21歳の誕生日
2020年11月28日のことだ。私は21歳になった。10代の頃は20歳まで自分が生きるとすら思っていなかったのに、1年も長く生きてきることに少し不思議な気持ちになった。
誕生日の前日は、ちょうど1年前から始めた塾講師のアルバイトへ出かけていた。授業の終了を告げるチャイムが鳴ったあと、突然教室の電気が消えた。学校の教室一つ分くらいの、そんなに広くもない教室で、塾生の誰かがいたずらで明かりを消したのだと私は思った。普段から騒がしい授業後の教室は騒然として、「暗い暗い!」「消したやつ誰や!」などと、男子生徒たちは大きな声を張り上げていた。
すると、教室の隣にある小さな給湯室から、火の灯りが見えた。
それは、塾長がこっそりと用意してくれた誕生日ケーキだった。
私は驚いて、一瞬自分の誕生日なのか他の祝い事なのかわからなかった。しかし2人は確実にこちらへ向かってゆっくりと注意深くケーキを運んできてくれた。
ハッピーバースデーの曲を歌う彼女と、暗闇の中ケーキを運ぶ男子生徒が私の前に到着する。
「お誕生日おめでとう〜!」
塾長と男子生徒はそう言ってくれた。周りもさっきよりも騒然として、「誕生日なん!」と私の誕生日を初めて知る子もいた。
「○○先生、ぜひろうそくの火を消してください」
そう言われたが、今の世の中である。コロナウイルス感染防止策が日々口うるさく言われる中、私は遠慮して、手でろうそくの火を消した。
みんなでケーキを食べて写真を撮り、私は幸せな気持ちで帰路に着いた。その日はそのまま、滋賀県にある実家へと向かった。
次の日、私は誕生日にも関わらず祖母に呼び出されていた。要件は「窓の掃除をしてほしい」。
祖母は怪我で足を悪くしており、高いところの作業はするなと近年私や親戚から何度も念を押していた。祖父も81歳だ。体力が心配な年齢である。そのため、私は進んで掃除を引き受けた。
掃除が終わった後は、数日前より計画していた紅葉を見に行くという予定があった。母親と祖母と私の3人での観光だった。
しかし、掃除を終えた私と祖母のもとに1本の電話が舞い込んできた。
祖母の携帯電話が鳴った時から、彼女は少し予感していたのだと思う。
「弟からやわ。池田さんになんかあったんやろか」
そう言って心配そうに電話をとった。
「池田さん」は、大阪に住む祖母の親戚らしい。詳しい血縁関係は私には分からないが、何度も名前を聞くわりに、私は池田さんの顔を知らない。しかし祖母にとって大切な親戚であることは理解していた。
電話をとった祖母は、うん、うん、と何度か相槌を打った後、
「えぇ!」
と、大きな声で驚いた様子で言った。
池田さんに何かあったのだ、と私はすぐに察した。祖母の顔はすぐに泣き出しそうに歪んだ。
「……私、朝仏壇参った時、なんか……池田さんのこと思たんやわ。いつも『池田さんが良うなりますように』って祈ってたんやけど、今日だけはなんか、なんか、池田さんのこと気になったんやわ。知らせに来たんやな」
その科白で、私は池田さんが亡くなったことを悟った。重苦しい気持ちになり、ふと、今日が自分の誕生日であることを思い出した。
11月28日。それが池田さんの命日になるのだ、とはっとした。
「私、言うてなかったけど今足悪いねんわ。コロナのこともあるし、××も仕事やし……葬式も通夜も、行かれへんかもわからん……」
祖母は悔しそうに言った。××とは私の父のことだ。工務店を経営しており、いわば社長だ。世間の休日は父の休日ではない。その日は土曜日で、明日の日曜日に行われるであろう通夜は、当然父には仕事がたくさん詰まっているはずで、行けないだろうと想像したのだ。
もし私が運転免許を持っていたら。
もし私が父の仕事を代われたら。
そう思ったが、実際は無理だ。どうにもなりそうになかった。
「申し訳ないけど……行けへんと思うわ。××に訊いてみるけどな、多分無理や思うわ。行きたいけどな……」
祖母は何度も同じことを繰り返した。
電話が終わると、祖母は今朝仏壇の前で池田さんのことがなぜか気になったことを、誰に言うでもなく、ただ独り言のように何度も繰り返した。
