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盆のような月

「出た 出た 月が まるい まるい まんまるい 盆のような月が」という歌がある。さて、お盆はすべて丸いわけではなく、四角いものも多い。また、丸いものはお盆以外にいくらでもある。「丸いものといえば?」のランキングを見ても、お盆を挙げている人はいない。

なのになぜ「まんまるい 盆のような月」と言うのか。この歌以外で、丸いもののたとえに盆を使う例があるだろうか。「盆のように丸い顔」「盆のようにつぶらな瞳」「盆のように丸く収まる」など、私が今思い付きで作ったものばかりだ。

ひょっとすると、この「まんまるい」は「盆」にかかる修飾語ではないのかもしれない。「亡き私の父」と言うとき、亡いのは父であって私ではない。それと同様に、「まんまるい 盆のような月」でまんまるいのは、月であって盆ではないという解釈が可能である。ではその場合、「盆のような」とは月のどんな属性を言ったものだろうか。

平たく見えることのたとえだと言う人がいる。

「月は空に平面をぺたりと張り付けたように見える」のに対し、「木星は(中略)探査機が撮った写真を見ると(中略)立体的、つまり球に見える」のだそうである。これは、比べ方が不公平だと思う。木星など、肉眼で地球から見れば、点にしか見えないではないか。月だって、探査機が撮れば立体的に見えるぞ。

また、大きく見えることのたとえだと言う人もいる。

直径27cmのお盆を1.5m先に置くと実際の月の20倍に見えるから、これは大げさなたとえなのだという。お盆のサイズが色々あることには目をつぶるとしても、なぜ1.5m先に固定するのだろう。30m離れて見れば、月ぐらいの大きさに見えるはずだから、大げさでも何でもない。もっと離れて見れば、月よりも小さく見える。お盆が「大きく見える」というのは、お盆を遠くから見たことがない人の先入観である。

このように考えると、「盆のような月」というのは、平たく見えることを言ったのでも、大きく見えることを言ったのでもなく、やはり丸いことを言ったものだろう。

私は、この「盆」は、そのお盆ではないと思う。
昔の盂蘭盆会は陰暦の7月15日で、俳句の季語にある「盆の月」というのも、陰暦7月15日の夜の月を指す。
陰暦の15日は、ほぼ満月である。「ほぼ」と断ったのは、16日が満月のことも多いからだが、ともかく陰暦15日の月は、ほぼまん丸である。旧暦を使っていた頃の人には、「盆の月」は丸いものという認識があったはずだ。

お盆は陰暦7月だが、他の月であっても、満月はお盆の時のように丸い。それで、「ような」を入れてみたという感じではないかしらん。これだと中秋の名月(陰暦8月)でも歌えるし、何月でもいける。つまりこの歌は「盂蘭盆会の夜のような月」という意味で「盆のような月」と言ったのである。
この言い方に倣えば、「桃の節句のような月」は細い三日月、「七夕のような月」はほぼ半月、「赤穂浪士の討入りのような月」はもう少しで満月である。

と、もっともらしく書いてみたが、実際には、「食器をのせるお盆」のように丸いという意味で「盆のような月」と言ったものかもしれない。しかしそれは、丸いことを言うにはあまりに突飛な比喩である。どこからお盆が出てきたのかといえば、「盆の月」が丸いことから「丸いお盆」を連想したと考えるのが、ごく自然な道筋だろう。

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