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昔に前ならい📣

今の時代では珍しい4世帯家族の中で、暮らしていた私。

自営業で、豆腐屋だったこともあり、家族で朝ごはんを一緒に食べることは1度もなかった。

物心着く頃には、いつもひいじいちゃん、ひいばあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんがそばにいることが多かった。

ひいじいちゃんは体が弱く、入退院を繰り返していた。
家にいる時はひいじいちゃんの近くで遊ぶことが多かった。入院したら、病院までお見舞いに行って、一緒に黒棒を食べていた。ほんとに優しくて大好きだった。
初めての死を目の当たりにしたのが、ひいじいちゃん😟
私が年長さんのときだった。

仮通夜、通夜は家でやって、葬儀は近くのお寺。
普段会わない親戚がたくさん来る。死への実感はなく、何もわからなかった。

火葬場で初めて、怖い:(´ºωº`):という感情が湧いた。
遺骨を拾うことができず、ただただ、大好きなひいじいちゃんが亡くなったことが信じられずにいた。
葬儀で、すっと涙が流れた。。。

ひいじいちゃんが亡くなった後、心の穴を埋めてくれたのがひいばあちゃん。

いつもいっしょにいてくれた。

ひいばあちゃんの日課は、みんなの朝ごはんを作って、仏壇にお供え物をして、『家族が幸せに暮らせるよう』御先祖様に手を合わせる。その後、家中の掃除をし、愛犬の散歩をしていた。
演歌🎵さざんかの宿🎶雪椿をよく歌っていた。

ひいばあちゃんは、ひいじいちゃんと比べると、ほんと厳しい人だった。『こんにちは』『ありがとう』など、挨拶をしないとすっごく怒られる。掃除の仕方や茶碗の洗い方、米の研ぎ方は、ひいばあちゃんから、嫌なくらい躾られた。

怒られても、ケンカみたいなやりとりが楽しかった。

基本的に、優しい人なので、『昼は何食べるかい?』ってよくご飯作ってくれたし、一緒に3時のお茶もした。

よく作ってくれたのは、高菜チャーハン🍴💕
誰も同じ味は作れない。料理上手の母でさえ、作れなかった。

ひいばあちゃんの口癖は、もったいなか~www
服が破れても、縫い治して着る。物を大事にする人だった。

今思えば、私の原点はひいばあちゃんなのかもしれない😁
出来ないことは決して責めない。やらないことは絶対怒る。

🙅‍♀️やる前から出来ないと決めつけるな🙅‍♂️

私の中に、残ってる意志。

誰しも、先祖の意志が体に引き継がれている


すべてのご縁に✿感謝(人´ω`*)感謝✿



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cabin
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