駐在員とその家族が経験する、メンタルの浮き沈み
早いものでヨルダン駐在も4年半が過ぎました。
仕事で出会ったヨルダン人の同僚やスタッフ、
アパートの大家さんや管理人、
隣に住むアルゼンチン人夫妻とそのご家族、
長男の学校の同級生やその両親、先生たち、
日常的に訪れているパン屋や肉屋、八百屋、
花屋、お惣菜店、ガソリンスタンドのおじ
さん、お兄さん、お姉さん
ともすっかり顔なじみになりました。
多少のハプニング、アクシデントは時々ある
ものの、今となってはそれらが大きなストレ
スになることはほとんどありません。
・・・・・・・
ヨルダンに駐在するべく、家族とともに日本
を出発したときから私はずっと興奮していま
した。
かねてから中東、砂漠のある国に行きたかっ
たので、それが叶った高揚感です。
本屋の片隅にあった
「地球の歩き方・ヨルダン版」
を手にし、これから過ごすことになる国の
景色や食べ物、人々に思いをはせ、早く
ヨルダンに行きたいと、そればかり考えて
いました。
成田からドバイへの機内では一睡もできず、
ドバイからアンマンへの機内では、座席の
スクリーンに映し出される現在地情報を見な
がら、眼下にウネウネと広がる砂漠をずっと
見てました。
到着して数日間はホテルに滞在しましたが、
目に映る景色、耳に入る音、鼻をつく匂いの
すべてに心が奪われました。
雲ひとつない空の色、
夕日を美しく照らすモスク、
カフェで水タバコでくつろぐ人たち、
せわしなく響く車のクラクション、
お祈りを呼びかけるアザーン、
肉屋にぶらさがるラム肉の塊、
人のふくらはぎぐらいの大きさのナスビ、
窯出しされたばかりの大きく平らなパン・・
ヨルダンに来て数週間、
仕事関係の方への挨拶周りでも協力的、前向
きな方ばかりに感じられ、何もかもが順調に
滑り出したように感じました。
新しい環境で、目新しい景色に触れ、大変
素晴らしい時間を過ごせているという満足感
しかなかったのです。
しかし、そんなバラ色のヨルダン駐在生活は
長く続かず、少しずつイバラの道を経験する
ことになります。
ここに来た当初は本当にいろいろありました。
まず仕事面では、
ヨルダン人のパートナーやスタッフとほぼ
毎日ケンカするようになりました。
「なんだなんだ」と野次馬が群がるぐらい、
オフィスの廊下中に響き渡る声で怒鳴り合い
のケンカをしたことも一度や二度ではありま
せん。
ここヨルダンに来る前はマレーシアにいたの
ですが、ヨルダンに来た当初は以下のように
毒づく毎日でした。
「マレーシア人は優秀で何でも要領よくでき
ていたのに、このヨルダン人の体たらく、
ヤル気のなさは一体何!?」
「明日やると言っておきながら、明日になっ
ても何もできていない。まったく、信用で
きる人が誰もおらんわ」
・・・・・・・
生活面では、自宅で使う水タンクがすぐに
枯渇してしまうのです。
ヨルダンでは、道路の下の水道管から直接
自宅の蛇口に水が届くのではなく、一旦
アパートの屋上などに設置してある大型の
タンクに入ります。
さらにそのタンクから、自宅内に設置して
ある小型タンクに水が降りてきて、ようやく
蛇口から水が出るという仕組みです。
しかしその自宅にある小型タンクがとんでも
ない曲者で、容量が小さすぎるために一人が
シャワーを浴びただけで空になってしまうの
です。
自宅で使った分だけ、すぐに屋上の大型タン
クから自宅の小型タンクに水が送られれば
いいのですが、ものすごいノロイのです。
水を使う方はドバドバ使うのに、それを補う
大型タンクから小型タンクへの水の伝達は
チョロチョロ、といったイメージでしょうか。
これにキレたのが家内でして、例えば誰かが
シャワーを浴びている間に洗濯ができないの
です。
それに、誰かがシャワーを浴びたら、すぐ
に次に誰かがシャワーを浴びたいのですが、
いちいちタンクに水が貯まるまで30分ほど
待たなければならないのです。
イラ・・
おまけにキッチンのガスにうまく火がつか
ないとか、アイロンを当てていると電気が
落ちてしまうとか。
Wifiの修理も、今日来ると言いながら来な
いとか。
イライラ・・
スーパーなどでの買い物も、先週は置いて
あったものが、今週は在庫がきれて置いて
ないことがザラにあると気づきます。
どれどれと、楽しみにして口にしたアラブ
