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令和日本を救うかもしれないバーチャリティ理論について語ろう(前編)

ぼくは日本が好きだ。
日本のカルチャーや国民性が好きだ。日本の政治や制度はあまり好きではないが、最悪とまでは思っていない。

30年前の改元のときに産声をあげ、平成とともに育ち、京都大学の院を中退したり3年間ひきこもったりしたのちに、今回の改元の瞬間は大規模VRライブを(2つも)プラットフォーム運営として支えたりしていた。それがぼくだ。


▼ さよなら平成カウントダウンライブ UNiON WAVE - clear -


▼ 日清焼そばU.F.O. presents 輝夜 月 LIVE@ZeppVR 2


ぼくの生きた平成30年間は、日本にとっては間違いなく暗黒時代だったと言えるだろう。
GDPは横ばい、名目賃金上昇率はなんとマイナス。Made in Japanの栄光は見る影もなく、ぼくが身を置くIT産業における日本企業の存在感はグローバルにはないに等しい。

そんな時代に生まれ育ったということに対して、もちろん思うところは多分にあるわけだが、令和という新時代の到来に際して、国全体が変わろうと意識している今の世間の空気感は本当にいいものだと感じているし、とても期待感に満ちていて清々しい。まあ、単なるお祭り騒ぎでしかないのかもしれないけれども、重要なのは空気感が変わることなので、別にそれはそれでいいのだと思う。

この文章は、VRスタートアップの代表をやっているぼくが、未来をどのように見据え、「令和をどのような時代にしたいか」について綴ったポエムである。

どうしてこんなもったいぶった冒頭があるかというと、「令和の時代、ひいてはこれからの日本をこんな風にしたいよね」というポエムなので、前提としてそもそもぼくが日本という国に対してどのような気持ちを抱いているかというスタンスを示しておきたかったというわけだ。
だからこそ正直に告白しておくと、ぶっちゃけ、日本を背負っているとか、日本を変えてやるなんて大それた気持ちは(現時点の)ぼくにはない。

ただ、昭和から平成への改元時は当然なんの主張もできなかった(脳みそが物理的に1ミクロン程度しか存在してなかった)のに対して、令和に変わったいまは幸いにも人並み程度には脳みそが発達してくれているし、そしてなにより、ふつふつと腹の底より沸き起こる

次の時代はわれわれの世代が創るんだ

という気持ちを文章に起こしておきたくなった。

たんにお祭り気分の煽りを受けているだけだろう、と後ろ指を指されるならば、それはぐうの音も出ないほどその通りなので甘んじて受けるよりほかない。
ただまあ、普段から日本を背負ってるんだと責任感バリバリな方々が語る未来は、それはそれでかたっ苦しくて肩が凝ると思うので、ぼくみたいにVRなんてイロモノ産業で戦っているヤツがどんな未来を妄想し、どんな時代にしたいと考えているかを語るのも一興であろう。
そう考えて筆を取った(もといキーボードを叩いた)次第である。

とても長い文章になってしまったため、前編と後編に分けることにした。
前編はぼくが過去・現在・未来をどのように見ているかについて書いたが、やや抽象度の高めな内容になってしまったため、面倒くさくなった方はさらっと読み飛ばしてもらってもかまわない。
後半は前半を踏まえた上で、日本人の強みを出していくにはこうするのがいいんじゃないかという個人的な意見を書いたが、こっちがこのポエムのメインだし、前半に比べたら具体的な内容になっているのでぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しい。


1. モビリティの時代とバーチャリティの時代

今から200年後はどんな世界になっているだろう。

もし仮に200年後の未来を生きるわれわれが、200年間を振り返り、一言で「○○の時代だった」と言い表すことになったとしたら、われわれは一体なんと称するのだろうか?

