なあ、俺が死んだらあの頃の笑顔のままで迎えてくれるか?「鏡(桑田佳祐、1994年)」
※この記事は、私が「愛に近づくMan and Woman」というブログ内で2019年3月に公開したものを再編集したものです(https://manandwoman.home.blog/)。Wordpressは使いづらいので、これからはnoteで更新していきたいと思います。
誰しも何かしらの音楽ファンであれば、「この曲もっとみんなに知ってほしいのに~!!んん~」といつかの冬彦さんのように唸りたくなる曲が一つや二つ、あると思います。
私の場合、その一つは間違いなく今回ご紹介するこの曲、「鏡」です。
曲の詳細・歌詞はこちら↓
https://southernallstars.jp/mob/titl/tracShw.php?site=SASJP&ima=2155&aff=ROBO004&cd=D08300040
暖かなアコースティックギターのイントロで「雨の昼間にコーヒーカップで…」と始まるこの曲。
長さは3分11秒と短いもので、メロディーラインもあっさりしています。
「流しているといつの間にか終わっている曲」との印象をもつ人もいるでしょう。
しかしながら、こじんまりとしたイントロにこじんまりとした歌い始めでささいな日常を朗らかに歌った曲かと思いきや、歌詞を丁寧に追っていくと色々と感じるものがありました。
以下、私がこの曲を聴いて感じた解釈です。
♪ 雨の昼間にコーヒーカップで愛を御馳走する
雨の昼間。穏やかに小雨の降る初夏か、激しい雨の日か。おそらく前者。そして雨音に抱かれた静かな時間に彼は、大切な誰か=御馳走の相手、を待っているかに思える。
♪ 風凍る陳腐な青春に”投げキッス”を頂戴ネ
風も凍る勢いの、ありがちな青春の記憶―と文字通り解釈するのもありだと思いますが、青春とは失敗や恥ずかしさとも結びつくもの。ここで彼のいう「青春」とは恥ずかしく情けない過去の出来事のこと。思い出すだけで恥ずかしさに身悶えるけれど…そんな記憶も冗談めかしてほしい。
この一節は、おどけつつそんなことを「これからここに来るであろう相手」に心の中で懇願しているように取れる。
♪ 時刻(とき)迫るほどにジンクスは解けて 鏡よ君に語ろう
時を重ねれば重ねるほど、そういった「過去の失敗」は薄らいでいくものなんだ。だけど同時に、その「過去の失敗」さえなければ今頃はこうだったはずなのに、ああなっていたはずなのにという、かつての自分が思い描いていた将来図は、少しずつ少しずつ現実と相違えてゆく。あの頃抱いていた望みは少しずつ溶けて小さくなっていって。
そんな違和感を心で感じながら過ごしていたある日、老いてゆく鏡の向こうの自分に「俺はこれでよかったと思う?」と問うてみる。
♪ 向こうが泣いたら親友同士の愛は錯綜する
直前の詞との繋がりを考えれば、ここでいう「向こう」とは鏡の向こうに映る自分。それも、今現在だけでなく過去ともつながった自分。
果たして、問われた「向こう」は過去の情けない自分の姿や出来事を思い出して、申し訳なさそうな顔で口をつむぐばかりだ。
あるいは?その「過去の失敗」とやらが起きる前のもっと昔の自分が鏡の向こうにいて、未来の躓いた自分の姿にショックを受けて泣きそうになる。
だけれど、「向こう」に問うた張本人は過去を過ぎて今を生きようとしているから、そういう情けない自分との感情の静かな衝突が起きる。
♪ 憐れで呑べえな精霊は過去に触れない
そんな葛藤を続ける彼に対し、この精霊とやらは彼の過去には何も触れずにいまの彼をただ見つめるばかりだ。「憐れで呑べえ」。文字通り、かつての彼に苦しめられ、裏切られた、お酒好きなおちゃらけたやつ、でしょうか。
でも、精霊って現実世界には存在しない。国語辞典によれば「精霊」とは「肉体を離れた死者の魂」だから、そんなややこしい彼とは取り敢えず「下界では」おさらばして、自由になった、彼のかつての親友でしょうか。
♪ 振り返るたびに天使は逃げて 今君は幸せかい?
