ふあん

昨日の記事では胞状奇胎→流産を乗り越え現在妊娠中ということを書きました。

私は現在妊娠12週です。
周囲の妊娠や出産におめでとうと言えるうちに、どうか私も赤ちゃんを授かりたい、今度こそ赤ちゃんに会いたい、そう思って流産後も妊活を続けて結婚記念日に陽性反応がでました。
胞状奇胎の経過観察で今でも総合病院に通っているので(5年、長いですね…)いつもの病院に電話し、6週で初受診→その時に3回目にして初めて心拍を確認できました。ぴこぴこと動く心臓を見て、今までの悲しかったこと辛かったことが少しだけ報われた気がしました。

その後、11週で妊婦健診1回目に行くまで、またダメになってしまうのでは、とずーっと不安が大きく、8週でピーナッツみたいに大きくなってる赤ちゃんをみても、母子手帳をもらっても、マタニティマークをつけてみても、里帰り先(といっても区が違うだけですが)分娩予約をした時に手足ができてパタパタ動く姿を見ても、腹痛があり不安すぎて緊急受診した10週でさらに手足が長くなって成長した我が子を見ても、ずっと不安でたまらなかったです。
マタニティグッズも、ずっと欲しかった憧れのファミリアの母子手帳ケースとおなかが苦しくてユニクロのリブニットパンツを購入した以外は、まだわからないから、となにもできていません。

5週ごろからすでに食べづわり吐きづわりがあり11月末まで在宅勤務にさせてもらっていましたが
6,7週がピークで11週時点ではほぼなくなっていました。今でも食べられないものや、基本病院行く時以外外に出てなかったので体力低下によるものなのかはわかりませんが疲れやすく、だるさや眠気などはありますが、夕方から夜にかけて以外でほぼ吐かなくなったし、食べられるもの増えました。ピークの時は在宅とはいえ仕事も辛かったし、りんごときゅうりでかろうじて生きていました。
胞状奇胎のときがあまりにも辛くて、のたうちまわってたし、スイカを1,2切れしか食べられず水分もスイカでとっていてそれすら受け付けなくなって入院したので、それと比べたら何があってもマシだと思えたので、心身ともに強くなったということなのかも…。
つわりが早めに終わってくれたことが、不安ではありましたが、今となってはありがたいことだなと思います。


そんなこんなで、11週、初の妊婦検診。
10週時点でも元気な姿を確認できていたのでいつもほどの不安もなく、いつもは怖くてエコーの画面を先生から"順調ですね"と言われるまで見られないけれどこの時は最初から見ることができました。

元気だったし、心臓も動いてたし、1週間前よりも大きくなってた。

でも、先生から、"ちょっとおなかからもみてみましょうか"と言われたとき、あ、何かあったのかもと思いました。

初のお腹からのエコーでも念入りに先生は何かを見ていて、最後に、
"ここにね、臍の緒があるんだけど、11週時点ではよくみられるものではあるけど、臍帯ヘルニアといって、これが生理的なものなのかが今は判断がつかない。だから2週間後もう一度見ましょう"と言われました。

先生のトーンは暗くなく、臍帯ヘルニアがなんなのか、胞状奇胎の時と同じく聞いたこともないその病気があると何が起こるのか、なにもわからなかったけれど、先生に最後に"それがあるとどうなるんですか?"ときいたら"NICUがある大きな病院に転院になります"と言われました。

それだけ聞いてよかった、赤ちゃん産めるんだ、と安心したのですが、診察室を出て会計を待つ間に調べてみると、ショッキングな画像が出てきました。え、これでも人って生きていられるの?と思ってしまったのが正直な第一印象です。