SF大好きアニメオタクなので、暇さえあればそんな妄想を繰り広げている。(ちなみに、今後順調にバイオハックが進んでいれば200歳でも十分生きている可能性があるので、案外それほど不毛な妄想でもない)

思考の取っ掛かりとして、未来ではなく過去200年間を振り返ってみよう。

今から200年前、19世紀初頭といえば、ちょうどイギリスに端を発する産業革命が起こり世界が激変していた頃だ。

産業革命がその名の通り産業構造に様々な変革をもたらして以降、現代に至るまでに人々の生活スタイルは一変したわけだが、世界にとってもっともインパクトが大きかった変化をひとつだけ上げるならば、確実に「人やモノが移動するようになった」ことだろう。

蒸気機関の発明により蒸気船や鉄道が登場し、20世紀には自動車や飛行機も普及して、一気に交通網・流通網が整備された。
いまでは考えられないことだが、産業革命以前は商人などの例外を除くほとんどの人類が、生まれの土地から一歩も出ずに死んでいったのだ。
それがたった200年で人やモノが世界中を巡るようになり、都市化・一極化が進み、工場での大規模製造が進んだのである。
20世紀、世界経済に最もインパクトを与えた産業が自動車産業であることを疑う人はいないはずだ。

そう、産業革命から現代に至るまでの200年間を一言で称するなら

モビリティの時代

だったと言うのがふさわしいだろう。

では、未来の200年間はどうだろうか。

200年後の未来から今を振り返ってみれば、現代はもちろん、ご存知の通り情報革命の真っ只中だ。
インターネット、特にWWWの登場により、人・モノだけでなく「情報」が世界中を巡るようになった。
さらにスマートフォンが登場して、人類は四六時中インターネットにつながるようになった。

そんな現在進行系で激変しつつある現代から200年かけて、世界にもっともインパクトのある変化とは何だろう。いったい何の時代と呼ぶのがふさわしいだろう。

アクセシビリティの時代?(どんなモノ・情報も手に入るようになる)
コネクティビティの時代?(誰とでもつながれるようになる)
コグニティビティの時代?(あらゆるシステムが認知力を持つようになる)

いや、はたしてこれらが「モビリティ」に匹敵するレベルで、人類に変革をもたらすと言えるだろうか。
確かにどれも今まさに産業に破壊的なイノベーションをもたらしているが、今後200年に渡って起こる人類の進化を表すファクターとしては、どうも一側面しか表せていない気がするし、より抽象度の高い概念が必要な気がしている。

ぼくの考えはこうだ。
もっともインパクトある変化とは、「人やモノ」を動かすよりも「情報」を動かす方が経済的だし合理的だとみなが気づきはじめ、人類が「物理的な束縛から解き放たれはじめてきた」ことなんじゃないだろうか。

そしてさらに、物理的束縛から解放されることで、「より実質的・本質的な価値を意識することができるようになった」ことこそ、今後200年に渡って人類にとってもっとも重要で、もっとも影響の大きい変化なのではないだろうか。

例を挙げよう。

1)
人々は本がほしいのではない。
本に書かれた情報がほしいのである。
だから電子書籍という書籍の実質的な価値を抽出したデータを購入するようになった。
2)
人々は手紙がほしいのではない。
コミュニケーションを取りたいのである。
だからメールやメッセンジャーという手紙の実質的な価値を抽出したサービスを利用するようになった。

上記の例はすでに起こった変化のため「なにをいまさら」と思うかもしれない。

だが、物理的な制約から解き放たれ、実質的・本質的価値を重視するという流れにそってさらに突き詰めて考えれば、今後未来に向かってどのように技術が進歩し、どのように人類の生活スタイルが変わるかなんとなく掴めてくる。このようにだ。

1')
人々は本当に本に書かれた情報がほしいのだろうか。
その情報によって、知識を得て人生観が変わるという体験がほしいのではないか。
だったら、電子書籍はそのうち、脳に直接データや記憶をダウンロードするという実質的な価値を提供するサービスに変遷していくはずだ。
2')
人々は本当にコミュニケーションを取りたいのだろうか。
コミュニケーションを取ることで、他者とわかり合いたい・補い合いたい・つながりたいのではないか。
だったら、メッセンジャーはそのうち、全人類の意識が溶け合う電脳空間にアクセスするという実質的な価値を提供するサービスに変遷していくはずだ。

