わたしを仲間に入れてくれる曲たちと、【蕾と雷】
COSMOSが好きである。合唱の。みんなも好きでしょう?!
「君の温もりは宇宙が燃えていた遠い時代のなごり 君は宇宙」
の歌詞がいっとう好きで、ここは本来は 「燃えていた/遠い」と続くのだが、わたしはよくここで一文にしてしまう。
あと勝手に銀英伝の二巻を思い出して悲しみに暮れている。まだ四巻も読み終わっていないのに!
本題
COSMOSの歌詞でもう一つ、抜かしてはいけない歌詞がある。
「君も星だよ みんなみんな」
ここだ。
わたしはCOSMOSを卒業式で在校生に歌ってもらったことがある。受験を乗り切った後の『君は星だよ』。
それは点数で戦う世界に放り込まれていた私たちに美しいコンテクストを付与してくれる魔法のような物であった。
歌ってもらった、という事象は目に見えない。だからこそ、覚えている限りそこにあってくれる。わたしの左胸には星色のバッヂが未だ光り輝いている。自己紹介を勝手にしていいときには、「わたしは星です」とついつい言ってしまう。
わたしは生命を燃やしているのだ、わたしの血潮は天の川の脂油よりもずっと遠いところへ流れていくのだ、と言える、「歌われる」ということは無条件の許しに似ていると思う。
なぜなら歌われた/歌った双方、コミュニケーションを放棄しているから。自由があるよ、やったね!
とんでもない曲
この曲を聴いてほしい。
長谷川白紙様の「蕾に雷」である。
出だしのカウントに心を持っていかれる。123456(78)というリズムには、特に最後の(78)には、誰かの背を、眠る子の胸をとんとんと優しく叩くあたたかさがある。
「木だけのものじゃないから避雷針は」
ここだけで引き込まれるには十分なものがあるが、重要なのは2番にある続きの歌詞。
「木だけのものじゃないから私たちは」
見えない光の川が滔々と私たちの隣、脇の下あたりを流れすぎていくような、手を伸ばさぬうちに遠いところにすぐ行ってしまう悲しさの中、多くの人の声を重ね、歌われる「私たちは」。
それだけで、この曲にぐっと近づける。
口語のリリックだ。口ずさむと、曲側に回れたような、途方もない量偏在している彼女たちの一員になれたような気がして、ドキドキする。淡い期待に過ぎないのだが、それはそれとして。
書き殴ってしまった!
まだ曲を知ってから一時間も経っていないので、曲全体を飲み込むにはまだ時間がかかりそうである。
この人の作る曲が好きだ。
「減ろう」という歌詞が、どうしても挨拶に聞こえて仕方がない。
トントントン、ノート市街の今日のお隣さん!しあわせのお裾分けです!
……ぐらいの気持ちで読んでほしかった。
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