人生の精算所
人間、決断せねばならない時が幾度もくる。
受験、就活、結婚、大きな買い物や今日の晩ご飯に至るまで、大きくくくれば決断というものをせねば未来はやってこない。
悩ましい悩ましいと思わされることも多々あるが、私は悩むのが凄く苦手だ。およそのことは「どーしよっかな〜」と言いつつほぼ決まっている。
話が逸れてしまったが、私は遺恨を残すのもモヤモヤしたままにするのも大嫌いだ。中途半端なサムシングというものが嫌で仕方がない。と、言いつつもダラダラ趣味に興じる為に色々な仕事を手を変え品を変えしているアラサー女性である自分が一番中途半端なサムシングな気がするが、それは私が選んだ人生なので別に気にしていない。色んなことしてみたいんだもん。お母さんごめんね。
また大きく話が逸れまくったが、そのサムシングの中でも決断すべきところはスパッと決断した。
20代半ばの頃、貰い事故で愛すべきオンボロ車が廃車になってしまった。不幸中の幸い、駐車していて車から離れていたので、自身には全く怪我はなかったのだが、ローンを払い終わったばかりだった身としては途方もない程の痛手だった。ディーラーに事情を話すと、「ではこれを機に新車にしましょう。今ならオプションつけちゃう。」と言われ即決してしまった。当時超低賃金のフリーターだった為、貯金はおろか日々の生活もギリギリだった。なのに即決してしまった。だが後悔はしていない。その時の新車は今でも愛用しているし、運命の出会いだったと信じている。あの時日和って適当な車を当てがっていたら、今のQOLは下がっていたと思うし、あの事故のおかげでオンボロ車ではできなかったこともたくさんできたからだ。
車を新調してすぐ、何年も付き合った彼氏と別れた。彼の母の所にも挨拶に行ったし、彼は私の家族とも交流があった。"普通に結婚するつもりで付き合っていたのに"、だ。当時働いていた職場にも彼の元へ行くために退職の意を伝えていて、私は職場に「実は別れてたんですぅ」とも言えずにめっちゃおめでたい空気を全面に浴びながら退職した。まぁ色々あって別れようと思ったのだが、所謂「円満離別」だったと言えると思う(向こうがどうだったかとかは知らないけど)。あの時は「なんなんだよホントに全く人生ってヤツはよぉ」と思ったりしたが、その日の晩には笑いながらご飯を食べていたし、あの日スッパリお別れをして良かった。お別れしたその日から連絡は取ってないし、思い出すこともない。あったとしてもいい意味であの人元気にしてるかな〜くらいだ。
そして、私がお別れしてすぐ兄が結婚した。私は兄の結婚という門出を盛大に祝う為、雀の涙程の僅かな貯金を使い果たした。もうどうにでもなれと思った。元々結婚資金にしようと思ってたモノだったので、兄に私の縁起の悪さが降りかからないか一抹の心配をしながら全力でお祝いした。幸い兄は未だに夫婦ラブラブだし、子宝にも恵まれて絵に描いたような家庭を築いている。
とある時期に割りかし怒涛の人生の清算場所があったのだ。車を失い、恋人が去り、仕事も辞め、貯金も0。丸裸のまま世界に放り出された気分だった。
だが全部有耶無耶にしなかったおかげで、今の私がある。有難いことに家族は放り出された私に衣服を着させてくれたし、自分自身全く気に留めていなかったからか「人生なるようにしかならんな」と開き直っていた。まるでデスノートのリュークのように人間ておもしろ!とか楽観視しまくっていた。まぁ家族からしたら借金のあるニートを養わねばならないという世間からしたらかなり後ろ暗い時期だったと思う。そこに関しては未だに心底謝り倒している。
がしかし、私がすっきりさっぱりし過ぎていたからか家族も「お前のサムシングがお前を成長させたんよ」と今は笑ってくれている。当然私も精算をキチンと済ませたから、成長というものが手元に残ったのだと確信している。
もしあの時○○していれば…今は決断できないからとりあえずこのままでいいか…などと精算すべき時に何もせずに居たら、精算料金は膨れ上がって手がつけられなくなる。利子のように日に日にかさんでいき、アデ○ーレ法律事務所に泣きながら駆け込むしかなくなるのだ。と言ってもア○ィーレに駆け込んだ所で最終決断を下すのは己である。結局スパッと解決するに他ならない。
人生とはかくもたくさんの妙で覆われている。ズパッと決断を下したその時は(本当にこれでよかったのだろうか)という疑念がチラつくかもしれない。だがそれでいいのだと思える時がいつか来る。バカボンパパも笑顔でそう言って肩を叩いてくれるだろう。
と書いてる最中に思い出したのだが、先日ドラッグストアに寄った際に姉に借りた千円をまだ返していない。こういうのも「まいっか、後にしよ」と言わずに思い出したその時に返そう。
よし、今日は財布を出すのがめんどくさいので明日にしよう。