今年の桜の樹の下には何が埋まっているか
今年も桜の季節が段々と近づいている。場所によっては開花したなんてニュースも聞く。
桜と言えば何を思い浮かべるだろうか。春、お花見、サクラサク......一般的には明るいイメージが多いのではないかと思う。
しかし私は桜が満開に咲き誇る所よりも風に吹かれて儚く散る所から別れ、旅立ち、儚さが真っ先に思い浮かぶ。
それに加えて梶井基次郎の『桜の樹の下には』が元ネタと言われる「桜の樹の下には死体が埋まっている」というフレーズがいつも頭の片隅に居る。
恐らくは死体から生命力を得て輝く美しさに焦点が与えられていると思うが、私には死体が桜に取り込まれることで美しく咲き、散ることで昇華されるように思えてならない。
さて、そんな前提は置いておいて本題の「今年の桜の樹の下には何が埋まっているか」に移りたいと思う。
桜の下に埋まるべき死体。それは生命(人だったり犬だったり......)に限らず後悔や諦めといった人が捨てざるを得なかった希望や感情も含まれるのではないかと思う。
自分が捨てることしか出来なかった希望、夢そんなキラキラしたもの達が桜の花として精一杯咲き誇り満足したようにはらりはらりと散りゆく。自己満足かもしれないが燻った感情の昇華をしてくれるようで目が離せなくなる。
去年の今頃、すぐ収束するように思われつつもコロナで奪われ疲弊していく日常。本来ならば迎えるはずだった入学式や成人式、卒業旅行や観劇、帰省など当たり前の日常が遠い夢物語へと形を変えていった。
そんな無念がこぼれ落ちて積もった先に桜の肥料となり今年その無念が花となって咲き、光に照らされながら祝福として私たちの上に降り注ぐと思えば多少報われるのではないか。
そうして今年の桜の樹の下に埋まっているのは去年の無念で1年越しに輝いているように感じられる。
桜だけではなくて、自分の無念の上に咲くのであればどんな花でも心は少し軽くなるかもしれない。例えばガーベラ。去年に思いを馳せながら育てた花が「希望」「常に前進」という花言葉を持っていれば前を向けそうだ。
それにネガティブな感情がポジティブな言葉を咲かせるなんて何だかワクワクする。
終わりの見えないコロナ禍でも希望を探して歩み続けたい。不安を抱える自分への祈りを込めて
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