「C-origin」リリース / コーヒーを起点にカルチャーと繋がるブランド
フレッシュコーヒーを起点に、ユースカルチャーやアートの醸成をミッションとするブランド、「C-origin」をリリースする。
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20年前に、エコノミクス誌にてこのような記述が残されている。
あなたが話題や流行についてみんなの意見を知りたいとき、もしくは政治や最新技術の話題に置いて行かれたくないと考えたとき、どこでそれを知ろうとする?答えは簡単。インターネットだ。300年前に同じ質問をあげたとしても、答えは依然簡単だったようだ。その答えこそコーヒーハウス。一杯のコーヒーを入場券に最新ゴシップを聞いたり、新たな科学技術に心躍らせたり、多様な知識人と交流をしたり、なんだってできた。(拙訳)
SNSが台頭する前からカフェカルチャーとインターネットの”役割”は近かったようだ。300年前からカフェカルチャーには「市民層が政治・経済・文化など多様な議論をかわす場所として機能し、新思想の伝播や世論の成長に大きく貢献する」という役割があったらしい。インターネット、とりわけSNSはカフェカルチャーから”役割”を受け継いだ部分がある。しかしそれは全てではない。例えばインターネットには管理者が明らかに、そして巨大な仕組みとして、いる。自由を抑圧し支配的であろうとする上位の存在や、その際限の無さは表現への敷居を少なからず上げる。カフェにはある種の閉鎖性とカフェインの引導する独特な”冴えたまま興奮する”感覚がある。
コーヒーは生来、反抗者のための飲料だ。ボストン茶会事件でイギリスの象徴である茶葉を投げ捨てたアメリカの人々は反抗意思の表現としてコーヒーを飲み始めた。そのスピリットは生き続け、今でもクリエイターやスタートアップで働く人々からコーヒーへ送られるラブコールの声は大きい。
そもそも、コーヒーというものは中毒性のある嗜好品であるという事実も忘れてはならない。忙しい社会の中でサヴァイブしていくために、カフェインの摂取のために、コーヒーは生活必需品であるという人々は世界中にいる。おいしいコーヒーを求め続けるジャンキーな層も一定数確かに存在する。また最近ではコーヒーの利尿効果や睡眠を妨げるといった副作用は否定されつつあり、それと同時に健康に良い効能を多分に含むという事実も発見された。
これからもコーヒーカルチャーは疲れた人々の安息の地として、文化の交差点として、そして潮流へのカウンタームーブの起点として人々に必要とされ続けるだろう。
人々が盲目で、ただ従順な存在に成り下がらない限りコーヒーカルチャーは革命家に寄り添い、仲間を集わせ、世界を変え続けるのだ。つまりコーヒーカルチャーは、時代がクリエイティブを求めるのなら煌々と存在し続ける。世界がどれだけ熱狂に包まれてもカウンターカルチャーを産み得る存在としてコーヒーカルチャーは意味を持つ。
「C-origin」は、フラストレーションが鬱的な感情へ導かれることなく、表現へ昇華される社会を目指す。TT総研のJKトレンド予測のトップに「病み系」という言葉が現れるような現在。前代未聞のパンデミックや暗雲立ち込める未来の前に、陰鬱な気持ちになる。インターネットの普及や多様性の価値観が世界的に浸透してきて、表現のハードルは下がったが、日本独特の同調圧力、過剰な”恥の文化”により、その一歩目を踏み出すことは依然難しい。その中「C-origin」は、同年代で活躍するクリエイターのフックアップ、場を間借りし様々な場所で行うカフェでのインスピレーションや勇気の創出、表現機会の提供等を通じて、今より誰もが自らの表現を楽しめる、その行為が陰鬱で扱いに困る感情へのセラピーを担えるような社会への貢献となることを目指す。
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とびきりおいしくてフレッシュなコーヒーを起点に多くの若者が夢を叶えられる、表現へ手を伸ばせられる世界を目指して「C-origin」は活動していきます。よろしくお願いします。
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