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父として感じ、経営者として考える地域留学

一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム(以下CPF)の専務理事として中・高校生向けの越境事業を牽引しながら、5歳の息子の父親として島根県松江市に暮らす尾田洋平さん(以下尾田さん)。2024年2月25日~3月2日の一週間、岐阜県飛騨市の河合保育園にて妻・真純さんと息子・耕太朗くんの三人で行った保育園留学について、父として、そして経営者として得た刺激や変化についてインタビューさせていただきました。(インタビュアー 樋野奈々彩)



▼二度目の保育園留学“不便だからこその温かみ”を感じて欲しい



─今回は尾田さんと耕太朗くんにとって二度目の保育園留学だったそうですね。飛騨に行くことが決まった時の反応はいかがでしたか?

2023年の6月、耕太朗と二人だけで熊本県天草市に保育園留学へ行ったことがあったので、今回の飛騨での保育園留学は私と耕太朗にとっては二度目、妻にとっては初めての経験でした。彼の反応は、今回はお母さんも一緒に行けるということで前回よりも余裕がある感じがしました。私自身も妻がいてくれる安心感がけっこう大きかったですね。

─耕太朗くんの普段の暮らしぶりはどんな様子ですか?
私自身が仕事の都合で出張が多く月の半分以上は家を空けざるを得ない生活なので、耕太朗は本当にお母さんっ子です。ただ前回の留学以降、私と二人でも寝てくれるようになったのでとても嬉しいです。出張が多い一方で、月に一度は家族三人で旅行がてら県内外で宿泊する機会があるのも習慣なので、彼自身は非日常が好きで家以外の場所で寝ることも抵抗は無いみたいです。

─父として、どんな思いで今回ご家族三人で保育園留学を体験しようと思われましたか?
彼自身の意思がどこまではっきりあるのか分かりませんが、一度目の保育園留学をした際、こういった別の地域や別の環境に飛び込む経験は親としてシンプルに「いいな」と思ったので、またやりたいと思いました。普段暮らす松江の街は県庁所在地ということもあり、なんでも手に入るすごく便利な街です。一方で、地域には不便だからこその人の温かみや社会への手触り感があると感じています。全国のどこにでもある味噌一つとっても色や香りや味が全然違ったり、同じ日本語なのにその土地独自に根付いた方言は外国語のように理解ができなかったり、地域にはそういう「地域ごとに育まれてきた文化や歴史」がたくさんあると思います。親として、少しでも多く子ども時代にいろんな地域に行って、いろんな違いを体験してもらうことが大人の役割だと思っており、そういう体験をするために地域というフィールドはとても良いと考えているため、今回また保育園留学をすることを決めました。

▼帰り道の度に尋ねられる「あと何回保育園に行けるの?」


─飛騨での1週間の耕太朗くんの生活ぶりはいかがでしたか?
日曜日に飛騨に到着して身の回りの整理をして、月曜日の朝8:30に保育園へ行き夕方16:30に保育園から帰ってきてその間私はリモートワークするというルーティンを平日の5日間繰り返し、土曜日に帰るという1週間でした。その中で、前回の留学の際よりも“知らない土地に行って知らない人と接する”ということに慣れていたという印象があって、今回はすぐに保育園に馴染んで周りの子どもたちと仲良くなり先生たちとも喋れるようになりました。毎日保育園への送り迎えをしていると朝と夕方の彼の様子を見れば保育園を楽しんでいる様子がよく分かり、帰り道の度に「あと何回保育園に行けるの?」と尋ねてきたほどでした。

─父として、飛騨で過ごした家族との1週間でどんなことを感じましたか?
耕太朗の保育園以外の時間、彼は普段する携帯ゲームは全くしなくなってその分家族で地域に出かけることで、毎日行った温泉で地域のおじさんに話しかけてもらったり、お総菜屋さんでおばちゃん達と交流したり、町を歩く度に知らないおじちゃんやおばちゃんが親しく話しかけてもらいました。そこには包摂された地域の中に濃密なコミュニティや社会への手触り感が存在すると感じ、人や自然と触れ合う時間を過ごすことで、自身の身体性に触れることができた貴重な“非日常”の一週間になったと思います。

