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自意識過剰は自分で作るものではなく、周りの環境がそうさせるのかもしれないね-思春期を描いた映画「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」を見て

「お前気にしすぎ」。僕は未だにそう言われることが多い。
今、SNSが発達して、誰でも発信できる時代で、「誰かに見られること」つまりは「自分をどう見せるのか?」に生活全体が支配されている気もしている。

でも、これって一概に悪くはなくって、「見られることで自分を律してみる」だとか「身なりに気を遣ってみる」だとか、色々と外側に対して、きちんとした考えのもとで、振る舞いが律せられるというメリットも多い。
実際に、僕は東京に出て、人前でプレゼンなんかするような立場になって、大学時代からは考えられないくらいに意識することになった。そして、それが当たり前になった。

でも、それは「マナーとしての振る舞い」を自分が覚えてしまったからだ。多分。きっと。

だけど、この映画「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」に登場する13歳の少女、ケイラについては少し違う。
ソーシャルメディアに縛られ、翻弄され続けている。それは少しでもコンプレックスを隠すためにアプリで写真を加工し、少しでも周りでよく見せるための意識にとらわれている。

成長過程の早い段階で、「他者の視線」を意識しなくてはならなくなったティーンの弊害。繋がれる機会よりも「気づついたり、晒されたり、外からの目線を意識」しなければならなくなったり。そんな事で傷つけられたり。

このイエス・グレードという映画は、13歳の8年生(日本では中学2年生)であるケイラとその周辺を取り巻く環境の日常をごく、自然に(きっとそういう世界なのかもしれない)描かれている。

高校生になる直前の1週間の出来事が描かれているのだけど、それは、子供が少しだけ大人に近づく、つまりはティーンになる瞬間の切り取りだ。

相変わらず学校や地域は、「イケメン/美人のカースト上位」には優しくて、ケイラのようなニキビ顔で、少し小太りで、片親で、うまく周囲とコミュニケーションが取れない子にとってはある種の地獄を味あわせてくる。

なんせ、学校も、親も、近所の人間も、「みんな仲良く、はつらつとしていて、お友達がいて、親になんでも悩みを話してくれる子供」をステレオタイプ的に求めてくるから。そこから少しだけ弾かれているケイラにとって、これ、本当にきついだろうなと思った。

このステレオタイプな「あるべき13歳」を求めてくる大人たちはいわば「自分の立場でやらなければいけない事=子供達がみんな健やかにちゃんと育って生活する事」を前提とした善意の強烈な押し売りを重ねてくるからだ。
つまりは、大人たちにとっては「自分は正しいことをしている」という承認欲求を満たすための行為を、ケイラの生活に押し付けてくることによって満たしているかのように思ってします。

わかるよ。みんなそれぞれの「大人」としての立場が守れているか、不安だろうから。でもね、ケイラは多分、もっときつい。
大人はまだ、立場を守りきれなくても、生きていける。それぞれの環境の中に戻ればいいから。彼らはその気になれば、「環境を変えること」が可能だ。

でも、13歳のケイラにとっては、家と学校が全ての世界。
もし、ここから逃げ出したくなったらものすごいエネルギーと勇気を持って、「大人たちに訴える」ことをしなければならない。
それをこの年代の子に求めるのは酷だ。

告白すると、自分は父親とあまり関係が良くなかった。そんな13歳の時、自分が取れる手段は、「自分の時間を嘘をついてでも確保して、その中で夢中になれる何か」を探して没頭することだった。

でも、ケイラは毎日、誰も見ていないのでは?と理解しながらYoutubeチャンネルに動画を投稿し続ける。そして、少し勇気を振り絞った精一杯の行動をする。本当に必死に、「あるべき現代のティーンとして振り落とされないように」必死に動く。他人の注目も浴びたい一心で、最大限の見栄っ張りをする。

そんな時、自分が親だったらどうするのかなって考えた。そして、13歳の時に、厳しい家庭に生きていた自分だったらどうして欲しかったかを思い出した。

その一言は「それでいんだよ」だったと思う。たったそれだけで良かったと思う。

この映画は、1人の13歳の日常の切り取りでは終わっていない。ポイントはいくつかある。

1.SNS時代の自意識過剰とその中での自己表現がバランスを崩す事実
2.強烈な善意は時に過剰な刃物になり、対象者に襲いかかる
の2つだと思う。
1については、今更語られる事でもないけれど、可視化しすぎた世の中でのバランスの取り方の答えではなく、事実ベースで知ることができる。
2については、そんな若年期の不安定さに大人は自分たちの正義感を押し付けないでほしい。と感じる。

もちろん、それをせずに、誰もが笑って過ごすなんて夢物語。でも、大切な人にだけは、そうしたいし、そうしてほしい。
理想だし、夢物語なのもわかるのだけど・・・そうしよう自分。くらいに思っていればいいのかなぁとも思う。

レディ・バードは、そこから自分を貫いて、街を出ることができた。


スケートキッチンは、外に出ることで仲間が実は外の世界にはいて、一人じゃないと思うことができた。


でも、ケイラはまだ、街の中で生きていく。

その大きな違いが浮き彫りになりつつも、そのうちいいことがあるかもしれないからまぁ、生きるだけ生きてみようよ。とは思える1本でもある。

リアルな描写が、この世代の生活を知ったり、親として考えることができたり、いろいろな側面で語り尽くすことのできる映画だなと感じた。

僕は胸が張り裂けそうになった。自分に正直にいてほしい。それが1番クールだよ。

見栄を張る。いいと思うよ!

減点方式で「みんなができること」を求められる時代に、もっともっと「いいところを加点してあげる」ような社会になりますように。

きっと実現するよケイラ!!!!!!!!!

「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」


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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。

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