大真面目に言っている。サービスの発展の方向性として上記のようなものになっていきそうだという想像は充分にできると思う。
もちろん、現時点の技術ではまったく実現の目処が立っていないので、そうなったらいいな程度のSFでしかないのだが、200年後そういったサービスが存在しうるか否かと考えると、存在する確率が圧倒的に高いとぼくは思っている。

なぜなら、インターネットの普及により物理的な束縛から解き放たれつつあるわれわれ人類は、例えば「知識を脳に直接ダウンロードする」や「全人類の意識が溶け合う電脳空間」なんていうSF的でいかがわしい手段を、ある種リアリティをもって想像できるようになってしまったからだ。

重要なのは、みんなが想像できることなのである。
インターネットのなかった一昔前まで、精神が肉体から解放されうるなど、一部の天才(変人)たちを除けば想像することすらできなかったのだ。

想像できてしまうならば、そして、そこにエコノミクスが成立しうる可能性が少しでもあるならば、研究者や起業家といったイノベーターによって知能や労力が費やされ、投資家によって資本が投下され、実現にどれだけの時間がかかるかはわからないがいずれはみんなが想像している未来へといたるだろう。

現代はいまだかつてなかったほどに、精神と肉体の結合が弱まりつつある時代に突入している。
そのような時代だからこそ、人類が物理的な制限に思考を囚われることなく、より実質的・本質的 = バーチャル(Virtual) な価値を意識できるようになってきた。
(※ ちなみに、Virtualを仮想と訳すのは間違いだ。意味としては「実質的」とか「本質的」のほうが正しい)

あらゆる変化の中でも、人類がバーチャルな価値を意識することよって生じる世界へのインパクトはもっとも大きいものになるだろうし、モビリティとは比べ物にならないレベルとなるはずだ。

そう、だからこそ今後200年を一言で表すならば

バーチャリティの時代

が最もふさわしいというのが、ぼくの考えだ。

(※ この段階では、近年ブームとなっているVR=バーチャル・リアリティのことは話しておらず、より概念的に抽象度の高い別のものについて話しているということに注意してほしい)

2. アトムからデータへ、計算可能であること

もう少し、バーチャリティの時代について掘り下げてみたい。
今度はエネルギーと生産性という観点から見てみよう。

例によって未来を見据える手がかりとして、まずは過去について考察してみる。
過去200年間、モビリティの時代は人類のエネルギー消費量が爆発的に増えた時代だった。

▲ 世界のエネルギー消費量と人口の推移(資源エネルギー庁 平成24年度エネルギーに関する年次報告より引用)

人口の増加具合に対して明らかにエネルギー消費量の増加スピードは急激だ。
さて、これだけのエネルギーを人類はいったい何に消費したのだろうか、と考えると、モビリティの時代を象徴する概念としての「アトム」が浮かび上がってくる。

ちなみアトムとは原子のことだが、ここでは人やモノなど物質のことを指し、光や情報といった原子で構成されていない概念の対義語的に用いる。

鍵となるのはアクチュエーターとしての蒸気機関の発明、および熱力学の発展だ。
燃料を燃やすことより得られた熱エネルギーは、熱力学を駆使して運動エネルギーへと変えられ、人やモノなどの物質を移動させるのに使われた。
物質を移動させることにより、ばらばらだったものたちを一箇所に集積させ、あらゆる単純作業を自動化させたことが、人類の生産性が爆発的に向上につながったのである。

その後エジソンらの貢献により、石炭や石油・天然ガスから取り出したエネルギーは電力として世界中に届けられるようになり、さらに人類は原子核より莫大なエネルギーを取り出すようにさえなったわけであるが、けっきょくのところモビリティの時代においては、突き詰めればエネルギーのほとんどはアトムを動かすために使われたのだ。

