30代ゲイが初めて人を好きになった話
概要
概要としては、本当にごくありふれた話だ。
「30過ぎのゲイの男に生まれて初めて好きな人ができたので告白したらフラれた」
ほんの1行で済む、つまらない話。
#あなたに出会えてよかった ということで、直近では真っ先にこの件が浮かんだので、試しに書いてみる。類似の内容を以前に別の場所でも書いたので、「盗作じゃね?」と思ったとしてもそれも僕の文章です。
初めにこのnoteに書いた記事に、「恋人がいたことはまだ1度もない」と書いた。
恋人どころか、この年になるまで好きな人ができたことがなかった。そろそろ、自分は「アロマンティック」というやつなのでは?と思い始めたころに、何というか、今まで感じたことのない感覚を覚える人に出会ったのだった。
ここでは、30も過ぎて恋のひとつも知らなかったゲイの男が、どんなふうに人を好きになり、どんな風に消化していったのかをできるだけ冷静に、客観的に書いていこうと思う。
「客観的に」というところがどれほど成功するかは未知数だけど。
君により
相手の男(仮にAとする)とは、よく行くバーで知り合った。
数年前から常連仲間ではあったんだけど、そこはゲイバーではないのでゲイの男はすごく少ない。僕はその店ではオープンにしていたけど、彼はそうではなかったので、彼がゲイだと気付いたのは、ある時ゲイの出会い系アプリで彼のプロフィールを見つけた時だった。
それでも僕は、彼に「ゲイなの?」と聞くのも変だと思って何も言わずに過ごしてたのは、今思い返しても我ながら大人な対応だと思う。
オープンにしてはいたけど、僕は僕でそのアプリのアイコンがA君から見えるようにわざと置いたり、ちょっとしたひそかなジャブは繰り出していた。
ある時そのA君から、「XX(僕も行ったことのある有名なゲイバーの名前)行ったことあります?僕はよく行くんですけど」と言われたことで「公式に」彼からのカミングアウトを受けたのだった。
よくよく話したら、共通のゲイの知り合いもいたりして、「世界って狭いねえ」なんていってよく話すようになった。
その後しばらくは普通に仲良くしていた。
というか、仲良し度は(僕の感覚では)ぐんぐん上がっていった。
2人だけで飲みに行くこともあったし、お互いの家で家飲みも何度かした。2人とも映画が好きだったので、休みの日に2人で一緒に映画を見に行くこともあった。
あれ?普通に結構いい感じじゃないか?
彼のカミングアウトを受けてから半年ぐらいしたころ、ある時急に「ああ、僕はこの人のことが好きなんだ」と思った。
何でそう思ったんだろう。
彼と話しているとき、なぜだかすごく楽しくなるのだ。
でも、話してて楽しい相手なら他にもたくさんいた。にもかかわらず、彼だけに対して他と違う感覚を覚えたのだ。
君により思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋と言ふらむ
『伊勢物語』に登場する在原業平の歌が浮かんだ。
ああ、「そういうこと」なんだ、と思った。
というか、それ以外に名前のつけようがなかった。本当に。
何度も書くけど、僕は今まで、誰かを好きになったことがない。
そういうのは自分には関係ないと思っていたし、いつも自分のことで精いっぱいすぎて、他の誰かのために割く余裕(時間的にも、精神的にも)なんてないと思っていた。
そもそも、基本的に他人に興味がないのだ。僕の周りにいるほとんどの人が「好き/嫌い」という判断をする土俵にすら上がってこないのである。判断できないので、とりあえず「好き」ってことにして感じよく過ごしている、という感じだ。
中高生のころならともかく、大人になった今は人に心を乱されることもほとんどなくなったし、「人が自分をどう思っているか」みたいな自分ではどうにもできないことについては考えないことにしている。
自分が誰かを好きになるなんて、ありえないと思っていた。
だから、自分で自分にものすごく驚いた。
忍ぶれど
A君を好きだと気づいてしまってからは早かった。
何しろ、好きだと気付いてしまったらもはやこのままずっと「ただの友達」でい続けることなんかできないと思ったのだ。
どこかで気持ちを打ち明けなければと思った。ロマンチックな気持ちではなく、もはや事務的な作業。切迫感。緊急事態。
「仕事でトラブルがあったので早めに上司に報告しなければ」みたいなやつ。「呼吸が止まったので人工呼吸をしなければ」みたいなやつ。
仕事中に突然「そーだどうせなら今メールしちゃおうかな!!!」とか思いついたこともある。完全に頭がおかしい。
相手の気持ちはどうあれ、とにかく自分が気持ちを伝えないと気持ちが悪い。
のどに何かひっかかってるような、くしゃみが出かかって出ない時のような、吐き気があるのにトイレで「オエッオエッ」って言ってても出てこない時のような気持ち悪さ。
仲はいいので相変わらず遊びに行ったり飲みに行ったりするんだけど、なんだか嘘ついてるみたいで変な罪悪感がある。
別れた後に「あああ~今日も言えなかった~!!!」と悶える日々。
とは言っても、次に会える日が楽しみでしょうがない。
LINEでやり取りするのが楽しくて仕方ない。
返事が来ればうれしい、返事が来ないと寂しい。
話しかけられればうれしい。
一緒にいる時は何も話すことがなくても楽しい。
周りの人からも「A君と話してるときはすごい嬉しそうだよね」なんて言われたりしていた。
忍れど色に出にけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
平兼盛ィーーーー!お前は俺かーーーーー!
