温泉で目覚めたのかと思った話
露天風呂に入った。当然、男風呂である。
風呂に入っているときは全く何も考えていないときが多い。ただひたすらに何も意識をせずに、一点を見つめるのだ。
いや、一点というのはまた語弊があるかもしれない。風呂に入るときは眼鏡を外すからピントが合いやしない。ボヤボヤとした視界全体を見ているような感じである。
ただ、今日という今日はいつもの風呂ではないのだ。というのも、ぬるめの湯船に浸かってから10分ほどで、僕の息子、即ち男性器がムクムクしているのだ。
自分でも思った。そんなバナナ!?と。
僕は全くもって変な想像はしていない。前述した通り頭の中は空白なのである。
当然、最高潮には達していないものの依然としてムクムクし続けているので、若干焦ってくる。
男風呂は毛むくじゃらの男(オッサン)たちだけだ。そもそも僕は同性に対して恋愛感情を抱いたことはないし、ジャニーズや俳優の顔を見てもイケメンで羨ましいなあと思うだけで、彼らを好きになることはない。
好きな男性芸能人を聞かれても困ってしまうくらいだ。
もし聞かれたとしたら、「あ、新井さんかな。か、カープの監督の」と、芸能人といえるのか分からない人を挙動不審で挙げてしまうことだろう。一応補足しておくが、新井貴浩の顔や背格好がタイプなのではなく、カープファンとして彼の采配を評価しているだけである。
ともかく、この状況をどげんとせねばならぬ。さもなければ、僕はこの風呂から出られず、ふにゃふにゃに茹で上がってしまうだろう。まあその頃には息子も落ち着いているとも考えられるが、そんなの罰ゲームでしかない。
いち早くこの状況から脱するために、ありとあらゆる方法を考えた。
まず実践したのは「オッサンたちの汚い身体を凝視する」である。
僕は同性に対して興味はないし、なんなら風呂に入っている他人のオッサンに対して嫌悪感すら覚える。何か出汁、出てそうだし。
なぜ、男の体毛というのはこのように汚らしく見えるのか(個人の感想です)、なぜそんなに腹が出ているのか(食べ過ぎです)。
そんな情報を脳に伝達させて萎えさせる作戦である。これは効果的であると同時にメタ認知にもなると考えている。
生まれてこの方24年が経過したが、突然僕に同性を好む新たな感情が生まれることもなくはない。インサイド・ヘッドの主人公に「シンパイ」という新たな感情が生まれるように、僕の感情に「ナンショク(男色)」という感情が生まれる可能性だってゼロではない。
ジョハリの窓でいうところの自分も知らないし、他人も知らない潜在意識がここに来て生まれたのかもしれない。端的にいえばそれを確かめるということである。
だが、もちろんそんな感情が生まれるはずもなく、僕の息子は少しずつ落ち着いてくる。
やや安堵の気持ちでいっぱいになっていったが、まだ風呂から出るのは危険である。
とりあえず心中胸の内で九九を唱えてみる。思い出すのは小学2年生の頃、実家の風呂で九九を父にも母にも覚えさせられたことである。
九九の一から九まで、毎日一段ずつ唱えるのだ。覚えるまで熱々の風呂から出れないという拷問に近い所業は、僕から言わせれば「苦苦」でしたなあ。
そんな思い出に浸っていると苦しかったあの小学生時代を思い出したのか、すっかり落ち着いた。
もう少しゆっくり温泉を堪能したかったが、再び元気になられるのも怖いので、僕は早足で風呂を出た。
【追記】
男性というのは別に興奮していなくても副交感神経が有意に働いているとき、つまりリラックスしているときに勃ちやすいらしいです。原因はそれでしたね。ただ、一人ではなく他の男性客がいるので、僕のリラックスを操る感情にはしっかり場をわきまえてもらいたいと願っている所存である。あと、これを家族や親族に読まれていると思うと、ちょっと恥ずかしい。