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韓国の視聴者参加型歌番組の編成で気づいた、独断と偏見がもたらす平等。

Kpop好きと知る人は知っている私ですが、韓国の視聴者参加型の歌番組を良く見ています。そこで、ちょっと気づいたところがありましたので今回書いてみます。

特に好きな番組はFantastic Duoという番組とSing For Goldという番組です。Fantastic Duoは、毎回特定の歌手とのデュエット権を争って、視聴者がエントリーし、最終的に勝ち残った人がデュエットの音源制作もできるという番組です。

そしてSing For Goldというのはパフォーマンス合唱という、合唱をしながらパフォーマンス要素もあるというもので、世界大会出場をかけてエントリーしてきた合唱団が争うというものです。

二つとも、「歌唱」という芸術を争うもので、スポーツのように点数化することは困難です。日本ではカラオケ採点機を使って採点することで、「納得感のある結果」を得ようとしているケースはありますが、これとは番組作りの方針が全く違います。

これらの歌番組に共通してみられるのが、優劣で選ぶのではなく、一緒に歌いたいから選ぶという極めて恣意的な動機がその選択の基準になっていることです。

視聴者参加型の歌番組だとどうしても審査員が点数化して、勝ち残るみたいな展開をイメージしてしまいますが、この「一緒に歌いたいから選ぶ」という基準は、番組の構成としてとても優れていると感じています。

なぜなら、彼らは本当の意味で競争をしていないからです。もちろん、優秀であることは必要条件ですが、勝ち残る理由はそれではありません。あくまで、それを審査する人が「自分と一緒に歌いたいか、自分がプロデュースしたいか」で決めているのです。

これは一見、独断と偏見による差別のようにも見えますが、そうではありません。勝ち残れなかった人にとって、とても納得感のある結果が得られるからです。

なぜなら、負けた人たちは、実力で負けたのではなく「合わなかった」という一点で勝ち残れなかったと納得できるからです。

そして、この番組の作り方が優秀なのは、負けたからといって実力が劣るわけではないので、全ての出場者のステージがすばらしいコンテンツになりうることです。

日本であれば、JY Park氏が主催したNiziUのオーディションが思い浮かぶでしょう。彼女たちが選ばれたのは、優秀だからではなく、JY Parkさんが独断と偏見で「一緒に仕事をしたい人」を選んだのです。

だからこそ、落選した人も「劣っているわけではない」のです。

優劣ではなく、独断と偏見で選ぶ。これは一見差別している、下駄をはかせている、贔屓しているといったマイナスの言葉で語られることも多いかもしれませんが、実は、誰かを選ぶ時にはこの方法の方が、受からなかった人にとっても受かった人にとっても幸せなのかもしれません。

これは企業における採用においても同じかもしれません。一緒に働きたい人を選ぶのであって優劣で選ぶわけではない。採用できなかった人は劣っているわけではなく、たまたまその会社の合わなかっただけである。

そう割り切って次へ進める。そして誰も傷ついて立ち止まることがない。そんな競争環境を作ることもできるはずです。

競争環境という緊張感を持たせながら、挫折も味わいながら、でも全員が前を向いていけるとても素敵なあり方。それが独断と偏見によってもたらされるとしたら、案外その方法もありなのではないでしょうか?

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