フィルモア通信 NewYork No13 マイシェフ ニーナ
マイシェフ、ニーナ・フラス
ぼくがニーナの用意した牛ヒレ一本を丸ごと食べてしまった事に、
彼女はとても驚いたようだが怒らなかった。ぼくをまじまじと見つめて首を振り「Unbelievable」とひと言呟やいただけだった。
ニーナはその頃ヒューバーツのヘッドシェフでメニューの実際をレンから任されていた。彼女はぼくより三つか四つ年上でノルウェイ人の父とフィンランド人の母を持つスオミの特徴的な目鼻立ちをした女性だった。白金の髪は霧のように細く、瞳はカレリアの湖のように深く青かった。
ニーナは若い頃からキッチンで働いて腕を磨き、彼女の作る料理は一級品だった。他のクルーやディッシュウォッシャーたちへの気遣いもあるシェフだった。
ぼくがヒューバーツに見学に通い始めた頃、言葉のわからないぼくに早口で声を掛けてはシェフテーブルに呼んで肉を捌いて紐をかけたり、パイ生地を伸ばすところなどを見せてくれた。ニーナは肉を扱うのは得意だったが魚のそれはちょっと苦手らしかった。
ある日、レストランに見事なスコットランドの野生のサーモンが届いたのを見てニーナはぼくを呼び、おまえはあれを切り身にできるか、と訊ねたのでやりたいと応えると、ニーナはじゃあ、わたしのためにあのサーモンを八オンスづつの切り身に用意して、と言った。
ぼくはそのスカティッシュサーモンを三枚におろしそれぞれのフィレの目方を量ってひとつが八オンスになるように目安をつけ、尻尾の方はやや大きく、真ん中は火が均等に入るように斜めに切り、ハーフオンスの無駄もなく全部を約八オンスのポーションに切り分けた。出来たのを見せると、ニーナは「イッツ、ビューティフル」と言った。
その日からニーナはぼくに魚の下ごしらえをぼくに任せてくれるようになった。
その冬のとても寒い日、ぼくが震えながらキッチンに来たのを見るとニーナは、おまえは、ちゃんと暖かい部屋で暮らしているか、と尋ねた。ぼくはロフトで寝袋に包まって寝ていたがフトンを買おうと思ってソーホーにあるフトンショップに気に入ったのを見つけが、それは五百ドルもした。お金は貯めていたがあと二十ドル足りなかった。
ニーナにそのことを話すとぼくに二十ドル手渡しながら、「早くフトンを買って暖かくしなさい、二十ドルは、給料を貰うようになったら返すように」と言った。
そのフトンはFUTONと呼ばれ日本の文様がほどこされたアメリカンキルトでとても暖かった。その頃FUTONは、アーティスティックな人たちに人気の寝具だった。ニーナにフトンを買ったことを話し、おかげでぼくはアイアムウォームマイセルフだと述べ、彼女はグッドフォーユーマサミ、と言ってくれた。
ある日、テレビショーで人気のマーサ・スチュワート女史が彼女の何冊目かの料理本出版記念パーティーをヒューバーツで開きニーナがその料理を彼女のために作った。ぼくはニーナのために魚を任された。パーティーが始まるとマーサはニーナをダイニングルームに来るように呼んだ。ニーナはぼくを手招きしてマーサに会いに行こうと言った。彼女たち二人は言葉を交わし、とてもハッピィーな様子だった。
ニーナはぼくをマーサの前に引っ張ると、マサミはジャパニーズのシェフで彼はサムシングだと言った。意味はわからなかったがぼくは嬉しかった。
ニーナは優しく、料理の腕は抜群で力も強く忙しいラインワークも働けたがときどきエキセントリックな調子でレンに料理のことで文句を言うことがあった。またカレンとも衝突することがあった。ニューヨークで有能な有り続けるのは女にとって大変らしかった。
彼女はよくぼくに加熱のことを教えてくれた。ぼくが野菜をきれいにカーヴィングして茹で上げたのをニーナは試食すると、「マサミ、おまえの野菜はとってもきれいにカットしてあるし鮮やかな色も出ている、でもこれは硬すぎる。」と言い、マサミ、野菜は茹でるならファーム・バット・テンダーでなければならない、ニーナはその「バット」を言うとき片目をつむった。どうもこのバットにニュアンスがあるらしかった。
いつかニーナはレンに彼のソースの味見を求められ、そのソースに「リトル・モア・ソルト」と言う時片目をつむったのを思い出した。そうか、ニュアンスというのが大事なのだと察しがついた。
ニーナに二十ドルを返した数日後も寒い日々が続いた。ぼくは凍える手をこすりながらキッチンに入るとニーナがいつものように手招きして、ぼくに紙袋を渡しながら、ステイ・ウォームと言った。それはアルパカで編まれた手袋だった。手に着けると、それはとても暖かかった。ぼくはアイ・アム・ヴェリー・ウォーム・マイセルフと言い、彼女は笑った。
その日からしばらくして、ニーナはヒューバーツを去っていった。オーナーたちと衝突したらしかった。その日ぼくは彼女に会わず、さよならを言うことが出来なっかった。それから何回もニューヨークの寒い冬を迎えたが何時でもその手袋がぼくの手を温めてくれた。そしてニーナの教えてくれた料理のアドヴァイスが何度もぼくを支えてくれた。
Dear Nina, my chef. I will anytime and always help your preparing fish, you are my Chef all the time.