私が日本で萌えたモノ
日本での休暇があっという間に終わり、先週末ヨルダンに戻りました。
長男の学校の都合もあり、日本に帰るのはどうしても6月、7月になってしまうのですが、あいにく日本は梅雨の真っただ中。今回の日本滞在でも毎日天気予報を眺める日々でした。
かつては線状降水帯もゲリラ豪雨もなかったような気がするのですが、今回の帰国中、熊本の自宅で過ごすうちに4回も線状降水帯がやってきました。
もともと私は雨は嫌いではありませんでした。
マレーシアなどで経験したスコールも嫌いではありませんでした。スコールは大抵短時間で通り過ぎていきますし、スコールの後の夕焼けは言葉で言い尽くせないほど美しいものです。
ところが6月から10月にかけて一滴も雨が降らず、雲一つない快晴の日が続くヨルダンに来てからは、すっかり雨が嫌いになってしまいました。
とくに線状降水帯は「一体いつまで雨が続くのか?」という不安だけで、情緒も何もありません。
それでも今回の帰国中、ヨルダンでは経験できない「萌えた」経験もたくさんあり、日本での休暇も一応のリフレッシュにはなったかなと思います。
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和菓子
日本に帰って楽しみなことのひとつは和菓子です。
その中でも私は特に「みたらし団子」と「おはぎ」が大好物で、できることなら毎日食してもいいと思うぐらいです。
「みたらし団子」も「おはぎ」も、日本で生活していればなんてことない食べ物かもしれません。しかし海外で生活していると、夕方に仕事でクタクタになりながら車を運転しているときなど、
「あぁ、おはぎ食べたい・・・」
と深~いため息をつくことも多いわけです。
今回も夕方関西空港に到着し、大阪に移動してお寿司を堪能したのち、近くでたまたま開いていたスーパーで早速「みたらし団子」と「おはぎ」を買ってホテルに戻りました。
帰国した日の夜は時差ボケで眠れないのを経験上知っているので、「みたらし団子」「おはぎ」は夜明けまでの私のお供というわけです。
まずは3列に整然と並べられた「みたらし団子」たち。
はやる気持ちをおさえ、静かにパックを開けます。
「団子三兄弟」という歌が一時流行りましたが、今回買った「みたらし団子」は四兄弟でした。
列になってお隣のお餅とくっついてしまった「みたらし団子」たちを、「よしよし」などとワケのわからぬ声をかけながら、それぞれの団子たちが傷を負ってしまわないよう、持ち手の棒のところを持って静かにひきはがします。
ヨルダンで長らく思い描いていた「みたらし団子」と同様、黄金色した飴が棒の部分までたっぷりかかり、申し訳程度とはいえお餅の部分には焼き色までついています。
しかしそんな芸術品を手に感慨にふけったのは数秒のことで、一気に頭から「長男」と「次男」をパクっといってしまいました。
やわらかすぎず、固すぎない。
歯につきそうで、つかない。
この絶妙なお餅の歯ごたえはたまりません。
そしてそれに絡む餡の甘さ。。。
甘すぎず、甘くなさすぎず。
私の歯と舌と喉が大歓声を上げているのがわかるのです。
一列目の四兄弟を食し、次に「おはぎ」に手を伸ばします。
今回たまたま立ち寄ったスーパーでは「つぶあんのおはぎ」しか売られていなかったのが大変幸いでした。諸説、いろんな意見があるでしょうが、「あんこ」たるものは「つぶあん」でなければなりません。
(「つぶあん」でなければならない理由を書き始めると数千字になりそうなのでやめておきます)
今回はひとつひとつが個包装になった「おはぎ」を2個入手しました。
下品ですが手づかみで、半分ほどをガブリといきます。
まずはあずきの「つぶつぶ」を感じ、その感触を楽しみます。
おっほっほ、と思わず声が出てしまいます。
そして、ほんのりとした微妙な塩の味とともに口の中に甘さが追いかけてきて、なんだか身体が「おはぎ」に溶かされていくような感覚を覚えます。
飛行機の長旅で疲れた身体を「みたらし団子」と「おはぎ」がマッサージしてくれたような感じがして、ようやく「日本に帰ってきたんだな」と実感するのでした。
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散髪
ヨルダンでも散髪屋さんには2週間に一度ぐらいの割合で行っています。私の場合は少し切って揃えてもらうだけなので、ものの5分ほどで終わってしまうのです。
