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「おせっかい」と「気遣い」の間
先日、アンマン市内の繁華街でちょっとした車の事故に遭いました。
渋滞で前後左右に車が詰まる中、とある十字路に差し掛かったとき、何を考えたのか前の車がいきなりバックしてきて私の車に衝突してしまったのです。
前の車の運転手がクラッチを「R(リバース)」に入れ、「後ろに進みますよ~」を示す白いランプが点灯したとき、
「え?ええ!?こらー!」
と言わんばかりに後ろにいた私はクラクションを鳴らしたのですが、それも及ばず。
「なんだってこんなことに・・・」
と愕然としながら車から出ると、前の車から現れたのは年配の白人男性で身なりの整った方でした。
その車は黒いベンツの大型車で、ナンバープレートを見たところ外交官ナンバーだったので
「おや、この方はどこかの大使館でお勤め
なのかな」
と思いました。
その紳士とお互いの車の損傷部分を確認し、写真を撮り、修理をどうするのか、その支払いはどうするのかといったことを話した後、連絡先を教えてくれと言って出された名刺には
「在ヨルダン〇〇〇国 大使」
と示されており、
「え、大使ぃ!?」
と思わず聞いてしまいました。
「そう。日本の大使もよく知ってるよ。いつもは運転手が運転してくれるんだけど、たまには自分で運転してみたい気分だったんだ・・・約束があるのに道を間違えたあげく渋滞でテンパってしまってね、ホントごめんね」
で終わりました。
車の前のバンパーがへこみ、ヘッドライトのカバーが割れただけの大した事故ではなかったのが幸いでした。
・・・・・
と、そんなことがあったのですが、私が書きたいのはこの事故があったときの周りのヨルダン人のことです。
私達の事故によって渋滞に拍車がかかり、事故があったことを知らない後ろの方の車からは
「はやく行けー!」
と怒気を含んだクラクションが鳴らされます。
そうした中、いつの間にかわらわらと歩行者の野次馬ができてしまい、いつしか大勢の人に取り囲まれてしまいました。
事故に気付いた周囲の車からは運転手だけではなく、家族らしき人達や小さな子供達まで
「なんだ、なんだ」
と大勢出てきて、私の車のへこんだ部分を
「あちゃー」
という面持ちで眺めたり、さわってみたり。
また私とその大使が話していると、数名の男性達があたかも裁判官のように私と大使の間に立ち、腕組みをして何やら神妙な面持ちで「うんうん」などと頷きながら私達の会話を聞いています。
大使との話も終わり私が車に戻ろうとすると、野次馬の人たちが声をかけてきました。
「あんたは正しかった、
悪いのはあいつ(大使)だ!」
「この先に修理工場あるよ。
連れてってあげようか?」
「示談で大丈夫なのか?
今からでも交通警察呼んであげようか?」
「あんた、ケガはないかい?
(助手席に座っていた)奥さんは?
あ、そう、ケガしなくて良かったね、
あんたたちは幸運だ、Thanks God!」
・・・・・
翌日、出勤して事故のことをヨルダン人の同僚達にポロッと話してしまったところ、
「おー、まい、がー (Oh, my God)」と
ぽかんと口を開け、大きな目をさらに大きくして驚かれ、警察の調書さながら事故の状況について事細かく質問され、車をぶつけた大使の悪口を言い、
「へこんだ部分を見せろ」
と駐車場に停めてある車のところまで案内させられ、
あげく、
「はびーび、こんな大変なことがあったのに、
なんでオレ達に電話してくれなかったの?」
と怒られました。
「で、修理する工場は決まってるの?」
「いや、まだ何も決めてない。
それに今日は○○○とミーティングがあるし」
「○○○?あぁ、あのアンポンタン!
あんなの、待たしておけばいいよ。
それより修理が先じゃないか。
今から知り合いのところに電話しておく。
絶対50ディナール(10,000円ぐらい)以下
でやるよう言っといてやるから今すぐ行け
ばいい。
あ、お金はその大使が払うんだっけ?
なら300ディナール(約60,000円ぐらい)
でいいかな(笑!)」
また年配の同僚には
「修理中、車ないとタクシー乗るんだろ?
これ、取っとけ」
などとお金を差し出す人もいます。
見知らぬ野次馬さんたちや同僚からかけられた言葉、申し出はただの「おせっかい」なのかもしれません。
しかし、たとえそれが「ウソん気」でもなんだかうれしかったのです。
・・・・・
「おせっかい」と「気遣い」の境界って、線引きが難しいですね。
あまり踏み込みすぎると「おせっかい」になってかえって迷惑がられますし、なんだか「私はいい人」というのを宣伝しているようで嫌らしくなる危険もあります。
それに、何か困っている人や落ち込んでいる人を元気づけたりお役に立ちたいと思っても、言い方や接し方によっては「おせっかい」になってしまう可能性があるわけで、その声のかけ方というのも難しいもんですね。
「おせっかい」と「気遣い」の線引きは、結局受け手がそれをどう受け止めるかにもよるもので、明確なボーダーラインのようなものはないのかもしれません。
ただ今回の事故を経験して、共感とか同情を示されるだけでこんなにうれしいものなんだなということを実感しました。
海外で周囲から温かい声がけを受けると、そのありがたさはさらに身に染みます。まるで汗ばみながら転がり込んだ喫茶店で、さっと冷たいお水とおしぼりが出てくるようなうれしさです。
今回は修理工場も全然知らなかったですし、修理費用の相場もわかりませんでしたので、同僚の申し出は本当にありがたかったです。
ここの人達は共感力が高いのでしょうか。あるいは私が超単細胞な「感激しい」の性格なだけなのかもしれませんが、
「ヨルダンでいい人達に恵まれて
私は幸せ者だ」
とあらためて感慨にふけっているところです。
今回もご訪問、ありがとうございました。
追伸:
私の車の修理は、同僚が電話をしてくれた修理工場で40ディナール(8,000円ぐらい)でやってもらえました。
その請求のため、その大使にその旨伝えると、
「ええぇええぇっ、40!?
安すぎない?ホントにちゃんと修理したの?
私の車、ちょこっとへこんだだけなのに修理
に100も取られたから、はびーびの車の修理
は200以上かかると覚悟してたんだけど・・・
チキショー、ヤラレタっ!」