経済制裁下のイランの優しさに包まれて(前編)
社会人2年目の夏休み、私はイランへ行った。故国から遠く離れた異国の地で、ちょっと鬱陶しいけど決して憎めないイランの人々に囲まれながら、ひたすら飲んで食べて祈った、思い出の2週間。
そうだ イラン、行こう
卒業旅行でトルコのイスタンブールと田舎町エディルネを訪れた時、見ず知らずの旅人である私に対して、現地の人々は本当に優しかった。
・公共の路線バス乗車時に運賃支払いに手間取っていたら後ろにいたオッチャンがICカードで私の分も支払ってくれたり、
・公共トイレに入ろうとした時にICカードを持っていないので入れず困っていたら後ろにいたオバチャンが私の分も支払ってくれたり、
・カフェでオッチャンが美味しそうなサンドイッチを買っていたのでどんな具材が入ってるんだろうと眺めていたらもう1つ注文してプレゼントしてくれたり、
・歩き疲れてカフェに入るか悩んでいたら店員に手招きされて入店、茶を飲んだら、「こちらが呼んだのでお金は要らない」と茶代をご馳走してくれたり。
文無しの学生には、彼ら彼女らの優しさが身にしみて、感動して、そしてこう思ったのである。イスラム教の人々はなんて心が温かいのかと。
何かあったときの為にと事前に100円ショップで購入し持参していた「葛飾北斎折り紙」を、たくさんのオッチャンとオバチャン達にばらまきながら、気づいたら私はイスラムの魅力のとりこになっていた。
そういう背景もあり、イスラム国家イランはかねてよりの宿題だった。そしてついに、満を持して、イランを訪れる機会がやってきたのである・・・!
しかしながら、突然イランへ行くと言い出した私に対して、世間の風は冷たかった。
当時勤めていた企業の、たびたび部下を強制的にカラオケに連れて行っては湘南乃風「睡蓮花」を熱唱する課長には、「どうしてそんな危険なところに行くのか。そんなんだと結婚できないぞ」とからかわれ、自席でいつも居眠りをしている直属の上司に至っては、怪訝な顔で「仕事でなんかあったら連絡すっから」とぶっきらぼうに言い放たれた。
久しぶりに会社の同期からLINEが来たかと思えば、「イラク土産よろしく!」「シリア土産よろしく!」と、彼らにとってはイランもイラクもシリアも一緒らしい。
出発当日、定時きっかりにそそくさと仕事を切り上げ、はやる気持ちを必死に抑えながら成田国際空港へと向かった。
入国審査
イランの首都テヘランへと向かう航空機が緩やかに高度を下げ始めた頃、それまでしんと静まり返っていた機内がにわかに騒がしくなった。ふと周囲に目を向けると、女性たちが各々のバッグからスカーフを取りだし、髪の毛を覆い隠す姿が目に入った。いよいよイランに到着するのだなという実感とともに、私も機内持ち込み手荷物のなかに忍ばせていたピンク色のド派手なスカーフを頭にまとい、着陸の時を待った。
無事テヘランに降り立った私は、入国審査に先立ち、現地で観光客用のVISAを発行する必要があった。「手続きは一瞬」というネット情報を鵜呑みにしていた私は、臆することなく窓口にパスポートと1万円札を提示した。すると、それまで笑顔だった窓口のお姉さんの表情が曇り、こう告げたのだ。
「ごめんなさい、イランリアルかドルかユーロしか受け付けていないの」
まじで?でも今日本円しか持ってないのよ。両替させてくれませんか?
「両替は入国審査場の向こう側にしかないわ」
いやいやいや入国審査場の向こう側じゃ意味ないやん。こっち側に両替ボックス作ってよ。てかだれか私のカネ持って両替してきてよ。手数料ははずむからさ。。。
お姉さんはあきれ顔で他の旅人の対応を始めてしまった。完全にピンチである。
ちなみに「そんなのクレジットカードで支払えばいいじゃん」と思った方がいるかもしれないが、イランは米国の経済制裁を受けている為、日本で取り扱っているVISA、Mastercard、JCBといった全てのクレジットカードは使用不可である。日本では打ち出の小槌となるクレジットカードも、イランではただのカードに過ぎない。
また、「事前に日本でイランリアルに両替しとけよ」と思った方もいるかもしれないが、イランは米国の経済制裁を受けている為、日本国内でのイランリアルの入手は不可能である。
こんなところで強制送還は嫌だ・・・!そう思った私は、取り合ってくれないお姉さんを見限ることにし、優しそうなお兄さんに状況を説明し、「端数はお兄さんにあげるからうまいことやってくれ」と泣きの懇願。すると、哀れに思ったのだろうか、うまいことやってくれてVISAを発行してくれた(1万円とVISA代の差額の約2,000円は、お兄さんの手数料となって消えた)。
ありがとうお兄さん!!!次来るときはドルかユーロを持参します!
