負け犬にとっての愛の定義
私は世間でいう負けてる人だけど
それを自身の存在価値と結びつけない
最近そのレベルまでバランスのある考え方ができるようになった
社会で劣っていることと、自分が存在していて生命力があることは別のこと
よく描かれるタイプの愛からも程遠いけれども
毎日必ず愛を感じる
勝った負けただとかの二元的な考え方のうえにない、感じるものがあるので
それを味わい生きる
二元論的な考え方がうむ病んだ心があると思う
負けている人という概念も、そういう人らには素晴らしい快感や豊かさはおあずけという嘘も、溶けてなくなる