多かった。
それは、たくさんの出来事を消費していきながら、自分の時間をその中に投げ込んでいき、見えない相手の中を数字という結果でどれくらい
みんなが納得していく結果で可視化していくのかを正しいとされる世界。

自分が一番結果を出していけば、それは相手の人生を顧みずに、まずは自分が損をしないような時間の過ごし方。

まずは全体的に。それは間違いないけれど、知らない間に自分の出来事が誰かの物語に昇華する前に新しい物語を始めなさい。と言われているかのようで、僕はパニックになった。

それで旅に出た。気になる街で途中下車をして、なんとなく予定を無視して、その時直感で見つけてしまった場所や時間の中で過ごしていって、
自分との約束を守らずに感覚だけで生きていく時間。

新しい街は、ゆっくりとしている。きっとそれまでの街で暮らしている友人や知人は頑張っているのだろう。

空が広い。海が広い。その中でゆっくりと時間をかけて、相手の姿を考えていくことができる。

そんな自分自身の軸を再発見する時間を保つための愛おしさを今はただ、実感している。

自分のタイムラインを更新していく。知らない誰のためでもなく、自分と、大切にしてくれている人たちのために。

あたらしい世界を手に入れると、それまでの全てを賄えるわけでもない。

だから、身の回りについて考え始めた結果、Twitterをやめた。

自分の時間を大切にして、その結果、寄り添ってくれている人たちのためになればいいと思ったから。

そうしてこの年齢でも代謝が生まれていくことの幸福を感じながら明日も仕事が待っている。

余裕がないと約束を守れなくなる。その結果待っているのは孤独ではなく、孤立な気もする。

孤独は大切な時間だけど、孤立は自分本位かもしれない。

自分自身で文脈を持つことは、誰かの物語を考える余裕もできてくるかもしれない。

たくさん生まれた雑談をする時間の中で、気持ちの整理をしていく毎日。それができる幸運。

今、くだらない1日というバンドの音楽を聴いている。東京を発つ日、滑り込
むようにして友達とライブを見てから西に向かう新幹線に乗り込んだ。

これまでとこれからを消化したかった。

それはなんとなく、やるせなさと希望が両立しながら、自分の気持ちを誰かの物語に変えてくれそうな気がしているからだ。
きっと、こういう音楽がシティポップでそれまで言われているような音楽性のものではなく、どこの場所にいても同じように支えられながら、言葉にならない気持ちを表現で表してくれるのがシティポップと呼ばれてほしいななんて思っている。

なんて、毎日通う温泉の中で考えていたら、もう明日になった。

人間らしい生活とは自分本位でもなく、きっと身の回りの大切なものや人を当たり前に大事にして、ありがとうと言えることかもしれないってそんな世界であってくださいませ。違和感を無理矢理感じることが正しいとか言わずに、そんなやんわりとしたが残っていきますように。

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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。