犠牲祭祝日にみる人間関係
ヨルダンでは5日間の犠牲祭の祝日(Eid Al-Adha)が終わり、昨日から通常業務に戻りました。
通常業務とはいえ、ヨルダン人はまだ祝日気分が残っています。私のスタッフも全員出勤しましたが、まあみんなよくしゃべる、しゃべる・・・。
「あんた達、5年ぶりに会ったんかい?」というぐらい、まあよく話が続くものです。
そして仕事はそっちのけで、スタッフは朝から挨拶まわりがほとんどでした。
人との関係性が何よりもモノを言うヨルダンですので、メールをするより、パソコンに向かって作業をするより、連休明けは「あいさつ回り」の方がはるかに重要なのです。
私も昨日はパソコンはフタをしたまま、プロジェクト関係者の部屋を訪ね歩く一日でした。
関係者の部屋を訪問するたびにコーヒーが出てきて、自宅に帰ったときは胃がもたれてしまっていました。
普段からそうですが、ちょっとした集まりがあるたびに必ずコーヒーや紅茶が出されます。コーヒーとなるとトルコ・コーヒーが一般的で、これはエスプレッソのような濃いものです。
私はトルコ・コーヒーは大好きですが、一日に5杯も6杯も飲まされるとさすがに胃にきます。。。晩御飯はお粥でいいかな、ぐらいに苦しいです。
あいさつ回りで話す内容は、まず
「元気?家族の皆さんも元気?」と。
みんな元気だよ、と答えると、
「そっか、よかった、よかった、
アッラーの神様のおかげだね」
と言い合います。
この最初のやり取りがここでは大事です。
電話でもメールでも同じです。
相手だけじゃなく、相手の家族もことも気に留めていることを示すことが、相手への信頼、友情、好意を示すからです。たとえ表面的であれ、会話に入るときのマナーと言ってもいいかもしれません。
ヨルダン人関係者で、会ったその場ですぐに仕事の話をする人は見たことがないですし、たぶんですが、それは相手に対して失礼とか、「はしたない」と思っているのでしょう。
それから休暇中はどうしていたのか?とかの四方山話が延々と続きます。
そして、犠牲祭明けだからですが、
「休暇中、羊はどのぐらい食べたのか?」
をみんなに聞かれました(汗)。
犠牲祭というのは「食べ物をみなと分け合って食べる」ことがメインで、テーブルの主役は羊です。
犠牲祭中に自宅周辺を散歩していますと、よく道端に血の流れた真っ赤な跡が至る所にありますが、それは羊を屠った跡です。。。各家庭で生きた羊を一匹購入してきて、自宅で処理して調理するのです。
ラムチョップのようなお肉もあれば、いわゆるホルモン、モツなどもテーブルに並びます。
ここの人達は犠牲祭中はきれいな服を来て、親戚や友人宅を訪問して食事をともにします。多くの家族がオシャレな装いで連れ立って街中を歩いている光景を見るのはいいものです。ここの人達、幸せそうだなあと思います。
それでもこのコロナのご時世ですから、さすがに大勢で羊を囲んで食事をするのはマズイんじゃないか?・・・と思うのですが、どうも全然気にしていないっぽいのです。
昨日のあいさつ回りでは、
「この休暇中に4件親戚まわりしたからなあ、2週間後ぐらいにまたコロナが爆発的に増えるだろうなあ、がははは(男)、おほほほ(女)」
なんて笑い合っている人たちばかりでした。
コロナ禍で大勢で食事するのはマズイだろう。
それはわかっている。
でも、去年も親戚とは全然会えなかったし、
ワクチンも打ったんだから、いいじゃないか。。。
ヨルダン人の多くはそういう心境のようです。
オンライン会議をここの人たちは本当に嫌がります。「オンラインでは何もわからない」というのが口癖のようになっている人がほとんどです。
コロナであろうが、対面で会うということの方が大事なんですね。
コロナ禍での犠牲際の祝日を、現地の人がどのように過ごしたかを垣間見た上での仮説ですが、
仕事相手との信頼を構築する上で、相手が「デキるヤツかどうか」ということよりも、相手との人間関係を重視する人たちは、
対面で会うことを殊の外重視しているのではないかと思います。オンラインでは決して得られない部分、言葉で表現できない自然な親密感を重視している気がしてなりません。