そうして私は、なんとかイランに入国した。
空港から宿へ
テヘランのエマーム・ホメイニー国際空港は、国の玄関口とはとても思えない、非常にショボい空港だった。ひとまず案内所のお姉さんに、日本円をイランリアルに両替したい旨を伝えた。すると、
「空港の両替所はドルとユーロしか取り扱っていないわ。日本円を両替したいなら、街の中心部へ行きなさい」
まじで?でもカネがないと街の中心部に行けなくない?
途方に暮れていると、聞き耳をたてていたタクシーの運転手が、両替所を経由して宿まで乗せてってくれると言う。イランのタクシーは空港と市街地を結ぶ路線は定額運航しており、ぼったくりの心配もない。「ありがとうおっちゃん!」と嬉々としてタクシーに飛び乗った。
だが、道中の両替所を探せど探せど、どこも日本円を取り扱っておらず、そうこうしているうちに宿に到着してしまった。最初は威勢の良かった運ちゃんも、果たして運賃をもらえるのだろうかと不安そうな表情である。
個人経営のこじんまりとした宿を経営する純朴そうな親子に事のあらましを説明したところ、お父さんが、なんと
「なんてかわいそうな子だ!私が立て替えてあげよう!」
とタクシー運転手にタクシー代を支払ってくれたのだ。運ちゃんは札束を握りしめ、嬉しそうに去っていった。そして、
「あなたは長旅できっと疲れているだろうから、両替のことは私の息子に任せて、紅茶でも飲んでいなさい」
と言うのである。見ず知らずの宿の経営者の息子に1万円札を託すことに、不安がなかったと言ったら嘘になる。一瞬躊躇した。だが、精神的にも肉体的にも疲労はピークに達しており、パクられたらパクられたでいいかな、と思った。それよりもクーラーが効いた場所で紅茶を飲んでいたい欲が勝ったのだ。そうして息子と我が1万円札が外へと駆け出していくのを見送った。
そして10分もたたないうちに、大量の札束(イランはハイパーインフレ中の為、1万円札を両替するととんでもない量になる。)を抱えた息子が帰ってきたのだ。疑ってごめん、ありがとう!ひたすら謝りながらタクシー代と宿代を渡し、残ったイランリアルをバッグに詰め込んで、テヘランの街へと繰り出した。
イランの両替事情
何故どこもかしこもかたくなにドルかユーロしか両替してくれないのか。経済大国日本の円だってそれなりに価値あるのに。その謎を解くカギとなるものを、テヘランの道端で見つけた。
大通りの交差点や、観光地の近隣エリアなど、そこかしこにバケツをひっくり返して座っている人々が目に入った。そう、それこそダブルスタンダードの国イランで暗黙の了解として認められている、ヤミ両替商なのである。
つまり、米国の経済制裁を受けているイランは、公式には外貨両替が不可なのだが、空港等一部の場所では、観光客を対象に、かなり割の悪いレートでドルとユーロに限って両替を行っている。だがこれはあくまでも建前で、喉から手が出るほど外貨が欲しいイラン政府は、非合法な街の両替商を黙認しているのである。そしてその非合法なものが、事実上の外貨獲得メインスキームになっているのである。
そういうわけで、無事、大量のイランリアルを入手することができた。例によってイランリアルはハイパーインフレ中なので、バッグの体積のほとんどを札束が占める羽目に陥ったが、札束の鬱陶しさよりもカネを持っている安心感が勝った。そして、次来るときはドルかユーロを持ってこようと、改めて反省したのであった。
(後編へ続く)
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