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書くために、書く

 最後に”筆を執りたい”と思ったのは、いつだったんだろう。

 強引に手を引かれるまで、そんなことも分からなくなるくらい必死で食らいついていた。

 書きたいことはたくさん日々の中に散らばっていた。
 街のにおいが違うとか、季節の移ろいが違うとか。
 方言がわからないまま文脈で言葉の意味を認識して会話していたこととか、電話応対で当たり前のようにアイヌ文化の話を出されてわからなくて適当に流したこととか、スーパーで売っている鮭がめちゃくちゃ大きくておいしくて安いこととか、車は四駆がスタンダードでFFは少ないこととか、案外時計台に行ったことがない人が多いとか、夜、田舎の方に行けば道幅を示す矢印のランプが光っていることとか、冬が近づくと街中がストーブのにおいになることとか、もう、こんなところでは収まらないくらい、書きたいことは山のようにあるはずだった。
 毎日が忙しすぎて、そういった感性にちょっとずつ、ちょっとずつ蓋をして、たまに蓋が外れそうになったら唯一手に持っているもろい養生テープを貼って、絶対に辞めたくなくて、休職に至るまで結局、小説やエッセイを書くことはなかった。前回の投稿はただの愚痴であって、自分の表現したいものとは一切異なるものだった。

 8月1日に異動があった。
 新しい店舗の人たちはあたたかかった。北海道で暮らすのは2年目だと話すと、「全然訛ってないんですね」「関西弁でしゃべってほしいのに」と言ってくれた。雑談をしようとする人がほとんどいない前店舗に比べて、休憩室でお昼を食べていると必ず誰かが話しかけてくれた。そして私の地元の話や、相手の旦那さんや子供の話なんかをして、何気ない日常を獲得したと思っていた。
 
 人はあたたかったけれどお店は結構忙しくて、1時間誰にも話しかけられずに自分の仕事を遂行することは基本的にできない。勤務時間のほとんどは自分がその店の責任者で、従業員が判断に迷った場合、私のところに必ず質問に来る。それが嫌だと思ったことはなかった。頼られるのは嬉しい。前の店ではそういったことがなかったから余計に、みんなの期待に応えたいと思った。
 「のかさん、今お時間よろしいですか?」 
 「すみません、今いいですか?」
 「のかさん、お話ししたいことがあるんですが、ちょっと今大丈夫ですか?」
 「お話ししたいことがあるので、お時間よろしいときに声かけてもらっていいですか」
 みんなそんな風に、一旦私の様子をうかがってはくれる。
 ただ、私に「お時間のあるとき」は存在しなかった。
 やることは多大にあるし、1つ終わってからその人と話をしようと思っても、次は逆にその人が接客等で外せない場合もある。
 そのうえ私は、自分のことを頼ろうと思ってくれている人に「ごめんなさい、忙しいので後でもいいですか」とは、一度も口にできなかった。
 一度だけ、学生アルバイトの子に「10秒待って」とだけ言ったことがある。でもそれしかなかった。
 
 前店舗ではむしろ自分が上司に「お時間よろしいですか」と声を掛ける立場だったので、その部下がどれだけ気を遣って(しかも大体は私よりも年上の従業員なのに)、その言葉を選んで私に声を掛けてくれたのかを考えてしまうと、口が裂けても「後でいいですか」とは言えなかった。

 ひっきりなしに人に話しかけられて、話が終われば自分の仕事をどこまでやったかリロードするところから始まる。業務効率は前店舗にいるときと比べておそろしく落ちたと思う。それでも、人に「待ってください」「後にしてください」と言えなかった。たとえ、話に無駄な部分が多いな、簡潔にまとめてほしいなと思っていても、そんなことは言えなかった。私がそういった上司との話に救われたことがあることを考えると、絶対にそんなことを部下には言えなかった。

 そんな毎日を過ごしながら、私はなぜここで仕事をしているんだろう?と、ふと思った。
 周りの人は、今年の新卒入社の後輩以外、全員北海道出身だった。後輩だけは神奈川出身だったが、それでも関西と比べると帰省にかかる金額や所用時間が倍くらい違った。
 みんなは正月に思い切って仕事を休んで帰省しなくても、家族と紅白歌合戦を観ながら過ごせるんだなと思うと、職場の人のことを仲間だと感じているがゆえに、勝手に孤独を感じた。

 天井を見つめたり、ただひたすら眠ったりする日が数日続いて、そういえば私はエッセイストになりたかったんだった、と思い出した。
 一度だけ、前の店舗で仲良くなった2つ年上のパートさん(ギャル)と食事に行った際、そんな話を打ち明けたことがある。
 Rさんと言って、前回の投稿に書いた、倉庫で外線子機を使って客と電話しつつ、うんこ座りで段ボールの上でメモを取り、丁寧な口調で電話を切るギャルの先輩パートさん。殺伐としていて軍隊のような前の店舗で、しっかりと自分を持っているRさんのことが私は好きだった。
 彼女は「一生ここで働くつもりはない」と、その食事の席で言っていた。
「のかさんは、何になりたいとかあるの」
 Rさんにそう訊かれて、私は「本当は、エッセイストになりたいです」と答えた。
 あまり長考せずにその返答をした自分に少し驚いた。
 Rさんは「へえ、かっこいいじゃん」と笑い、リップを塗りなおしていた。
 あの日から、結局一度も筆は執っていなかった。

 旧友に強引に腕を引っぱられて、ようやく周りを見渡すことができた。
 得たもののほうが多いと思う。失った時間を取り戻すとか、そんな月並みな表現はしたくないし、そもそもひとつも、なにも失っていない。仕事で北海道に来てみるという選択を採らなかったら、一生知らなかったことが山ほど知れたと思う。地元から一生出ずに、田んぼに囲まれた町で20歳を迎えずに死ぬと思っていた私にとっては、夢のような1年と半年だった。
 でもそろそろ、知っている街と、人と、季節と、気温と、匂いと、暮らしたいと思う。そして夢のような日々だった1年半を少しずつ言葉にしたいと思う。エッセイストになるため、じゃなくて、書くために書きたいと思う。
 
 

 

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