しごはじ
本日2025年しごはじでした。お疲れわたし。お疲れみなさん。
仕事って嫌いじゃないけれど、休み明けはやっぱり億劫になっちゃうね。でもやってみたらノッてきて、今日は黙々と作業ができた。
やりきったわたし偉すぎるんだから。
わたしは学生時代、真剣に自分の将来と向き合わずに、ただその場から逃げ出したいとか楽であることとかを優先してしまった。結果、未熟なまま早々に結婚して失敗して。自分の仕事や人生について真剣に考えられるようになったのは、恥ずかしながら数年前のこと。
だから娘たちには、
「自分の好きな仕事であること」
「自立できる稼ぎがあること」
が、どれだけ人生を豊かにするかということを、わりと小さい頃から教えている。
子どもたちが中学を卒業したときには
「では、放牧!」(語彙力w)
と宣言。義務教育が終了したことで、それまで過保護と言われるほどべったりと育てて来た娘たちを、
「ここからは自分で考えて自由にやってくれ」
と世界へと放った。けれど娘たちは、門限がなくともほどよく帰宅するし、細かく言わずともガッポリ貯金をしているし。
親の想像をはるかに超えてしっかりしている。
もちろん放牧といっても、親は親で子はまだまだ子なので危ないと思うことには口を出す。
たとえば、
・Xで繋がったひとと実際に会ってグッズ交換する→危ないので禁止
これはさすがに未成年には危険。もちろん危険なひとばかりではないこともわかっているが、親としてはNOだ。母娘の話し合いの末、何か悪いことが起きる前に止めることができて良かったと、心底ホッとしている。
大学入学時には、さらにお金の面を本人に委ねた。
食・住(医療、日用品なども含む)、大学関係以外で、現時点で必要な個人的費用は自分で賄うこと
ただし事情があって足りない場合や、どうしても必要なものの場合は応相談
たとえばピルやコンタクトレンズ、美容関係、スマホ代、交際費といったもの。これもうまい具合にやれているようだ。ちょっと出費がかさむときは、わたしの買い物について来てはさらっと買ってもらっちゃう、行きたいカフェや映画があって行く友だちがいないときはわたしを誘ってお支払いもお願いしちゃう、なんてこともしている。
娘よ、ナイスな考えだ。
それからみんなで住んでいる家のことは、できるときにできる人がやることにもしている。これもまた、なかなかうまくいっている。
家の分担が当たり前と娘たちに思って欲しかったことには理由がある。まず、この先娘たちにパートナーができたときに、そのパートナーが家事分担や育児分担をしないひとだったら嫌だから。そして、わたしひとりが背負いこむと、わたし自身が眉間に皺をよせた嫌なひとになりそうだったから。
子どもたちにとって縛り付けることは逆効果。自分自身がそうだったからよくわかる。解き放った瞬間から、思考をフル回転させ、自分の足でどこまでも遠くへと歩いていく。
たくさん失敗をして、またそれを吸収してくれればそれでいい。これはわたし自身にもいえること。
もうこうなってくると、親とか娘とかも関係ないね。
ひととひととひと
お互い影響しあって生きている。
楽しく仕事して、楽しく暮らしていけたら、
もうそれだけで幸せだ。
最後に映画のお話。仕事の映画といえば『プラダを着た悪魔』や『LIFE!/ライフ』をはじめ、数多くの作品がある。単なる「お仕事映画」とは言えないが、個人的には #MeToo運動 に火をつけたジャーナリストの姿が描かれた『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』が好き。仕事を超えた人間の生き様に勇気をもらい、そして胸が熱くなる。社会派作品が好きな方はぜひ。
#note毎日投稿 3日目のオレでした。また明日。