一般的に「隠していたつもりだけど、どうやら私の恋心は顔に出てしまっていたようだ。何か悩みでもあるのかと人に問われるほどに」のように訳されることの多いこの和歌だけど、逆に「最近やけに機嫌いいじゃん、何かいいことあったの?」みたいなポジティブな解釈もできるのでは、と思った。
新解釈!どうなのよこれ!
一時期は本当に毎日のようにLINEでやり取りしてたし、お互いくだらないこと送り合ってキャッキャしてた。急にご飯に誘っても来てくれたし、その日はダメでもすぐに向こうから「X日なら大丈夫だけどどう?」なんて提案もあったりして、すごくいい関係だった。
何の障害もないと思ってた。
何ならA君も僕のこと好きなんじゃないの?少なくとも嫌いではないはず。性格的にあっちから何か言ってくるようなことは絶対にないから、僕から言うしかないよね?と思ってた。
そして例のあの日へ
それである日、たまたま用事が重なって朝から夜まで一緒にいる日があった。
夜に2人で舞台を見に行くことになってて、朝は2人共通の用事があったので、昼間の用事にお互いついていこうということになったのだ。
ランチを一緒に食べ、用事を済ませてからダラダラ2人でお茶して時間をつぶした。すごく楽しい日曜だった。
夜の終演後、軽く飲みに行こうということになり、そこでついに告白した。
誰かに「好きです」と言うなんて、本当に初めてのことだった。
お酒も少し入ってたから、緊張のあまりだいぶ挙動不審だったかもしれない。
「返事は後日でいいです」と言ってその日は別れた。
何しろ我々は、翌々日もその次の日にも会う予定があったのだから。
返事は翌々日、他の人も交えて一緒に飲んだ時、帰り道でもらった。
「あっ、ねえ、この前の返事なんだけど」
「おっ、おう」
「結局、僕とどうなりたいの?ってことを聞き忘れてた」
「いや、まあ、付き合いたい…かな?」
「そっか……そういうことなら…ごめんなさい。」
「エーなんで!?」
理由を聞いたら「Xさんがいるから…」と、突然のX氏の登場である。
実はA君は現在、X氏のマンションに居候の身である。もちろんX氏もゲイだ。
何度か遊びに行った彼のマンションは名義上はX氏の持ち物で、仕事の都合で平日は地方に行き、週末に帰ってくるX氏の家に彼は住んでいるのだ。
僕もX氏とは会って話したこともあるし、2人でよく出かけてるのも知っていた。
もちろん僕はそれまでに何回も聞いていた。
「Xさんとは付き合ってないの?」
「Xさんとはどういう関係なの?」
「Xさんは僕とこうして週末に深夜まで飲んで帰ることに対して何も言わないの?」
などなど。
何を聞いても彼は一貫して「Xさんとは付き合ってるわけじゃない」と言い続けていた。
僕はいい人(お人よしともいう)なので、彼のその言葉を完全に信じていた。
「なるほど!一緒に住んでるけどXさんはただの同居人(というか家主)であって彼氏ではないのか!!」
と思っていた。
そのX氏を理由に、僕の一世一代の(?)告白を断られたのだ。
どうしても納得がいかなくて、後日聞いてみた。
「どうしてXさんと付き合ってるってちゃんと言ってくれなかったの?告白したときに『いずれこう来ると思ってた』とまで漏らしてた君が、薄々ながらも僕の気持ちを知りつつ、どうしてそこでちゃんと『実は付き合ってるんだ』と言ってくれなかったの?もしかして嘘ついてたの?」
彼の答えはこうだった。
「僕たちは今も昔も『付き合ってる』という形ではやってない。お互いに彼氏であるとは言ってないし、誰かに付き合ってるかと聞かれれば付き合ってないと答えるけど、僕はXさんと一緒にいる限りは他の誰かと付き合うつもりはない。僕はずっと本当のことを言ってたんだよ」
この時ちょっと泣いてたと思う。
よくわからないけど、ぜんっぜん理解できないけど、結局はじめから『脈なし』だったんじゃん。
そういう2人の関係を知ってたらもちろん好きになんかならなかったし、今も仲良しな友達のままだったよ。
ゲイのカップルって、ストレートのカップルのように最終的に「結婚」に至り、「家族」になる、という法的に認められた安定コースがない分、実にいろいろなやり方で関係を維持しているんだと思う。
日本では最近「パートナーシップ条例」ができた自治体も増えてきて、それを「婚姻」の代わりにする人たちもいるし、あえて同居せずに暮らすカップルもいる。
