見出し画像

運動会と言えば…

おはようございます☀️
こんにちは😃
こんばんは🦉🌛
c_cotton358です。

今日もお目に留めていただきありがとうございます。
前回、ルロイ・アンダーソンについてサラッと書きましたが、今回も運動会のBGM繋がりで行こうかな…と思います。

前回のルロイ・アンダーソンもだけれど、今日取り上げる音楽家も近代音楽に分類されて比較的西洋音楽史的には新しい部類に属する方ですね。
アラム・イリイチ・ハチャトゥリアンです。

この名前だけで何やら賑やかな楽曲が聴こえてきませんか⁈笑
日本の学校教育現場ではすっかり運動会の時のBGMとして浸透していると思いますが、元はバレエ音楽の『ガイーヌ』(ガヤネーと表記されることもある様子)の中の音楽【剣の舞】です。作曲者の名前とリンクせずとも、音源を聴けば『あぁ〜!』となること必至の楽曲です。

【ちょびっと来歴】
そんな【剣の舞】を書いたアラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(以下、ハチャトゥリアン)は1903年5月24日生まれ(一部、同年6月6日生まれとされている資料もあり)の(どちらにせよ)双子座さんです。旧ソビエト連邦の作曲家であり、指揮者です。他の音楽家の様に幼少期から音楽教育を施されていたというわけではなく、本格的に音楽の勉強を始めたのは18歳を過ぎてからだそうで、それまでは楽譜も読めなかったとされています。19歳でグネーシン音楽学校に入学し、チェロと作曲を学び始めたそう。1929年からはモスクワ音楽院に在籍し、ミャスコフスキーやワシレンコに作曲や管弦楽法を学んだそうです。モスクワ音楽院在学中に作曲したピアノ曲『トッカータ』はアルメニアの民族音楽が垣間見られます。民族音楽と西洋音楽の融合を模索していたのかもしれませんね。1934年にミャスコフスキーの娘ニーナと結婚し、生涯を共にすることとなりその結婚から2年後、『ピアノ協奏曲』を発表し、クラシック音楽界では注目を集めるようになりました。剣の舞が作曲されたのは、1942年バレエ『ガイーヌ』の最終幕で用いられる楽曲で、クルド人が刀を持って舞う戦いの踊りを表している作品です。2分程度の楽曲ですが、一晩で書き上げてしまったという逸話の様なものも残っています。

…と、この時点ですでに双子座が炸裂している気がします。
・興味のあることには没頭して時に寝食気にしなくなる時がある。
(手に届く範囲に飲み物や片手で食べられるサンドウィッチとかがあれば別かもしれませんが)
・興味のある分野の中で幅広く学びます。
・一点集中の特化型はちょっと苦手
『音楽』で一括りにするのであれば、ここは私も共感できる部分が多いのだけれども、一つの分野を長時間続けるというのは本当に苦痛なのです。興味があちらこちらへ飛んでしまうので。例えば、ピアノで楽曲になっている課題をさらう…となっても、せいぜい同じ曲にフォーカスしていられるのは1時間の時間があったとして20〜どんなに頑張っても30分程度なんです💦それを過ぎると大体別の曲をさらい始めたり、そもそも触る楽器が変わったり、はたまた、(当時は苦手の極みだった)和声や音楽理論的な机に向かうお勉強にシフトしたり…。
・AとB、二つを組み合わせてもっと良いものができないかな⁈と模索する。
ハチャトゥリアンの場合は、現在のジョージア生まれですが、両親ともにアルメニア人であったため、生涯アルメニア人としてのアイデンティティを貫き通したそうです。それためか、アルメニアの民族性を反映させた作品を多く出しています
・持ってる知識を総動員させてチャチャっとイメージを具現化させちゃう。
(手段は、その人によりけりだけれども)どんなに天才肌の作曲家だとして、2分程度の…とはいえ、曲想を音符にして楽譜に落とし込んで…、を一晩でやってのけてしまう能力…。

【順調な滑り出しかと思ったのに…】
順調にキャリアを重ね始めたかのように見えたハチャトゥリアンにピンチが訪れます。
ピンと来た方がいらっしゃったら博識です。1948年、スターリンの文化政策の眼が厳しくなり、その矛先がハチャトゥリアンにも向けられてしまうのです。当時のソビエトの芸術的指針は「形式において民族的。内容において社会主義的」でなければならず、ハチャトゥリアンの作風はその精神に反するものと見なされてしまったのです…
いわゆる「シダーノフ批判」と呼ばれ、ソビエト連邦による前衛芸術の取り締まりを強化したものでした。そこから10年余り、プロコフィエフやカバレフスキー、ショスタコーヴィチなどもシダーノフ批判の槍玉に挙げられ、作品の上演禁止や、ソビエト当局の意向に沿った作品を作ることなどを強要されてしまい、ハチャトゥリアンにとっても大分抑圧された窮屈な環境を強いられることになってしまったことでしょう…。
(余談)
スターリンは、調べたところによると、山羊座さんよりのギリギリ射手座さんのようです。(そこまで詳しい資料がなかった…)シダーノフは水瓶座さんよりの魚座さん…。12星座のグループ分けの上では同じグループのはずなのに、なぜ批判の槍玉に⁈と思いましたが、当時の旧ソ連の世相がそうさせていたのか、その当時は冥王星が双子座さんの場所にいたらしくて、もしかしたら、表面上では従っていたとしても、それまでの古臭い慣習とかに辟易して新しいエッセンスを取り入れたいな…などと考えて作られた作風(音楽、美術、文学…)を受け入れ難い方達が多かったのかも知れないですね。
これ以上掘り下げると読み進めるのも大変だと思いますので、ご興味のある方はご自身で探ってみてください。笑
【シダーノフ批判、及びスターリンの監視の眼から解放されて…】
1953年、時は第二次世界大戦からの冷戦が終焉を迎えようとしていた頃。そりゃ、ある程度の抑圧は仕方ないにしても、ハチャトゥリアンにとってはあまりよろしくない10年の歳月を過ごしたのちに、スターリンの没後、ようやく監視の眼から解放されて自由な作風が戻ってきます。1956年よりかつて自身も学んでいた音楽学校及び音楽院で教授に就任し、後進の教育に勤め始め、1960年代に入ると日本へも来日し、京都市交響楽団や結成直後の讀賣交響楽団との共演も果たしたそうです。

亡くなる2年前まで作曲活動に勤しみ、1978年にこの世を去っています。


楽しい!とポジティブなセンサーが働く方へ気の向くまま、誰に縛られるでもなく動けている時が、1番双子座さんは双子座さんらしく在れるのです。
逆に、あれこれ強制されてしまうと、途端にやる気も興味も失せて身体はその場に置かれていたとしても、意識は何処か別の場所にあることでしょう。

今回も最後までお目通しいただいた方々、本当にありがとうございます。
今度は誰を見てみよう…🤔
読んでくれる方が1人でもいるなら…と思うからこそ、細々とでも続けていられます。

お気軽にスキ♡やコメントもお寄せくださいね。
励みになって画面の向こうで喜びます。笑

それでは、また。

いいなと思ったら応援しよう!