▼外側に出たからこそ実感した内側の安心感や心地よさ


─1週間の保育園留学を終えて松江に帰ってから、耕太朗くんに変化はありましたか?
圧倒的な変化というものはありませんが、いろんな場所に行っていろんな人と触れ合いいろんな経験をすることは楽しいことだと思うようになり、そういった体験に対して意欲的になったように感じます。その影響もあり3月末には鳥取県の智頭町で「お試し地域留学」への同行も楽しんでいました。そしてもう1つ印象的だったことは、彼自身の言わば“ホーム”である松江に帰ってから、保育園で初めて泣いたことです。これまでは比較的空気を読むタイプだった彼が、いい意味で空気を読まず感情を自己開示するようになりました。外側に出たからこその内側の安心感や心地よさを実感できるようになったのだと思い、父としては嬉しい変化でした。

─尾田さんご自身も父としての変化はありましたか?
私自身は、家族と一週間生活をすることが単純に楽しかったです。そしてなにより二人への感謝の気持ちが芽生えました。耕太朗が生まれてきてくれなかったらこんな尊い時間は経験できなかったし、会社を休んでまで付いてきてくれてこうして家族に安心感を与えてくれる妻への感謝も改めて感じました。

─これから先、耕太朗くんにはどんな風に育っていってほしいですか?
“こんな風に育ってほしい”というものは特別にはないかもしれません。親としてやってあげられることは、機会や選択肢の提供と本人が意志を持った時のサポートだけだと思っています。なんとなく、小学生くらいまでは本人がやりたいことに対して親から能動的に機会を提供してあげて、中学生くらいからは選択肢は与え続けるものの最終的な選択と行動は本人に委ねたいと思っています。これからも家族でいろんな経験を一緒にやっていく中で、世の中にはいろんな場所があることを知ってもらい、人生における幸せの軸や価値観は自分自身で決められる世の中なのだと伝えていきたいです。

▼「地域みらい留学」が大人にとっても憧れの選択肢になれているのかどうか


─視点は変わりますが、同じ越境事業を世の中に提供する“経営者として”実際に「保育園留学事業」を体験して、どんな刺激がありましたか?

まず前提として、人が物理的に移動する“越境”はどの世代においても価値があると感じており、さらにその期間は日帰りでも一週間でも3年間でも良いと思っています。だからこそ、いろんな越境のバリエーションがもっと増えていってほしいと思っています。そのなかで「保育園留学」というありそうでなかった、だけど名前を聞いて一発でそれが何なのか分かり、子どもたちを軸にしつつ大人たちに移住を意識させられる事業。同じ越境事業を提供する身としては少し悔しさもあるほど見事な事業だと改めて感じました。私自身も今はキャリア的な面で松江に住居を構えていますが、いつか地域で家族とこんな穏やかな暮らしができたらいいなという憧れさえ抱かせる事業でした。

─今回の刺激を受けて、これからCPFではどんな風に事業を発展させていきたいですか?

「保育園留学」と比較した際のターゲットの狭さ広さの話ではなく「地域みらい留学」が世の中に与えられるインパクトは、まだまだ余白があると思っています。我々が提供できる越境価値は、もっと世の中へメッセージングしていけると思っています。親として子育ての一環としてやってみたいような、大人にとっても憧れの選択肢になれているのかどうか。全国の中学校に多くのチラシを配布しデジタルマーケティングを頑張ってきた“狩猟型”の広報戦略から、長い目で見た親世代の新たな価値観や文化をつくっていくような“農耕型”の広報戦略への切り替えが近い将来必要になっていきます。そのとき、「地域みらい留学」だからこその越境価値や哲学をしっかりと言語化できるような団体にしていきたいと考えています。

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