【Vol.6】グチ・悪口は悪なのか?
「グチや悪口をいってはいけません」が“常識”となっている。
こんなこと書いたら“炎上”になってしまうのかもしれないが、果たして「いけないこと」なのだろうか。
ここ数年、世界情勢の混沌が関係し注目されてきたのか、俗にいうスピリチュアル界隈では「ジャッジをしない」ということがよくいわれている。
しかし、これを見聞きすると非常にモヤモヤしてしまう。
なぜなら、「ジャッジをしない」→「ジャッジをすることはよくないことだ。」という意味ではないのか???
つまり「ジャッジをしない」というジャッジをしているのではないかと思ってしまうからだ。
間違いなくヘリクツだ(笑)
はなしは逸れるが、わたしはヨガスタジオに通っている。
かれこれ5年にもなるが、先日とてもこころに刺さるレッスンを受けた。
インストラクターの先生から「女性は子宮に感情を溜め込んでしまう・・・」というおはなしをいただいた。
骨盤周りのデトックスは老廃物などの物質的なもののみならず、精神的なものも解放するということであった。
その時、「あっ!」と気が付いた。
数年前、子宮筋腫が見つかった。
それも一つや二つではなく、小さめの鶏卵大のものが複数個。
時々、ひどい腹痛にも悩まされた。
それがいまはまったく問題ない。
検査して確認していないので確かなことはわからないが、おそらく、筋腫は消滅したと感じている。
この間になにが起きていたかは、また別の機会にでも書きたいと思う。
そのころは、いろいろな消化できない感情がたくさんありそれを押し殺して表面的にはなんとか平静を装っていた。
それはきっと針でつつけばはじける嚢胞のようなものだったにちがいない。
そういった感情が子宮に溜まり、「しこり」を作っていたんだと気が付いたのだ。
少し前に参加したイベントでお話したある女性のことを思い出した。
その方はまだお若いにもかかわらず、がんサバイバーで、医療を受けずに自分の治癒力でがんを克服したということであった。
乳がんだったそうだが、なぜ自分が乳がんになったのか気が付いたので、それならば自分で治せるのではないかと思い、自己治癒に成功したということであった。
その方が乳がんになった理由は、短くまとめさせていただくが、「こうでなければならない」を優先し過ぎて、本当の自分自身の声に耳を傾けなかったからだという。
その方もわたしも自分自身を大切にしていなかった。
それが病気となって表れた。
そういうことなのだろう。
グチや悪口は、他者の言動もしくは目の前の状況と自分の価値観や感情との乖離から生じると思う。
「そういう乖離を感じないからグチや悪口が出てこない」というならそれは幸せなことだ。
問題はその乖離を感じているのにも関わらず、他者からの評価や“常識”を気にするあまり自分の気持ちに“蓋”をしてしまうことだ。
周りの人からは「いい人」と評価されるであろうが、自分は本当はそうではないとわかっているはずである。
ただ、重症化すると乖離の感情を潜在意識に押し込んで、“蓋”をしたことさえもなかったことにしてしまう。
自分を痛めつけていることに完全に鈍感になってしまうのだ。
「ジャッジをしない」ということにこだわり過ぎるとまたもや世間が作り上げた理想像に当てはめようと「いい人」になってしまい、自分の声を無視しかねない。
だから「ジャッジをしない」ということについても「グチや悪口をいってはいけません」と同様だと思っている。
「自分の基準」を正確に把握していないと、どうしても他者からの評価や“常識”に寄せていってしまう。
まずは「自分の基準」でジャッジし、その上で善悪でなく、「自分はそれ(その状況)が好きなのか好きではないのか」など自分の声に耳を傾け、それならどうすればよいのかを考えればよいのではないだろうか。
“常識”にこだわらなければ解決方法はいくらでもあるはずだ。
グチや悪口、何かをジャッジする(善悪を決める)を推奨するわけではない。
グチや悪口の対象はもちろん、グチや悪口を吐き出した自分自身も決してHAPPYではないからだ。
しかし、今一度自分自身に問いかけてみよう。
自分の本当の声に耳を傾け、まずは自分を大切にしているか。