売れうつという漫画と思想の話

序々盤に。売れうつはいわゆるボーイズラブコンテンツに内包されるので、苦手な人はこれも見ないことをおすすめする。……自分がこれをボーイズラブとして読んでいないことは置いておく。
『テメーみたいなやつの文章なんか読んでやるかよこの社不野郎がよ』という人でも、もし興味があるならこの作品はぜひ読んで欲しいので最初にURLも貼っておく。Pixivに飛びます。多分web版。ちょっとだけ虫がある。


売れっ子漫画家×うつ病漫画家 | 溺 英恵


散々前置きして始めるが、大前提として私は小説と絵を書く、創作の人間だ。拙い小説を書いてその度に一人でやったーと踊っているタイプの創作人間。自分で言うのもなんだが、そんなに上手くはない。年数は重ねた。五、六年くらい。


そんな自分でもやはり創作者として面白いものを読んで打ちのめされることが多々あるわけで。私にとってのそれが、こころであり、マイ・ブロークン・マリコであり、好ffの書く小説であり、死後の恋であり、某ソシャゲの二次創作であり、ルックバックであり、人間失格であり、売れうつであったわけだ。


創作物を読んだ時にひたすら打ちのめされること自体、少ないと言えば確かに少ない。というか、挙げたものを見ればわかるがだいたい自分は同性間のアレコレが好きだ。ガッツリ恋愛がメインの物は逆に好きではないんだけれど。AIなどで言う不気味の谷現象みたいに、いわゆるオタクのいう『クソデカ感情』というものが好きで、そこを越して恋愛に収束してしまうとちょっと違うんだよな。あくまで女性と女性の話でも男性と男性の話でも所謂ブロマンスじみたものが好きだ。


閑話休題。思いつくままにとぷとぷと言葉を吐いているので、すぐ話が逸れる。そのうち言葉の吐瀉物で溺死する。


売れうつは面白い。それ以上に、私が羨ましい。私がやりたい、読みたい創作というぼんやりとした概念があって、それが目の前にポンと出てきた感じといえばわかりやすいだろうか。傲慢にも「私だってこういうものが作れるはずだ」と思いながら怠惰に生きている人間だからよりそういう気持ちが湧くのかもしれない。


売れうつというのは、福田矢晴/古印葵という『うつ病漫画家』と上園純/望海可純という『売れっ子漫画家』の話だ。精神疾患患者の復帰エッセイによく出てくる、理解のある恋人枠が上園純であり、復帰エッセイの主人公側が福田矢晴であると言えば軽く話がわかりやすいかもしれない。福田矢晴が今のところ復帰エッセイの主人公ほど救われているとは思えないが……。その上園純的存在になりたくて溺英恵さんが描いたのが、『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』……売れうつという作品だ(1話キャプション)。
往々にして私は創作をする人間でありながら創作物を語ることが苦手なので、自分の話を挟みつつ語っていく。


私は矢晴になりたいと、読み返す度思う。純という存在に愛されているから、というのも多少はあるが、創作に対する才能と沢山のことを考え続けられる頭脳、脳内で燻るそれを出力できる唇。羨ましいと感じる。純にもこの3点は装備されている、矢晴のそれとは少し違うが。


売れうつの好きなところは、この2人の対話とそこから見える思想にある。
例えば第6話「上園純の視点 その②」。私が一番好きな話だ。居酒屋で矢晴がある映画のラストシーンについて語り、そこから広がっていく純の思考。誰にも必要とされなかった死んだ誰かの話、純から提示される契約……。
『たかが金』、『されど金』。
私は『されど金』の人間だ。どちらかと言えば作中で語られていた純の思考に近い。金があるだけで精神も生活もきっと今の数倍安定するだろうと容易に予想できるし、金がないだけで何も出来なくなる。金を吊り下げられれば、尊厳崩壊の1歩手前までやってのけらそうな気がしなくもない。金の亡者に育ってしまった。5000兆円欲しいと思いながら布団に包まれて呻いている。
それと同じくらい抱きしめて欲しいと思いながら布団に包まれて呻いている。兎は寂しいと死んでしまうと言うが、人間こそそうだろう、とよく考える。
作中に自殺した誰かの存在が示唆されている。誰からも大切にされなかった存在はいとも容易くこぼれ落ちてしまう。大切にされていた存在ですら現代社会ではそれを捻り潰してしまうほどの悪意に殴られ続けこぼれ落ちてしまうのだから当然のことだろう。そこから這い上がれるのは……そもそも生き残れるのは、ほんのひと握りでしかない。逆も然りだ。生きている人間全て、無能の烙印を押される日を待ちながら生きている。
人間はひたすら弱い。特に頭の良かった過去の人間のおかげで食物連鎖と少し外れた場所に居られている、食物連鎖で一番ぶっているだけのか弱い癖に偉そうな生物だ。それ故に一人で生きられるようには元々設計されていない。全ての人間が完全に一人で生きられるなら、理解がある恋人の存在意義は無いはずだ。実際はエッセイ内容の九割が理解のある恋人で形成されている。
だからこそ、「死ぬまで一人じゃなくなる約束」は甘美なのだ。純の抱きしめた手からアオムシが矢晴の背中に根付いてしまう。己のような人間がどうしようも無く焦がれるものがそこに存在している。
私も、唯一の愛する親友に遺骨を拾って欲しいと思う。然して、彼女の一番は私でない方が確実にいいことは明らかだ。


ふとここまで書いてアメリカ民謡研究会を思い出した。VOICEROIDで音楽を作っている人である。美しい音楽だ。矢晴と純の関係性そのものだとは言わないが、ちょっとだけそれを思考するお供に良いのではないだろうか。数曲、お気に入りの曲のurlを貼っておくことにする。



他にも第11話「蜘蛛・オキトキシン」、12話「幼生・トランスフォーム」、第13話「上園純、曰く その③」の3話の当たりは思想が強くて面白い。純と矢晴の思想バトルが好きだが多分売れうつはそういう漫画ではない。
第13話はタイトル通り矢晴ではなく純の思想が主に描かれているが、メインストーリーの方でもぐいと無理やり首を回されたような感じになった。折れてるかもしれない。そのくらいの衝撃のある話だった。何度読み返したか、ハッキリ覚えてはいない。


思想メインではない漫画メインの話をすれば、第2話「後悔・プライド」、第3話「攻撃性・マインド」、第8話「零・クッション」、第10話「経験・アンデッド」、第11話「蜘蛛・オキトキシン」、第13話「上園純、曰く その③」とかも好きだ。ここに挙げていないものも数話あるけれど、それでもどれもが面白い。現在1話から14話が公開されているけれど、やはり何度読み返したか覚えていない。


読むと精神が引き摺られる事も多々ではあるが、やはり面白いものは何度も読み返したくなる。私の拙い文章を読んで興味が湧いたならぜひ読んで見てほしい。このnoteを読むよりは確実に、有益な時間が過ごせるだろうから。




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