#21 夢 3
相談に訪れる人が、意識的あるいは無意識的にせよ、自分が抱える問題の核心に踏み込めずにいるため、話しの内容が真実の周辺に留まってしまい、対話がギクシャクしてしまう場合がある。高齢の母親と二人暮らしだったEさんの相談は当初、母親の健康問題や今後の生活についてであった。だが、私は話を聞くにつれ次第に違和感を感じた。なぜなら話の詳細からすると、まずもってカウンセリング機関を相談場所として選択しようとは普通思わない内容に思えたからだ。社会経験も豊富で、職業的地位も能力も申し分のない相談者の人格的知的水準を考えれば、なおさらそのミスマッチが気になった。本当は別の悩みや問題があるのではないか、そう私には感じられた。
だがこちらから踏み込むことは避け、Eさんの話に耳を傾け受容・是認する姿勢を崩さずに、ときおり「そんなことがあったら他にもいろいろ困ることも出てきますね」「日常生活では具体的にどのような支障があるでしょうか?」などと、はっきりとした回答を期待しない雰囲気を醸しつつ、軽い質問なり感想をはさむ態度を維持し続けた。
そんな状態がしばらく続いたある日、唐突にEさんは、自分が同居する母親に対して身体的心理的虐待を繰り返していたことを打ち明けた。上記の夢を見たことが自分の行為を打ち明ける直接のきっかけだった。自分の行為を恥じつつも、否認し続けてきた事実と直面するようEさんに求めてきたかのような夢に耐えきれなかった、ということのようだった。
夢に出てきた夫婦は、実在するEさんの隣人だった。家庭内暴力などない幸せなご夫婦だった。Eさんにとってこの夫婦は、自分が若い頃からあこがれ、夢に描いていた人生の将来像そのものだった。肉親への暴力の遠因ともなった、懸命に生きてきた努力も空しく、自分の夢や願望がなにひとつかなうことなく現在に至ってしまった様々な事情や背景が生む悔恨と孤独の感情が、このような複雑に偽装(仮装)されたストーリーとなってEさんの夢に現れたかもしれない。
最後に、カウンセリングの前と後で、夢内容に大きな変化を生じた事例を紹介する。相談者Fさんは、優しく思いやりがあり、まじめで仕事でも有能さを示す一方、ものごとの見方とらえ方がやや一面的で柔軟性に欠けるところがあり、対人関係に不安や緊張を抱きやすい傾向の持ち主だった。社交性が低いわけではないが、健康的な自己肯定感情が不足していて、過度に従順なぶん周りを気にしすぎて、自分を過剰に抑えたり犠牲にする不適応的な行動パターンを繰り返して生きてきた。
彼女が若いころからずっと見てきた夢は、実家を訪れる夢だった。それはいつも真っ暗な夜なのだが、家にはいつも誰もおらず不穏で緊張感の張り詰めた空気のなか家の中や周辺をたださまよっている、というものだ。時々顔の見えない不審者が侵入してきたり追いかけられ家に避難するようなパターンもあったという。Fさんが記憶する限り、家族に関する夢は他に見たことがなかった。
Fさんは何度かのカウンセリングの後に来なくなった。が、その後しばらくたってから連絡があり、自分が最近初めて見たという夢を報告してくれた。それは過去にFさんが見てきた不快な夢とは180度印象の異なるものだった。
「穏やかな日曜日」「近所の人や子どもたち」「明るく見通せる自宅」「たくさんの丸い鏡」「自由奔放な(タレント)」「別にいいんじゃない?」「これでも悪くない」…重要なのは、夢内容の厳密な解釈よりも、こうした今までとは正反対の印象の夢情景について、Fさん自身が過去から抱えてきたものと照らし合わせながら、ひとつひとつ自分なりの解釈や考えを持とうとしたことそのものである。
真逆の印象の夢を見たからといって、それで抱えてきた精神的困難が解消し生きづらさがなくなるということはない。夢は魔法でも予言でもないからだ。だが、この夢は、Fさんにとって自分を見つめなおす最初の一歩としてのポジティブな見通しであり、今後勇気を持って取り組む動機づけの役割を果たしたとも思うのである。
夢とは、客観的には心身の状態の多彩な要因が複雑に相互作用した結果、脳内で起きる神経生理的な現象である。一方、主観的体験としてみれば、それはとても私的で、文字通りほかの誰も踏み入れることのない私たちに圧倒的な孤独を強いる世界である。だが同時に、目が覚め現実社会を生きているあいだは容易に気づくことのない解釈と可能性を秘めた、自分についての別の物語が語られる世界であるかもしれない。それが意味するところは必ずしも明確ではないが、そこに敬意を払い、自身の人生や生活をときに問い直してみることは、誰にとってもときに大切なことに思える。
メンタルケア&カウンセリングオフィス C²-Wave 六本木けやき坂
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