修学旅行のお土産で自尊心を脅かされた話
話は修学旅行前の準備にまで撒き戻る。
修学旅行へ行くのは僕ではなく、5歳ほど歳の離れた高校生の弟だった。
彼のクローゼットは服が少ない。野球部で毎日毎日練習に追われて私服を着る機会なんてないから、当然といえば当然である。もし彼のクローゼットが古着屋の倉庫みたいに服で溢れかえっていたら、特殊性癖以外、何者でもないことになってしまう。
制服の白いワイシャツと学校指定のジャージ、練習着、アンダーウェア。彼にとって、それがあれば衣食住のうちの「衣」の部分はある一時点を除いては概ね満足なのだ。
その一時点とは、「デート」ないしは「修学旅行」といった、私服で他者の同級生と差別化を企てるイベントのようなものであるが、彼にデートをする相手はいない。つまり、その一時点とは修学旅行だけだ。
この世知辛い現代ではあるものの、ユニクロやGUといった安くてかっこいい服を簡単に手に入れられる時代では、それらの店に足を運びさえすれば一定のクオリティは担保される。が、いかんせん彼は部活で忙しすぎるらしく、修学旅行まで服を買いに行く暇もなかったよう。
そこで(生憎)白羽の矢がたったのが僕のクローゼットだった。僕は一般的な大学生であるため、私服といわれるカジュアルな服は割と多く所持している。まあ、服を多く所持していても大学へ着て行くことくらいしか用途はなくて、女の子とデートするための服とか、そんな機会はそうそうにないから無論持っていない。
3泊4日分の服を貸したところで、私生活になんら影響はないくらいには服を持っていたし、(かわいい弟なので)どうせならモテてほしいしで、貸与に加えて僕は彼のコーディネートまで行った。
血のつながりのある弟とはいえ、パーソナルカラーが全く異なるため、ドンピシャで彼に似合う服を探すのは苦戦を強いられたが、アンミカになったつもりで彼に似合うお洋服を選別し(白って200色もない気がする)、栗山監督になったつもりで服の打線を組んだ(仕方ないからショウヘイ級の服を貸した)。
旅をすることは言わずもがな心浮き立つことであるが、こうして彼の旅の手伝いをすると自分までもが擬似旅行をしているみたいで、楽しい一時だった。
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彼が修学旅行へ行っている最中は、洗濯物が少ないし、お風呂に早く入れるし、物音で睡眠の邪魔をされないし、ポジティブな要素が多かった。まあ、いじり相手がいなくて少し寂しいといえば寂しかったけど(寂しくないといえば寂しくはなかった)。
そんな彼の3泊4日の旅行はすぐに終わってしまい、あっという間に帰ってきた。
彼が帰宅する時間は夜ということもあり、僕は先にお風呂へ入って、ゆっくり湯船に浸かることにした。
僕が湯船で何しているかなんて、気になる人間はこの世界に一人も存在しないだろうけど、ストーリーの展開として説明すると、スマホを防水袋に入れてYouTubeを観ている。
何もしていないと眠くなっちゃうし。
まあ僕は所謂Z世代の人間だし、年相応の行動でしょ?
ただ、同世代に人気のエンタメ系YouTuberの動画はあまり興味がなくて視聴しない。
その代わりといってはなんだけれども、成田悠輔とか、ひろゆきとか、若新雄純とか、その手の賢い人たちの話を思考停止で聞くのが好きだ。
その日も湯船に浸かって若新先生の話を聞いていた。「嫉妬論入門I-1」という、人々の嫉妬に関する研究について視聴した。
本当に簡略的に要約してしまえば、人は身近な人間に対して嫉妬心を抱きやすく、自尊心が脅かされたとき彼らを妬むのだという。そのため、このような状況に陥ったときは「妬むのではなく羨む」ことを薦めていた。
僕は、「自分は自分、他人は他人」といった価値観で生きているから嫉妬や自尊心が傷つくことなんてまあないだろうとたかを括っていた。
のぼせぬうちに風呂を出る。すでに弟が帰ってきていて、居間で横になっていた。坊主で丸いシルエットの弟へ「おかえりー」と言った。
弟はその後、ジュゴンの鳴き声のように返事をし、はっきりとこちらを見てつぶやくようにして言った。
「あ、彼女できたわ」
二度聞きした。
え、コイツ修学旅行に行ってたんだろ、と。修学旅行とは遊びではなく学習の一環なんだぞ、と。「修」「学」「旅」「行」。その漢字を見れば一目瞭然だろ、と。なぜ僕の服を着て僕の服のまま彼女を作っているんですか、と。
そうか。これが若新先生の言っていた身近な他者の存在で「自尊心が脅かされた状態」なのか。妬むより羨み、「ならば自分も頑張ろう!」というモチベーションに繋げなくてはならぬ。
「もうすぐ受験生なのに成績下がってしまいそうな未来が見えるね。可哀想!早急に服返して」と口から嫌味な言葉が出かけたが堪えた。
「おめでとう。兄貴も続くぜ」
そう言いうと彼はニヤニヤしてこちらを向く。特に何も口を開かない。それでも、「お前もせいぜい頑張れや」的なことを思っているのは血縁的シンパシーとやらでじわじわ伝わってくる。
弟の表情で余計に腹が立ち、なかやまきんに君並みの声量で有象無象の言葉を叫びたくなったがここも堪える。
素直に祝おう。
高校生の弟とはいえ身近な人間に対して嫉妬心を抱いてしまうことはどうやら本当みたいだ。兄として情けなくも、久々に人間らしい感情を思い出させてくれた弟に感謝している。と同時に、また1つ彼のいじりポイントが増えたことにも感謝している。
まあ、せいぜい頑張れや。
【参考文献】
こちらが若新先生の講義です。