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さてさてドン尻に控えしは〜?②

おはようございます☀️
こんにちは😃
こんばんは🦉🌛
c_cotton358です。

続きです。
前回、早々に妻子を亡くして悲しみの底に身を置きながら制作したオペラが散々な評価を受け、反省部屋に閉じこもってしまったヴェルディでしたが…

【転んでもタダでは起きません!持って生まれた美的センスで見事復活】
年の暮れも差し迫ったある日、街中でメレッリとヴェルディは偶然にも出会います。底でメレッリは強引に彼を事務所に連れて行き、旧約聖書のナブコドノゾール王を題材にした台本を押し付けます。(よほど、作って欲しかったのね…)もう、創作意欲も失せていたタイミングだっただけにヴェルディは帰宅後にその台本を放り出したそうだけれど、その時に開かれたページに書かれていた台詞「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」がその眼に入り、再び音楽への意欲を取り戻します。何とも偶発的に起こったビブリオマンシー的な展開。そこから脚本の改訂を行わせ、作曲を重ね、1841年秋に完成させたその作品はさまざまな準備を経て1842年3月9日にスカラ座で初演を迎えます。
これが『ナブッコ』です。この作品で復活を遂げ、その後の『マクベス』、『リゴレット』、など数々の代表作と言われる作品の誕生へと繋がって行きます。

政治的な背景から、一般大衆には正当に評価されていないかも?と感じたヴェルディは1859年の2月に「もうオペラは書かない」宣言をして、次の契約を断ってサンターガタの農場へ身を引っ込め農作業に精を出し、8月末に2度目の結婚をしてます。そこから暫く戦乱の中で一時は下院議員として議会にいた、なんて話もあるみたいです。求められて立候補して、当選したから座ってみたけど、特段議会でやりたいことも野心もなかったと言うのだから、4年間の任期はなかなかタフだったでしょうね。そんなこんなで1861年やっぱり音楽の方面に戻ってきます。その後、1869年に『運命の力』に改訂を施して生まれた作品こそ、『アイーダ』です。この作品に関しては、かつて共通教材というものが学習指導要領の中に存在していた時期に学んだ人たちや、スポーツ観戦が好きな人たちなどは、「凱旋行進曲」(アイーダトランペットとも称される尺の長〜いトランペットが高らかに鳴ってるあの曲です)、耳にしたことあるんじゃないでしょうか?
『椿姫』以来となる女性が主役となったあらすじは、以前のほとんどの作品にあった悲劇的な死ではない、官能的な生との別れで終えて、当時の観客たちも強く魅了されたそうです。

【晩年は…】
その後も精力的に活動を続けて、『オテロ』や『ファルスタッフ』などを生み出しています。1898年秋に伴侶であったジュゼッピーナを肺炎で失いすっかり憔悴。暫くして少し回復したものの、自身も自らの老いを感じ取っており、1900年4月頃には遺書を用意していたそう。同年末に娘マリアと一緒にクリスマスを過ごし、定宿となっていたグランドホテル・エ・デ・ミランで年を越していたそう。しかしながら、1月20日の朝、起きぬけのヴェルディは脳血管障害を起こして倒れ、意識を失ってしまいます。それから7日後の1901年1月27日偉大な作曲家兼農家の男ヴェルティは87歳でこの世を去っています。(当時の医療技術とかを考えても相当ご長寿な気が…)

音楽家となると、その【音楽】での功績ばかりに目が向きがちですが、自分でやるって決めたらどんな状態でも器用にこなしてしまう天秤座さん、音楽活動の傍らで農場運営にも精を出し続けて、『アイーダ』が上演されていた頃には、買い増した土地が当初の倍以上になって、雇う小作人も十数人までになっていたそう。邸宅はヴェルディが自ら設計し、増築を繰り返して大きな屋敷になっていたそうです。
その人その人で天秤の両手のお皿に載せるものは違うにしても、持ち前のセンスの高さでマルチにこなしてしまえる高い能力の持ち主なんですよね。そして、それを決して表には出さない。「私、頑張ってます」を決して主張してこない謙虚さ…真似したい。

…と、何とかかんとか12星座分書き連ねてみた【星×音楽家】書き終えることができてホッとしてます。また、気まぐれにこの音楽家掘り下げたい…が出てきたらこのネタは書いてみようと思います。
今日も時間を割いて目を留めて下さっている画面越しのそこのあなた、今日もありがとうございます。次は何のネタと星を合わせてみようかな〜。

では、また。

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