
人にはどれほどの土地がいるか
土地の面積ってどれくらいがちょうど良いのか?
例えば300坪の面積だと大きな家が建てられ、近隣の目もあまり気にならず、
来客用の車庫も確保でき、庭や工房など憧れの暮らしができそう。
でも、民家が密集してる場所と自然の中では同じ300坪でも随分と開放感は違ってくる。
今私たちが住んでいる所は1500坪(5000㎡)の段々畑の土地です。
平地と段々畑では暮らし方が変わってくるけど、
ここでは、ヤギが4頭、犬が2匹、鶏が10羽、
薪小屋、原木椎茸用のクヌギを30本、果樹、充分な畑もあり、それでもまだ使っていない土地が半分ほどあるので、子どもが家族をもったとき距離を保ち家も建てられると思っています。
以前読んだ本に、ひと家族1万㎡の土地があれば代々幸せに暮らせれると書かれていたのですが、我が家はその半分の面積です。
確かに3世代が住み、動物や人間をここで土葬し、稲作もということになれば
5000万㎡では足りない。
ただ管理できるかといったら現代の外に稼ぎにいく暮らし方では難しいように思います。
家族皆が協力し農的な暮らしが求められるように思う。
暮らしを循環させることは日々の小さな蓄積が先の蓄えになるから、片手間ではしんどくなる。
子どもの人数も昔と比べれば減少しているので、現代風に仲間に使ってもらうのもいいかもしれない。
ついでに、平地か段々畑かどちらが望ましいか、、、
平地の5000㎡に住んだ経験がないので比較はできないけど段々畑の一長一短を。
ここに暮らしていて常にある不安は、いつまで下まで降りていけるかということ。
平地ならこの心配はない。
でも段々畑のすごい所は当たり前だけど、どの場所も陽が当たり水はけも良く食物もよく育つこと。
そして場所によって吹く風が違うためそれに適した作物や樹木を植えることができエネルギーの溜まりやすい場所があるように思う。
整えられた四角い田んぼだと作業がしんどく、自然に沿った丸みを帯びた田んぼだと腰を痛めないと聞いたことがあるが、もしかしたら単調に歩くことが人は遠くしんどく感じるのかもしれない。
暮らしていると雨や野生動物、人間の通る道によって土や水が動いてるのが分かる、落ち葉も下へ下へとやがてふきだまりとなり土の栄養になる。
段々畑は小さな地球を想像させ、全て繋がっていて全て必要だということを教えてくれる。
ヤギやニワトリ、犬たちがここで土に還り横に植えられた果樹は沢山の果実を実らす。
生きとし生けるものによって私たちは生かされ守られている。
題材である ”人にはどれほどの土地がいるか”
これはレフ・トルストイの短編小説のタイトルからいただきました。
この小説は、主人が家族と豊かに暮らすためにどんどん土地を広げていくのですが、足るを知るということを忘れ、生きることの本質を見失っていくお話です。
私自身、自給自足に憧れ子ども達と一緒に生きるということを見つめながら暮らしたいと夢を抱いて今の広い土地に移りました。
田舎暮らしをしたことのない都会っ子で、
身の丈以上の暮らしに挑戦しようとしていることも気づかず進み続けていました。
管理しきれない土地をお父さんのせいにしたりと手一杯で随分と喧嘩をしてきました。
オチになってしまいますが、
今の私ではどれくらいの土地が必要かわかりません。
でも、進むべき道を照らす光は
土地に執着せず、土地は誰のものでもないということ
ご縁をいただいたこの土地を耕し、精一杯生きること
所有ではなく共有するということ
です。