料理が、実際にはそれほど美味しくないと
感じました。
イライラ・・
週末のお昼ご飯に、何か外で食べようと出か
けても、ここの人のお昼ご飯は夕方なので
12時なんてどこもお店は開いてません。
イライラ・・イライラ・・
ヨルダンで運転するために必要な免許証の
取得だけで4ヶ月も待たされ、その間はタク
シーです。好きに買い物にも行けません。
イライラ・・イライラ・・
ここのタクシーはいちいち値段交渉しないと
いけないので煩わしいのです。外国人とみる
や、ほとんど値段をふっかけられますし。
イライラ・・イライラ・・イライラ・・
ウーバーもあるのですが、雨や雪の日はなか
なかウーバーが来ず、一時間も待たされるこ
ともありました。
イライラ・・イライラ・・イライラ・・
このように、ヨルダンに来て間もない頃に
味っていた気持ちの昂まりはいつしかなく
なり、
全てのことがバカバカしく、むなしく、
徐々にあきらめや、怒り、徒労感、疲労感
でいっぱいになりました。
自分が望んで来た土地とはいえ、
「こんなはずじゃなかった」
と、次第に自分の考えの浅はかさを悔いると
同時に、家族に申し訳ない気持ちで一杯に
なるのでした。
・・・・・・・
最近たまたま読んだ異文化関係の情報で、
「異文化適応曲線」
なるものがあることを学びました。
下がその曲線なのですが、図の上の方が
精神的に上向いている状況のことで、
下の方が精神的に参っているときのことを
指します。
(出典:https://www.researchgate.net/figure/Phases-in-culture-shock-in-the-U-model_fig4_311440032より)
私がヨルダンに来てから経験した精神状態が、
見事に上のグラフが表わす「U字型」を示して
いたのがわかります。
ここに来た頃の精神状況が「ハネムーン」と
は言い得て妙でして、
結婚したての夫婦が
「なにかわからないけど楽しくて仕方がない」
という精神状況と同じです。
それが時間が経つにしたがって相手との違い
や欠点が見えるようになり、やがて幻滅を感
じることも増え・・・・
というところも夫婦の精神状況の推移とよく
似ているなと思うのです。
今から思い返しますと、
ヨルダンに来て数週間が「ハネムーン期」で、
仕事や生活が本格的になった次の3-4カ月が
「カルチャーショック期」、
それらを経てようやく「回復期」が来たよう
な感じです。
私の場合、
ヨルダンでの「カルチャーショック期」は短
かかったように思います。
これまで一番ひどかったのは、私の場合は
ベトナムでした。
ベトナムは2年しかいませんでしたが、
フォー(ベトナムの麺)が美味しいと感じた
「ハネムーン期」は2-3日だけで、
残りの2年間、ほとんどカルチャーショック
期と言っても過言ではないぐらい、いい思い
出がほとんどありません。
もちろん、ベトナム人がひどかったという
ことではなかったのですが、何をやっても
うまくいかないことが多かったのは事実で
す。
この異文化適応曲線も、人によってそのカー
ブの形はそれぞれかなという気がします。
例えば家内と長男はもう少しカルチャー・
ショック期が長かったです。家族揃って
「これからも何とかやっていけるかな」
と確信したのは、ここにきて1年ぐらい経っ
てからのことでした。
・・・・・・・
ということで、ヨルダンに来てからも様々
なことがありましたが、今の精神状態とし
ては「共存期」です。
精神的にも充実していると言えますし、
夫婦にたとえるなら、ヨルダンと私は長年
連れ添った夫婦といったところでしょうか。
いつまでヨルダンにいるのかは定かではあり
ませんが、できることならもうしばらく一緒
にいれたらなあと思う今日この頃です。
追伸:
アパートの水タンクは、大家に文句を言って
新品の大きめのタンクを3つ入れてもらいま
した。しめしめと、まれにバスタブにお湯を
溜めて入ってます。
キッチンもガスコンロをすべて新しいものに
替えてもらいました。
アラブ料理、最初は「あれ?」と思うことも
ありましたが、最近はウーバーイーツのよう
な宅配も、我が家はほとんどアラブ料理です。
野菜も多くておいしいんですよ。
パンも最高に美味しくて、これまで米派だっ
た私が、すっかりパン派になりました。