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札幌を首都にすればいいのに。

 雪が降った。
 振るだけで積もる雪ではない、と聞いていたのだが、夜中にしんしんと降り続いた雪は朝になると3センチほどの積雪になっていた。
 7月末までは地下鉄で通勤していたのだが、8月からは事業所が変わったので車通勤だった。スタッドレスタイヤへ交換しなければいけないと思いながらも、複雑な事情で手元に冬タイヤがなく、雪が積もってしまえば車で出勤するのは諦めないといけなかった。
 遠く離れた地元では、年に数えるほどの回数ではあるが雪がこんなふうに積もる街だった。しかしどういうわけか、そこに隣接する市町村は雪が積らないことが多い。ノーマルタイヤもたない人たちが私たちの街へと北進してくることによって毎年事故が起きていた。だから私はこの程度の雪でスタッドレスタイヤを履かずに出勤することがいかに危険かよく知っている。もしかすると、当然の営みであるふうに入念にスタッドレスタイヤを準備する道民よりよく知っているのかもしれない。
 そういう事情で、地下鉄と市電を乗り継いで仕事に出かけることにした。市電は、札幌の市街地を走る路面電車である。雪に強くしぶといので、街の中心部に出勤する人には信頼が厚いらしい。
 市電に乗るにはすすきの周辺で乗り換える必要がある。靴箱に入っているはずだと思っていたスノーブーツ(北海道では"冬靴"と呼ぶ)がなぜか見当たらず、仕方なく一番浸水しにくそうなスニーカーを選んで履いて来たが、靴裏の構造がそもそも冬靴とは違うのでずるずると滑る。まだ凍結するほどの気温ではない。氷点下まではいかない一桁台の寒さ。この気温のなかでは、雪はかき氷のような状態になる。さらに冬が深まると小麦粉のようにさらりとして、踏むとぎゅぅ、と独特の音がする。まだそれほど冬は本格的でないようだ。
 市電を待つホームは野晒しだ。屋根はあるが、すすきのという北海道いちばんの繁華街の道のど真ん中にちょっとした高台のように設置されていて、風が吹き荒ぶ。朝の通勤時間帯にしては空いていた。
 街の人はみんな撥水のジャケットを着てフードを被り、傘をさそうとしない。北海道人には、雪の日に傘をさす概念がないらしい。傘をさしているのは観光客らしい人たちだけだ。これは北海道1年目の冬を実際に体感してわかったことなのだが、風が強い状態で傘を刺しても、気休め程度にしか雪を凌げない。雨は上から降ってくるが、雪はときに横から吹きつけてくるのだ。傘は骨組みごとひっくり返ってしまい壊れる原因になるし、周りが見えにくくぶつかったり足元をとられる原因となる。ただでさえ防寒具で首を回しづらく、周りが見えにくい。滑った時に手をついて受け身を取れなくなるという理由もある。その上、雪を防ぐことができないとなったら、傘をさす意味は何一つない。
 私のダウンジャケットは撥水ではないので、まだ氷点下に達しないこの時期の雪ではべちゃべちゃに濡れてしまうことは分かっていた。それでも傘をさしたところでデメリットが大きい。
  
 北海道2年目の冬が来ようとしているが、市電に乗ったのは数えるほどしかない、函館旅行では観光中の主な交通手段としたが、おそらく札幌では2回目か3回目のはずだ。
 すすきのに来ると、旅行で訪れた夕張や木古内、富良野など田舎の景色との対比を考えてしまう。これだけ大きな大地があるのに、これだけ栄えているのはここだけ。本当にここだけなのだ。東京ドームほどの面積しかないこの周辺だけ。
 出張で泊まった池袋の高層階のホテルからの景色を思い出してみる。どこまでも、果てしなく街が続いている。この一つ一つの灯りに、数えきれない"人"がいる。おそらくは一生関わることも、話すことも、そしてどこかですれ違うこともないような命が無数に暮らしている。ここで生活をしている。それを思うと眩暈がしそうになった。
 首都を札幌にすればいいのに。土地がたくさんある。海産物が美味しい。たくさん人が住めば、税収が上がって除雪設備にももっとお金がかけられる。鉄道が儲かる。宇宙から見たときに、この北海道の大地が札幌を中心にまばゆくひかり、本州へと南下するに従って暗くなっていく様子を想像してみる。悪くないとは思う。でも政治のわからない私には理解できない事情が、東京が首都である理由がきっとあるのだろうな。

 雪が降っても道民は、まだ秋なのだと全員が主張する。道民のいう冬とは、もう春まで溶けない根雪になってからなのだそうだ。この雪は積もっているけれども、数日後には1度溶けるからまだ秋。職場の人は口を揃えて言う。
 狸小路の方面からやってきた市電に乗り込む。一緒に乗ったのは3人くらいだった。簡単に座れた。緑のシートに腰を下ろす。窓は余すところなく曇っている。外の景色はあまり楽しめそうにない。
 コトコト、とコンプレッサーの音が鳴っている。チンチン、と鐘を鳴らして発車する。車内アナウンスが流れる。目を閉じた。
 修学旅行で行った広島の路面電車を思い浮かべた。広島は暖かかったな。夕方の帰宅ラッシュ時、宿がある宮島に向かうために小学生がパンパンに乗りこんだ。さぞ迷惑だっただろう。同じ班の子達と、押しつぶされそうになりながら立っていた。座席には空きがあったのだが、私たちは若者が座ることは無礼だと考えて、誰も腰を下そうとはしなかった。そして同乗していた広島市民も、誰も座らなかった。そのせいで、車内がどんどん狭くなっていく。
 ひとりの広島市民が「逆に座らないと狭くて迷惑になるよ、座りなさい」というようなことを優しく声掛けしてくれて、同じ班の誰かが遠慮しながらしぶしぶ座った。そういう優しさもあるんだなと社会勉強をした瞬間だった。 

 気づけば、次が職場の最寄駅だった。
 誰かが降車ボタンを押してくれたようで、私がそうする必要はなかった。
 見知らぬ誰かとともに、駅に降り立った。
 
 
 

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