私は外にいる祖父に知らせに、勝手口を出た。
祖父は外で、今年畑で取れた黒豆をさやから出す作業をしていた。からりと乾燥させた黒豆のさやは、棒で叩いたり足で踏みつけたりすると簡単に外れて中身が出てくる。黒豆も乾燥して硬くなっているので、叩いたり踏んだりしてもつぶれることはない。
祖父はその豆をひたすら拾っていた。
「じいちゃん、今△△さんから電話あってな」 私が話しかけると、祖父は動きを止めて、「え?」と聞き返した。
「池田さん亡くならはったんやって。明日、お通夜するんやって」
私は簡潔に伝えた。祖父はえっ、と驚いた声を出した。そしてしばらくの間があったあと、
「そうかあ……ついに亡くなったか」
目を少し細めて、そう呟いた。
そのあと祖母も家から出てきて、祖父にもう一度同じことを伝えた。
祖父はこう言った。
「決まりとしては、お前が通夜に行くべきや。しかしな、どう考えても通夜には行かれへんやろ。××も仕事やし。わしは高速道路を運転するのは無理や。やから、足が治った時に、お参りに行ったらどうや」
提案だった。祖父母両方が、息子が仕事で車を出せないことを予想していた。
その後、一度父に訊いてみるということで話がまとまった。
予定していた通り、紅葉を観に行くために出かけることになった。池田さんが亡くなったとはいえ、夜、父が忙しくない時間に電話するまで、祖母にできることはない。母親が車で私たちを迎えにきた。そして、私たちは永源寺方面へと向かった。
永源寺は滋賀県東近江市にある由緒ある寺院で、その周辺の地域自体が「永源寺」と呼ばれ、地名にもなっている。温泉や紅葉が有名で、滋賀県の観光スポットとしては有名な場所だ。県内の人も毎年たくさん訪れる。
紅葉シーズン真っ只中ということもあって、駐車場は大混雑だった。山道を抜け、広大な永源寺ダムの端に沿うように車を走らせていく。
母は運転が上手く、山道でもきびきびとハンドルを切る。
「お義母さん、駐車場混んでるわ。しかも駐車場からちょっと歩かなあかん。どうする?」
足を悪くしている祖母のことを気遣って、母はそう尋ねた。
「もう車の中から見とくだけでええよ。それで充分や、ありがとう」
祖母は本当に嬉しそうだった。普段実用的な買い物、町内会等以外で自ら出かけることの少ない祖母だが、近頃は足の不自由さがいっそうそうさせていたのだろう。
「そうか、じゃあ永源寺の横通ろうか」
母がハンドルを切って直角に曲がると、そこは永源寺ダムに続く綺麗な川にかかった赤い橋だ。正面には永源寺が見えた。遠目からでもわかる、もみじが赤や黄色に色づき、ところどころ緑を残していた。華やかな色合いだ。
「綺麗やなぁ」
祖母は窓から楽しそうにそれを眺めた。私も、今年はコロナウイルス対策の「自粛」ばかりで、季節感を感じる外出が少なく、久しぶりに風物詩に触れた、と少し感慨深い気持ちになった。
永源寺を通り過ぎると、私たちは帰路に着いた。
翌日、母方の祖父母の家の法事に出かけた私の元に、父からメッセージアプリで連絡が届いた。
『明日、ばーちゃんと岸和田に行く
お通夜に
池田のおじちゃんが亡くなった』
『世話になった
結構好きなおじちゃんやった』
『中卒で運送会社を設立した。
昔は無茶苦茶儲けていい家建てた、新築時にお祝い行った。
バブルはじけてから業績悪くなり家売った。
今は息子が会社継いで頑張ってる。小さい時、よく遊んだ。』
文章を書くのが苦手な父らしい、率直なメッセージだった。私は少し安堵した。父と母が池田さんの通夜に参加できること。それだけで少しほっとした気持ちになった。
私は池田さんの顔も声も、どんな人なのかもよく知らない。父や祖母は『数年前に曽祖母の葬式で会っているはず』と言ったが、それも7年ほど前の話だ。ほとんどどんな人がいたのかも覚えていない。
しかし私は、祖母と父がお通夜に参加した、そのことだけでなんだかよかった、と安心したのだった。
それが私の、21歳の誕生日前後3日間の記憶だ。
◎この作品は2020年11月に書いたものに、一部修正を加えたものです。