【BL小説】
青嵐のその先に 1
今でも、ありありと思い出す。
重なる葉の隙間から漏れる、柔らかい光。
目に眩しい、明るい緑の先にひっそりと建てられた木造の教会。
神なんて信じてはいなかったけれど、彼のことは疑わなかった。
平日の早朝。その日は晴天ですでに太陽が高く昇っていた。
五月でも冷涼な空気が、より神聖さに拍車をかけていた。
「誓ってよ。俺のことだけ考えるって」
キングのように傲慢で、大胆な啓示。男は小さく体が震えた。どこまでも自信がある堂々とした態度は、そうでないものを魅了する不思議な力があった。
毎週末、彼の声によって大勢の人間が動く姿は、彼の職業名を誇り高く輝かせていた。
小さな園の中で、彼が全てだった。
年齢も、経歴も彼のほうが浅いことは最早どうでも良かった。
多くの人々が永遠を誓った場所で、唇を合わせたあの日。
前日の挙式で使用された白い薔薇が、一輪だけ耳にかけられた。
頬から伝わった彼の熱を、今でも夢の中で感じる。
傷だらけの己の手とは違い、骨ばった大きな手のひらが男の頬に触れた。
光に照らされ白飛びした彼の表情だけが、ぽっかりと思い出せない。
朝は五時起床。
男は起床すると、すぐに作業服に着替える。
少しでも涼しく過ごすために、麻の半袖シャツと若草色のスラックスを合わせた。
タイル張りの洗面台で、顔を洗う。
きんと冷たい水のおかげで、直ぐに目が醒める。
日中は酷い暑さと湿度だが、朝は爽やかな風が吹く。
目の前の窓は、外に蔦が茂っており葉の影が優しく揺れている。
紺野樹(こんのいつき)は民宿業を営み始めてから、既に三回目の夏を迎えた。
本日も蝉が大合唱している。
長い廊下は、まだ十分に日が入らず仄暗い。
ふと襖を一枚隔てた部屋で眠る少年は、ぐっすり眠れただろうか気になった。
とはいえ、宿泊客の朝食を準備しなければならないため一旦厨房へ向かう。
ステンレスで出来た銀色の作業台で、大根と油揚げ、そして青ねぎを切る。
水道の蛇口を捻り、鍋に水を入れる。
水はこの地域の誇りだ。
美味い酒と米は、この水が無くては始まらない。
大根を鍋に沈める。
年季の入った業務用のガスコンロは、着火剤を用いて火をつける。
じじじ、ぼっ。聞き慣れた音で、一日の始まりを感じた。
温まるのを待つ間に、鉄板にクッキングシートを敷き、塩鮭を人数分並べる。
冷蔵庫に入れ、すぐ焼けるように準備しておいた。
美濃焼で揃えたお気に入りの食器は、日本海を思わせる深い青だ。
茶碗や皿だけでなく、小鉢や箸置きなども趣味で揃えた。
前日に作っておいたきんぴらごぼうと、ほうれん草のおひたしを盛り付ける。
紺野は満足げに炊飯器を開き、胸いっぱいに湯気を吸う。
炊き立ての白米は、艶やかに美しく立っている。
毎朝、朝日が差し込む中で米をかき混ぜる作業は紺野を満たす。
大皿に白米を盛り、ちりめんじゃこと細かく刻んだ野沢菜漬けを混ぜ合わせる。
しっかりと洗った手に水をつけ、三角に形成する。
仕上げに焼き海苔を巻けば、おにぎりの完成だ。
紺野は手際よく卵をとき、青のりと白だし、ほんの少しの砂糖を加え油を敷いた卵焼き器に流し込んだ。
じゅわじゅわと音を立てて、気泡が浮かぶ。
毎朝のルーティーンとなった今は、四角く焼きあげることもお手のものである。
本日は老夫婦が宿泊しているため、すぐに朝食の準備は終わった。
紺野は畳の敷かれた食堂に移動し、杉の木で作られた机をダスターで拭く。
だが、ひたと手をとめ紺野は考える。
彼にも客と同じ朝食を出すべきか?
昨晩の遅くに、知り合いである父親の人物と共に訪ねてきた少年。
彼は一応住み込みで働くという話だが、ひどく疲弊した様子だったため朝は無理に起こしていない。
少年を預かることになった経緯は、昨晩に遡る。