フィルモア通信 New York No12 空手のフレディ
フレディはぼくのあとからディナーのラインクックとしてヒューバーツに入って来た。
イタリア系で空手の師範で全米空手トーナメントでどこかの州チャンプになったことがあるという、ぼくより年下の大男だった。イタリアンやアメリカンのレストランで働いていたがヒューバーツの評判を聞き是非入りたいとその時の職場を辞めてやって来た。
空手の道場はブルックリンのどこかにあるらしかった。日本語がすこし出来た。キッチンでぼくに会うと「ハイ、センセイオネガイシマス」と言った。
ディナーのラインはそのときピーターかレンがモスクィートと呼ばれる木材を燃やして肉や魚を焼くグリルを担当して、ぼくは前菜と
前菜の全部とスペシャルの魚料理一皿そして入ってくるオーダーを読み上げ、すべてのオーダー状況をみんなに知らせるのもやった。
新しく入ったフレディはぼくとグリル担当のレンのあいだで野菜やメインディッシュの付け合わせをソテーしたりオーブンに出し入れしたりテーブルごとに今出さなければならない皿を用意する役で新人は来るとここから始めるのだったが、ラインの経験が浅いとよくパニックになるハードなポジションだった。
フレディはよく仕事をこなしたがちょっと荒っぽく、盛り付けやソースの掛け回しなどは忙しくなるとぼくが手伝った。彼は言葉も荒っぽくなることがあった。
ディナーのオープン前にはそれぞれのプレップを間に合わせるためのクルーのみんながナーヴァスになったが、ぼくは間に合わないフレディのバックアップをした。フレディは「センセイ オネガイシマス ハイ」とか言って頭をさげてきたが、時々「パーウッ!」とか叫びながら寸止めの拳をぼくの目の前まで打ってきて、ニコッと笑った。軽いお礼と挨拶のつもりらしかった。ぼくはユートゥーマッチTVと言ってかわしていた。
ある土曜日のディナー、満席の予約でその仕込みが間に合っていない開店前にいつものようにフレディの仕事を手伝ってやると彼は上機嫌で冗談を言ってきて寸止めの拳をぼくに飛ばしてきた。ぼくはその日は何も言わずに開店直前のフレディの「パーウッ!」を手で止めると、「フレディ」と返し、「アイ、もう今日、怒った、表に出ろ、勝負しよう」と言った。
フレディは笑っていたがぼくが同じ言葉を真剣に繰り返すとフレディは困惑した目で、「冗談だった、わかるだろう?」と言ったがぼくは表に出ろ、おまえをぶっ叩いてやる、と言ってキッチンから外へのドアを開けた。フレディは他のクルーを探して見回したが誰もいなかった。
ぼくはレッツ、ゲットアウトをもう一度言うと仕方なくフレディは「おまえを傷つけたくはない」とか言いながらぼくの立つ出入り口のドアの外へ出た。
ぼくはすぐにキッチンのなかへ入りドアを閉めて鍵をロックした。外からぼくの名を呼びドアをバンバン叩く音を聞きながらアップステアのラインキッチンに戻った。
レンが待ちかねていて、フレディはどうした?と訊ねたので、トイレじゃないかな、と応えた。
レンは肩をすくめたがまもなく続々とはいりだしたオーダーをぼくが読み上げるとレンはウェイターにフレディを呼んで来い、と大声で言った。
しばらくしてフレディは戻って来た。厳しい声でレンが迎えると、「アイムソーリー、サー」と言って泣きそうな顔でぼくを見た。
ぼくは彼にニンマリ笑うと、フレディは「おまえは、ひどい奴だ」と呟やいた。