いのち

3年前、コロナ禍に気まぐれで始めたnote、
案の定続かなかったけれど、書いて整理したいことが起きたので久しぶりに開きました。

長くなるのでいくつかに分けようとおもいます。


2022年、私は以前このnoteにも書いた彼と結婚し、夫婦になりました。

2023年、結婚式をあげて、ヨーロッパに新婚旅行に行き、子供を望んでいた私たちはブライダルチェックを受けて風疹のワクチンを夫婦揃って打ち、6月に妊娠がわかりました。

正直、うまく行き過ぎなくらいで、自分たちでもえ?と思うほどとんとん拍子でした。

ですが、初期から恐ろしいほどにつわりが重く、加えて、胎嚢確認後次の診察で"モヤが見える。大きな病院に行ってください"と紹介状を持たされました。
地域の大きな病院に転院後、初めての診察。
最初の病院で言われていた"胞状奇胎"という初めて聞いた病気の可能性について、まだなんとも言えない、様子を見ようと言われました。

胞状奇胎妊娠(胞状奇胎)および他の種類の妊娠性絨毛性疾患は、異常な受精卵が増殖したもの、あるいは胎盤の組織が過剰に増殖したものです。

https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/22-女性の健康上の問題/女性生殖器のがん/胞状奇胎妊娠


正直、つわりがひどく、胞状奇胎って何?ということを調べようにも飲み食いができなくなり、夫がこれは危険だと判断した翌朝、私は緊急入院になりました。

入院して3日間点滴に繋がれているうちに、少しずつ飲めるようになってきて、入院前が生き地獄だとしたら少し地上に戻って来れたくらいの感覚になってきて、ようやく、胞状奇胎について調べることができました。

500妊娠に1人がなる病気であること、
妊娠継続は難しいかもしれないこと(稀に継続される人もいるようでした)、
hcgの数値が異常になるからつわりがすごく重かったのかな?ということ、
胞状奇胎は手術を受けてそのあと陰性化して最低半年妊娠ができなくなること、
場合によっては癌になること、抗がん剤治療が必要になること…

病室で点滴に繋がれて、面会もできないなか、怖くてしかたなかった。

思い返すと、その時は心拍確認もできておらず、赤ちゃんがいる事実よりも、癌?手術?妊娠できない?そんなことで頭がいっぱいでした。


同部屋にはおそらく切迫で入院している妊婦さんがいて、赤ちゃんの心拍の音が聞こえたりして、廊下からも赤ちゃんの声がたくさん聞こえて、それもまた辛かった。

仕事を急に休んでいたので有給がなくなるかも不安で、体調悪いなか人事やマネージャーとメールでやりとりするのもしんどかった。

そんな中、診察を受けてやはり胞状奇胎だろう、心拍も確認できない、手術になります、と確定診断を受けました。

全てが重なりメンタルが限界だったので、少し食べられるようになった私は、退院を決めて、その1週間後、赤ちゃんとお別れする手術のために再入院しました。

痛いと聞いていた前処置も無事終わりましたが、
私の場合は処置中よりもその日の夜から朝にかけて緊張と痛みと恐怖で全く眠れず、朝型になって看護師さんに一睡もできない、痛み止めは飲んでもいいのかと聞き、絶飲前に痛み止めを飲んでようやく少し眠ることができました。

その年の4月に愛犬を空に見送っていたのですが、それ以降、一度も愛犬は家族みんなの夢に出てくることがなかったんです。
ですが、その手術前の数時間、痛みが少し和らいでうとうとしている時に、愛犬が夢に出てきてくれました。ふわふわでふかふかの身体をぎゅっと抱きしめたのを覚えています。
起きた時、愛犬が手術に怯える私のために会いにきてくれたのを確信して、号泣してしまいました。

1週間前の入院の点滴でボロボロになっている腕の血管から唯一刺せそうな血管を見つけ出してもらい、手術前の太い点滴針を打たれて、着替え、喉が渇いた…と思いながら病室で午後まで待機。
静脈麻酔ですが効かなかったらどうしよう、痛いのかな、と初めての手術をひかえて、怖くて仕方なく、夫と母にLINEをし続けました。