そう

モビリティの時代はアトムが主役だった

のである。

ではバーチャリティの時代に突入した現代、インターネットのおかげで人類は徐々にアトムの束縛より解放されつつあるわけだが、アトムを動かすためにエネルギーを使わなくなっていくマクロなトレンドがあるのだとしたら、エネルギーはいったい何に使われるようになっていくのだろうか。

間違いなくエネルギーは人類の生産性を向上させるために使われるのであるが、アトムに変わるエネルギーの投下先かつ生産性向上の鍵とはなんだろうか。

そう考えながらいまのインターネットの世界を見渡すと、バーチャリティの時代を象徴する概念として「データ」という存在が浮かび上がってくる。

そう

バーチャリティの時代はデータが主役になる

のである。

モビリティの時代からバーチャリティの時代へと移り変わり、それにともなってエネルギーの働きかける対象はアトムではなくデータとなる。すなわちアクチュエーターを動かすために使っていたエネルギーは、CPUやGPUなどのプロセッサーを動かすため、つまり計算するために使われるようになっていくはずだ(実際そうなっていってる)。

200年後の世界では、エネルギーの大半がプロセッサーに使われているという時代が来るだろう。

ちなみに現時点においてすでにその世界に片足を突っ込んでいるし、最先端技術分野ではその傾向が顕著だ。

たとえば人工知能(AI)。
Deep Learningや強化学習など、機械学習の発展により徐々にシステムが認知化(コグニファイ)されて産業に多大な変革をもたらしつつあるが、そのシステムはクラウド上のGPU等プロセッサーが大量の電力を食べることで担われている。

たとえばブロックチェーン。
ビットコインなどの暗号通貨といった利用例に端を発し、トラストレスなアーキテクチャ構築が可能となって産業に多大な変革をもたらしうるとして徐々に研究や社会実装が進んでいるが、そのシステムは分散化されたGPU等プロセッサーが大量の電力を食べることで担われている。

たとえばVR/AR。
従来に比べて圧倒的に高性能なHMDが安価になり、人類の認識(レコグニション)がプログラマブルとなって産業に多大な変革をもたらしうるとして徐々に活用例が増えてきているが、そのレンダリングシステムは各クライアント端末のGPU等プロセッサーが電力を食べることで担われている。
ちなみに近ごろGoogleがStadiaを発表し、巨大資本がクラウドゲーミング分野に投下されるマクロトレンドの形成が確実となったことで、将来的にはVR/ARのレンダリングもクラウドで行われるようになっていくだろう。

それぞれ、アトムを動かすことで自動化できず人力で行わざるを得なかった非効率なことを、エネルギーをプロセッサーに投じてデータをもとに計算させることで飛躍的に生産性が改善されるというのが肝である。
これはモビリティの時代に、人力で行っていた非効率なことを、エネルギーをアクチュエータに投じてアトムを動かし自動化することで生産性が改善されたのとまったくの相似形だ。

ここ数年、NVIDIAやAMDの株価が伸びているマクロな要因はこのトレンドによるものが大きい。

サービス・システムを展開したり、アーキテクチャを構築する側の視点に立ってみれば、今後「データ」および「計算可能であること」が本当に重要なファクターであるということを認識できているかどうかが、激変のバーチャリティ時代において命運を分けることとなるだろう。

後編に向けて

後編では、前編で語ったバーチャリティの時代を踏まえたうえで、VRスタートアップ代表としてのぼくが昨今ブームとなっているVRについて、そして日本の強みについて書いている。

前編は後編の主張にいたるまでの長い長い前置きみたいなところがあったので、「なんについての文章なんだ?」と混乱した方は本当に申し訳ない。

2019年5月6日時点では後編は公開準備中である。

ちなみに後編の目次は以下のようになっている。

3. 実質的に現実
4. VRのペネトレーション計画と、メタバースに至る病
5. 日本がバーチャリティ時代の産油国になるために

公開までしばらく待っていてもらえると嬉しい。

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