ヨルダンで通っている散髪屋さんでは、いつも髪を切ってもらってからお菓子とコーヒーが出てきます。髪を切る時間よりもコーヒーとお菓子を片手に、お店の人や他のお客さん達としゃべってる時間の方が圧倒的に長いのです。
それはそれでリフレッシュにはなるのですが、やはり日本の散髪屋さんでのひとときというのは特筆すべきものがあると思います。
私は美容院というところに50年の人生で一度だけ入ったことがあるのですが、美容院は「オシャレなお兄さん、お姉さんが行くところ」という意識がどうしても拭えず苦手意識しかありません。
やはり青と白と赤のサインがくるくる回っていて、お客は年配の男性が主力の散髪屋さんの方が私は落ち着くのです。
今回入った散髪屋も、帰国のたびに立ち寄る自宅近くの普通の散髪屋さんです。
霧吹きでまず髪を少し濡らし、よく研がれたハサミがリズムよく髪を切っていく音が心地いいです。
髪を切り終わると、そのまま前屈の姿勢になって髪を洗ってもらいます。どこのシャンプーを使っているのか知りませんし、なんでいつも2回も洗ってくれるのか、その意味もよくわかりませんが、それでもいいのです、気持ちいいですから。
ヨルダンでも頼めば散髪後に髪を洗ってもらえるのですが、その作業が雑で服が濡れてしまうことがよくあります。
また決して悪気はないようなのですが、シャンプーをしてくれている理容師さんが携帯電話での会話に夢中になっており、私の頭についているシャンプーをいつになったら流してもらえるのかわからない、ということも多いのです。
そして日本の散髪屋さんでのクライマックスはヒゲそりです。
洗髪で濡れた髪を拭いてもらい、いったん座った姿勢になります。
お店の方がお湯で石鹸をとかし、毛筆の筆のようなブラシにたっぷりと石鹸をなじませ、まずは耳の上のカーブの部分や首の後ろ、うなじの部分にペタペタと石鹸を滑らせていきます。
そしてツツーっと剃刀がうなじを滑っていくときに若干の「こそばゆさ」はありますが、それが心地いいのです。
それが終わると今度は椅子を倒され、ちょうど仰向けに寝ているような姿勢になります。
このときに私は少し睡魔が襲ってきます。
うっすらと意識が遠のいていくのを感じながら、まずは口周りのヒゲの部分にたっぷりと石鹸をなじませ、そのあとに熱く蒸されたタオルを乗せられます。こうしてヒゲをやわらかくしておくんでしょうね。
その間に、額やこめかみ、眉毛の下、ほっぺの部分に石鹸を塗られ、ゆっくりと剃刀がすべっていきます。
ああ、気持ちいい・・・顔の皮膚細胞のひとつひとつが弛緩していっているのがわかります。
それが終わると、さきほど乗せた口周りのタオルを取り除き、もう一度口周りに石鹸を塗り、ゆっくりと、丁寧に、ヒゲが剃られていきます。
アゴの部分の骨格のせいか、そこだけ少し剃りにくいのでしょう。その部分だけ執拗に、しかし決して痛くない絶妙な手加減で剃刀が動いていきます。
そして極めつけが、耳たぶの産毛の部分を剃ってくれるときです。普段の生活ではそんなところまで自分で剃ることはありませんので、散髪屋さんで一番楽しみなのがこの「産毛剃り」かもしれません。
これも吐息が出そうなぐらい、足をバタバタとさせたいぐらいに気持ちがいいのです。
そして最後の最後のお楽しみ。
この散髪屋さんでは、綿棒で耳かきまでやってくれます。さすがにそこで耳垢がごっそり出たなんてことになると恥ずかしいので、散髪屋さんに行く前にいつも耳掃除をしてから出かけます。
それにしても他人にやってもらう耳掃除って、なんでこんなに気持ちいいんでしょうか?もし、この耳掃除をやってもらっている間に火事や地震があっても、私はその快楽にひたっているうちにきっと逃げ遅れるでしょう。
散髪屋さんで耳たぶを剃ってもらい、耳かきをしてもらう正味2-3分だけのために長い時間飛行機に乗って日本に帰ってきた、と言っても過言ではありません。
上の写真は、熊本の自宅近くで撮影したもので、手前が有明海、奥に見えるのが長崎県の島原半島、雲仙・普賢岳です。
散髪はやはり晴れた日でないと何となく気分が乗らないのですが、この写真は散髪を終えてサッパリした気分で撮った夕焼けです。心なしか、いつもよりも綺麗に島原の景色が見えたような気がします。
しばし波風にあたって海を眺めてボーッとしたのち、近所の馴染みの和菓子屋さんに寄り道し、またもや「みたらし団子」と「つぶあんのおはぎ」を、今度は家族の分まで買い家路についたのでした。