さて、主語は彼に戻る。さっきから悩み続けている彼だが、その元凶である過去を振り返れば振り返るほど、自分の中の良心であるとか、愛情であるとか、大事にしていた恋人や友人、家族との記憶は勝手に遠ざかっていく。
あの頃仲良くしていた友達、心の底から愛していた女性、日常の一部だった家族は、今はどこかで幸せに暮らしているのだろうか。俺との思い出など忘れて。それとも―
♪ Without love in your heart. 君と見つめ合い Without love in your stare. 明日は遠ざかる 互いを嘆くような二人
先程からすでにその傾向がありますが、この曲の特徴だと最も感じる点が「主語が多い」こと。ここでいう「君」も、先ほどの「君」とは違い鏡の向こうの自分を指すと思われます。
こんな調子で自問自答しているときりがなくて、ひょっとして俺のもとには夜明けなど来ないのではないか、そんな不安にふと襲われる。
だけれども、今を生きようとする俺にこれでもかと情けない表情を見せる過去の自分と、泥のように付きまとうそんな過去の姿に目を背ける自分。こんな葛藤は、きっと明日も明後日も、その先もずっと続いていくんだ。
♪ 俺が死んだら闇の銀河に誰を招待する?
人は息を引き取るとその瞬間、生涯で最も愛していた人と生き写しの顔をした天女が迎えに来て昇天する、とは仏教の言い伝え。私はこの部分の歌詞を聴くといつも、この言い伝えを思い出します。
さあ、俺は死んだら誰に逢いたいだろう?きっと考えればたくさんいるんだろうけど、一番逢いたいのは、話をしたいのは・・・もしかして、さっきの呑んべえとやらの精霊だったりして。この世ではもう二度とかなわなくとも、あの世に逝けば、なあ、お前はあの頃の笑顔で俺を迎えてくれるか?
♪ 光の中じゃ永遠に嘘はつけない
そう、死んで名誉も過去の汚れも全て洗い流されたらば、生前のハッタリも、虚勢も、見栄も通じない。ただそこにあるのは数十年の人生を全うした、「俺」というただ一人の人間だ。
もちろん、闇の銀河に一番招待したいあの人の前でも。
♪ 罪深き胸の人物のために 鏡よ君に語ろう
きっと彼が死んだら、闇の銀河にはこの胸の中にいる人物を招待するんだろうな、そう感じさせる引っ掛かりの有る歌詞。彼の中では何かしらの出来事がきっかけでこの「人物」に罪悪感を感じてしまっている。
それなら直接その「人物」と会って話し合えばいいものを、ゴメンすればいいものを、うじうじと抱え込んでしまっているのはなぜだろう。
その人がもういなくなっていて先ほどの「精霊」と同一人物なのだろうか。それとも「ごめんね」をいえば済んだ仲ではもうなくなってしまっているのか。
どちらにしろ、この「人物」と彼はお互い、違う方向を向いていて、純粋に分かり合える仲は終わってしまっているのだ。
♪ Without love in your heart. 君と見つめ合い Without love in my dreams. 他人(ひと)の愛は無く Without love in your stare. 明日は遠ざかる
―そんな彼の途方もない思いは巡り巡っていま現在、結局だれかの愛情なんて無い。
だっていくら鏡の向こうの自分に何かを問いかけたって、愛を御馳走したい待ち合わせの相手も、可哀想だけど陽気で明るい精霊も、かつての天使も、胸の中にある人物も、俺のもとにはもう二度とやって来ない。
あたたかなメロディーラインと、深遠でどこかロマンティックな歌詞を紡いだ世界観の中で突然、冷や水のように投げつけられた「他人の愛は無く」という歌詞は、俺を現実の世界に引き戻す。
♪ 冷たいドアのような鏡
そして結局、今日も俺は過去の自分をどこか赦すことができない。
―だけれど、ただの「冷たい鏡」じゃなくて「冷たいドアのような鏡」なら。
過去の彼が過去の彼足るゆえんを赦した瞬間きっと、彼が新たな一歩を踏み出せる気がしてなりません。
案の定、丁寧に追って行ったら非常に折り合わすことの難しい歌詞です。
しかしながら、物語の中心は
過去に暗い影を落としながらも、それを振り切ってでも大事な人のために生きたい、生きたい・・・と願う一人の男
にある気がします。
暗い過去という言い方が大袈裟であるにしても、「あの時、あんなことを言わなければ・・・」「どうしてこんなことをしてしまったんだろう・・・」そんなふうに悩む気持ちを(若干突き放しつつも)救ってくれる、そんな曲だと思います。
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