手術室に呼ばれ歩いていき、メガネをとって、ドラマでよくみる手術台に上がります。
独特の空気に緊張と恐怖がマックスになり、歯が震えたのを覚えています。
麻酔科医の先生に、麻酔効かなかったら怖いです、と涙目で訴えて、大丈夫、ちゃんとコントロールするからね、それじゃあ痺れる感覚がありますと、麻酔を入れられて、意識が戻った時にはおそらく最後の処置をしている時でした。
痛みはないけれど、吸われている感覚があって、私起きてるよーーとアピールしたつもりでしたが声はもちろんでません。
気づけば病室に運ばれて、再び眠りに落ちました。

目が覚めて、看護師さんを呼び、トイレに行くと出血がすごく、あぁ、赤ちゃんいなくなっちゃったと…

そのあと猛烈な吐き気に襲われて、吐いたあと(といっても前日から何も食べてないしもともと吐けないのでえずいて液体が出るだけです)持参していたゼリーを飲み母と夫に迎えにきてもらって退院。
家の前でも再度吐きました。

下腹部の痛みと麻酔の後の吐き気はあるものの、あんなにひどかったつわりは消えて、胸の張りもなくなりました。

私の初めての妊娠が終わったのを実感しました。

その後、病理検査の結果、部分胞状奇胎だったことがわかり、半年間かけてhcgがほぼ0になってキープしてくれたことで次の妊娠許可が12月に出ました。

病理検査の結果を待つ間も、毎月通院するときも、癌になることが怖くて仕方なく、hcgが0になるまでの日々は、モノクロでした。

胞状奇胎になるまで、妊娠したら無事に産まれる、流産の確率がそれなりに高いのも知ってるけど私は平気だとどこか思っていました。
そうしたらまさか、妊娠したことで赤ちゃんとお別れするだけでなく癌化する恐れのある病気になるなんて、思いもしなかった。
聞いたこともない病気だったし、なんで私が?と何度も思いました。本当に怖かった。

乗り越えて陰性化してからようやく気持ちが軽くなり、推しのライブに行ったり旅行に行ったり人生を楽しむことができるようになって、大好きな同期の最終出勤日を見送ったりもできました。美味しいお酒やご飯をたのしんだり、どれもこれも、1人目の赤ちゃんが忘れ物を取りに帰ってる間に神様がくれたボーナスタイムなのかなと思えるようになりました。



ですが、今年の1月、妊娠許可が下りてすぐに次の妊娠がわかり、やはり今回もえ?と驚いたものの、心拍確認ができる前に2人目の赤ちゃんを自然排出でお空に見送ることになりました。

胞状奇胎→流産、どちらも確率としては低いのに私ばかり、なんで、と再び悲観的になってしまいました。ですが、薄情かもしれませんが、思ってもいなかったタイミングで戻ってきてくれた我が子、心拍を確認する前だったことや胎嚢確認から割とすぐにお空に戻ってしまったので、胞状奇胎のときよりもダメージは少なかったのは事実です。
胞状奇胎は流産ではないので不育症検査はまだいらないだろうといわれ、次の妊娠に備えて、初めて、夫婦で本格的に妊活を始めることにしました。ただ、元々、生理不順→手術→流産を経て周期がガタガタになっていたこと、私がタイミングをとりたい時期に1ヶ月おきにどちらかが体調を崩したりしていたこともあり、なかなかうまくいかず、焦る自分がいました。


そんな中、今年の9月、生理が遅れていて、結婚記念日の0:00に検査薬を試したら陽性になりました。すごく嬉しかった。初めての妊娠から1年3ヶ月、2度目の妊娠から8ヶ月、私たちの元に赤ちゃんが帰ってきてくれました。不安もたくさんありましたが、やっぱり嬉しかった。

ただ、実は今頭の中を占めていて、文章にして整理したいことというのがこの妊娠に関することなのでここまでで一度切ります。


続く

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