コスプレイヤー語り
最近、「コスプレイヤーじゃないよね。」という言葉に引っ掛かりを感じた。
何故かと言われれば
まず私は、幼少期からコスプレ、同人誌の世界に足どころか体ごと浸かっており、今や普段着とは違うキャラクターに扮する格好を定期的に認可の降りた場所で行うことは当たり前の日常である。
(要するにロケに行ったりスタジオ行ったりして写真撮影しに行くのは定期的に行きたくなるので行く。もはや日常。)
月に1、2回イベントに行くのも普通だった。
当時は今ほどコスプレが認知されているものではなく、運営会社が会場を借りてイベントを行っており、そこに参加していたため、改めて自分はコスプレして、共通のジャンルが好きな友達ができ、それを楽しんでいるコスプレイヤーだなぁと感じた。
特に認知度が上がってほしかった訳でもないけれど、どういう経緯であっても認知度が上がり、街ぐるみでコスプレイベントが行われるようになったのは時代の流れだなぁとしみじみ感じる。
さぁ、この時点ではコスプレ頻度は減ったものの、私は歴とした一般のコスプレイヤーである。
どうあがいてもコスプレイヤーなんだが、何故”コスプレイヤーではない”と言われるのだろうか。
それは、その言葉を発した本人に聞かねば分からないことではあるが、少しばかし考えてみよう。
と考えたものの、すぐ答えが出てしまった。
【”コスプレイヤー”という単語の意味合い、概念が違う】と。
今ではプロコスプレイヤーという言葉まで出来上がっているが、本来、コスプレイヤーにプロも何もないと私は思っている。
TVに出ていることが条件であれば、
着ぐるみを着ている人間だってプロと呼ばれて、おかしくないのに呼ばれないのはなぜだ?
コスプレでお金を稼いでいるのがプロだと言えるのならばモデルさんはどうだろう。
モデルさんに衣装を着てもらい、ポージング指導をした場合はコスプレイヤーといえるだろうか。
本人は違うと発言するだろう。
コスプレイヤーが結局趣味の領域でしかない存在であり、コスプレをしている人=コスプレイヤーという総称になっているだけだと私は思う。
しかし、それは長年やって来たから言えることであって、最近知った人には分からないであろうことだと思うからこそ、ゆるーく疑問に思えて、発言者に足りないものがあるとすれば、「ただの」という文字だろう。
「ただのコスプレイヤーではないよね。」というならば納得がいく。
何故なら、
どこに山と道具が揃ってるからと山に行って木を切って、樹皮めくって橋を作るコスプレイヤーがいるのか、
しかし、コスプレイヤーという単語を人にしてみよう。
要訳:木こりする人(コスプレイヤー)がいるのか。
いるだろう。
原付直す人(コスプレイヤー)がどこにいる。
いるでしょ。
床板の状態が悪くなってきたから板を入れ換えよう。
するでしょ?※持ち家に限る
要はDIYしているコスプレイヤーであって、単純にDIYをする人なだけなのです。
そこに、「もの作りが好き」という思いがあり、道具も揃っている家だっただけで、何もおかしくない。
そう、趣味の幅がおかしいのだ。
結局、この「コスプレイヤーではないよね。」という言葉でわかってしまったことが、
相手のコスプレに対する認識の違い。
そこから付随する言葉の足りなさ
どうも相手を責める内容になってしまったが、コスプレイヤーの存在を明確にしようと思ったら楽しんでいる人。としか言えない。
そして、引っ掛かってしまった事に対してどう返すかで人間性を測られるので、一般人相手に噛みついちゃダメよ。と思った次第。
コスプレしている人の総称なので、レイヤーはレイヤーなんですけどね。としか返せなかった。そこで疑問に思えばよかったのだ。なぜ、そう思われるのですか?と。
コスプレをコスプレとして楽しんでいるならコスプレイヤー。
それ以外に行っていることはコスプレイヤーという存在は主として関係しないのだ。
揺り動かす最終的な終着点がコスプレに関係するとしても、結局、自分が面白いからやる。好きだからやる。それ以外に何もないのである。
「一人の人間として、趣味の幅がおかしい。」
というならばとても納得のできるお話でした。
コスプレとはなんぞや。を掘り下げるのはまた今度。