子供ができない代わりに2人で動物を飼い「子はかすがい」ならぬ「犬はかすがい」で関係を維持する人もいる。
もちろん、ずっとラブラブ仲良しなカップルもいるし、もはやセックスもしないけどもう何十年も付き合ってるカップルもいる。
オープン・リレーションシップ(カップル以外の相手ともセックスすることを許容する関係)なんてのもある。
この2人のように、あえて「付き合っている」という形にしないことで関係を長く続けるカップルもいるのかもしれないと思うようになった。(この2人は同居っていうか事実上の同棲をしてるんだけどね)
そこまで整理つけるのに2か月以上かかったけど。
この日は酔ってたので「早くXさんと別れてほしい!」「Xさんいい人だと思ってたのに!」などと散々悪口を言ってしまい(これよりひどい事も言った)、さすがに怒られた。
でも正直それぐらい許してほしい。
告白する前もした後も、振られた日だって泣かなかったのに、この日の夜は泣いた。
大事な友達をひとり失ったような気がして泣いた。
僕が最も恐れていたのは、告白したことで「A君と友達でさえなくなる」ということだった。
できれば、今までと変わらず一緒に遊びに行きたい。
もう二度と好きだなんて言わないし、そんなそぶりも見せないと誓うから、せめて友達でいさせてほしいと思った。
この後、Xさんにひどい事を言ったことを謝り、お互いにこの件はなかったことにしよう、ということで落ち着いた。
それでいいのか?と思わんでもないけど、「せめて友達として付き合いたい」という望みが叶えられるなら他は何でもよかった。
前と同じようにLINEも送れるようになった。
お互い軽口もジョークも叩けるようになった。
一緒に飲みに行くこともできるようになった。
いまだに、会話の中でXさんが話題になると、心なしか微妙な緊張感が流れるのはもはやどうしようもないか。
数か月たって、ようやくその状態にも(たぶんお互いに)慣れてきた。よかったよかった。
思考回路はショート寸前(まとめ)
今回初めて「人を好きになる」という体験をしたわけだが、これがなかなかすごいと思った。
みんな10代でこんなことやってるの?
僕は今までずっと、自分は他人には興味がないのだと思っていた。他人に興味のない人間が、誰かを好きになるなんてありえないと思っていた。
ところがこのA君に関しては気になる気になる。
何が好きなのか、何が嫌いなのか。
どんなことを考えて、どんなことに幸せを感じるのか。
どんな仕事をしているのか。
何が得意で、何が不得意なのか
誕生日は?星座は?血液型は?出身地は?どんな子供時代だった?
質の悪いアフィブログみたいだ。
普通は他人のそういうデータが全く覚えられない僕が、A君のに限ってはスイスイ覚える。忘れられない。
お菓子を見れば「あ、これはA君が好きなやつ」
カレンダーを見て「もうすぐA君の誕生日か」
「こんな風にしたらA君が喜ぶだろうか」
「こんなこと言ったらA君嫌がりそうだな」
そういう考えが次々浮かぶようになった。
A君の笑顔をもっと見たいと思った。
A君のためになることなら(できる範囲で)何でもしようと思った。
そして時々、そういう風に考えてる自分に気づいて「おええええええええ気持ち悪ううううううううう!!!!!!!」ってなってた。
性格が悪く屈折していて、利己的で根が暗い僕が、誰かに対してそんな風に思うことに自分で驚いてた。
自分の思考がおかしいということはわかってるけど、どうしようもなかった。
「思考回路はショート寸前」なんていうけど、実際のところは「寸前」なんて生易しいものではなく、どう考えてもショートしきって暴走しまくってた。
超疲れるじゃーん!!!
どうやら、恋愛というのは壮大な「認知の歪み」らしい。こんな強烈な脳の誤作動を、みんな思春期の時に体験してるんだとしたら恐ろしすぎる…。よく健全に生きていけるな。
これが去年の夏頃の話で、半年ちょっとたった今では前とほとんど同じように「普通の友達」として付き合ってる。
僕の方に、少しの下心もないかと言われると少し疑問だけど、自分なりにいろいろ考えてようやくここまできたところだ。
いずれにしても、ゲイの友達が極端に少ない僕にとってA君のようになんでも話せるゲイの友人というのは本当に貴重な存在で、結局恋人になることは叶わなかったとは言え、出会えて良かったと心から思ってる。
三連休前の木曜日。今日はこれからそんなA君と2人で飲みに行ってきます!