赤ちゃんの臓器が臍の緒の中に入り込んでしまい、それが戻らず、体内にあるはずの臓器が外に出てしまっている状態で、
12週ごろには普通は体内に戻るものだが、それが戻らないと臍帯ヘルニアになり、転院が必要なこと。
臍帯ヘルニアだけであれば手術で生存率が高いこと。
ですが、臍帯ヘルニアがある赤ちゃんは高い確率で染色体異常や他の合併症があり、その場合は長く生きられなかったり胎内死亡の可能性が高いことを知りました。これが10000人に1人の病気だということも。正直、何が何だかわかりません。
たくさん泣いたし、胞状奇胎、流産と経験してよく言われる"妊娠出産が奇跡"ということは身をもって感じています。もう十分だよ。神様はなんで意地悪なんだろう。
世の中には、マイナートラブルはそれぞれあれど、無事に出産して子育てしている人も、何人も子供がいる人もたくさんいます。
その反面、不妊治療を受けたり、流産を繰り返してしまう人もたくさんいて、きっとそれぞれ、私が何かした?なんで私?と思っていて、それぞれの地獄がある。
私も、妊娠における確率の少ない方をひきつづけてきて、最初の妊娠から1年半かけてようやくきてくれた我が子がなんで?とすごくすごく苦しいです。なんで私が、って思ってます。

私たちは元々この妊娠がわかった時に話し合ってNIPTを受けないことにしていました。
2人お空に見送り、ようやくお腹にきてくれて、今を懸命に生きている赤ちゃんの命を選択なんてできない、と思ったからです。
もちろん色々な意見や事情があってどの選択もけして間違ってるとは思いません。
それぞれの夫婦がたくさん悩んで考えて出した結論なのでこれが正解、なんてことはないと思っています。

ですが、臍帯ヘルニアだと次の検診で確定してしまったら?先生にも相談しようと思っていますが、産まれてきても生きられないのがわかっている子だったら?そう考えると確定診断になる羊水検査を15週以降で受ける必要があるのかなと思っています。

羊水検査自体にも流産のリスクはあるし、そのリスクは臍帯ヘルニアよりも更に高いものだし、
その検査で残酷な結果が出てしまったら、私たちはお腹の中で育っている我が子の命をどうするのか決断しなければなりません。

もちろん、2週間後、生理的なものだったね、ちゃんと引っ込んでるよ大丈夫と言われる未来を想像しようと、何日も泣き続けた後に、今は赤ちゃんを信じることしかできないと思い、前向きな想像をしています。大丈夫になるって信じてます。
けれど、やっぱり、過去2回の暗い記憶がフラッシュバックするんです。
つわりと不安をのりこえて初めて12週の壁をこえたこと、もう人の形をしていて、心臓をぴこぴこさせながら懸命に生きてる我が子のエコーをみると、この子の未来や命を選択なんてできるわけないよ、5月に元気に会いたいよ、だからお願い、無事に産まれてきて、いう気持ちと、もし臍帯ヘルニアだといわれ、羊水検査をして陽性だったら、もし産まれてきても生きられないのなら、胎動を感じたりしてからの方がより辛いんじゃないか、、、、、とか本当に色々な気持ちがぐるぐるしていて、noteに書いてみようと思いました。


よく、親は命をかけてでも子供を守ることができると聞いていたけど、正直妊娠するまでイメージができなかったんです。
私の父や母もいざという時に私を守ってくれるんだろうなということは想像できる(パパママいつもありがとう)けれど、自分の命をかけてでもってどんな感覚?って。
でも懸命に生きてる我が子を見たら、エコーの度に大きくなる姿を見たら、今の私は、どれだけ痛いことも辛いことも耐えてみせるから、この子だけは助けてほしいと思っています。
私はもう4ヶ月この子のお母さんだし、この子に会いたいからつわりだって色々なマイナートラブルだって、乗り越えてきた。過去2人のことも忘れてなんかいないけれど、過去2人が忘れた忘れ物を全て持ってきて私の元にきてくれた大切な大切な我が子です。

13週、やはり大丈夫だった、順調だねと言ってもらえる未来を強く願って、今日もお参りにいきました。
愛犬にも毎日お祈りしてるし、お腹の子に毎日話しかけています。

ママとパパはあなたに5月に会えるのを楽しみにしてるよ。だからどうか何事もなく、無事に生まれてきてね。

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